知にいて乱を忘れず、乱にいてユーモアを忘れず<o:p></o:p>
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アメリカのビジネス・パーソンたちは常にユーモアを忘れない。それが会議の集中力維持の手段であり、堅苦しい対外折衝の場の雰囲気を和ませる方法でもあるからだ。だが、悲しいかな、これが謹厳実直な日本のビジネスマンには容易に受け入れられないのだ。勿論、不謹慎ないしは不真面目と見なされるからだ。<o:p></o:p>
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彼らはひたすらに肩の力を抜こう、気楽にやろうとする生き物たちである。着席するやいなや直ちに上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくり上げて「さー、行こう」という積極的な姿勢を示そうとする。悪いことではあるまい。そして、中には何気なく脚を組んで、何となく反っくり返っているかの如く見える形で座る。これらは皆日本では受けないとは知らない。所属する事業部は違うが、私の同僚で商社時代に海外駐在経験豊富な人物がいた。彼は所属する事業部の本社の人たちに日本に来た場合の礼儀作法を厳しく仕込んでいた。彼は特に足を組んで座ることを嫌っていた。<o:p></o:p>
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ところがある日ある時、百日の説法何とやらで、アメリカ人は長い足を持てあまして、つい彼に教訓を忘れてしまった。彼は明らかに苛立っていた。そして対話の進行中に立ち上がって、長い足に手をかけて引きずり降ろした。そして言った「何度言ったら解るんだ。お客様はお前の汚い靴の底を見るために出てきて頂いたのではないのだぞ」と。一瞬、勿論座は白けた。でも、彼は満足だった、「お客様はきっと俺の誠意を解ってくださっているだろうから」と信じているから。<o:p></o:p>
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私もこう言って上着は脱がせなかった。「上着は日本のビジネスマンにとっては武士の鎧も同様な正式の装いだ。貴方たちがそれを脱いで対座することはあり得ない非礼であると認識せよ。先方がお勧めになるまで鎧は脱ぐな」と言い聞かせていた。<o:p></o:p>
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これだけの説明で、この辺りのものの考え方の違いを、ご理解願えただろうか?彼らは常に「リラックスしようと」と考えているのである。それが彼らの集中法である。<o:p></o:p>
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彼らのユーモアには往々にしてきつすぎるものがある。中には私でさえ、やりすぎだと嘆くものがある。先ずは酷い例から。上智大学・経済学部の緒田原教授の著書「大いなるアメリカ病」にも似たような例があったと記憶するが、その引用は後ほど。<o:p></o:p>
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アメリカから輸入する紙には巻取が多い。ある日、ある時、最も神経質なお客様の工場を本社のマネージャーと共に”courtesy call”=表敬訪問していた。すると、現場から苦情が発生した。直ちに駆け付けた。すると巻取の真の中の紙管から”candy bar”=細長いチョコレートビスケットが出てきたと怒っておられた。正直なところ紙には何の損傷もなかった。だが、現場も工場の幹部も「注意不足で管理能力を疑う」と厳しく我々を叱責された。<o:p></o:p>
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「謝らないアメリカ」を卒業していた我がマネージャーは陳謝して言った「誠に申し訳なかった。帰国次第厳重に工場に反省を促しておく。だが、ご安心願いたい。我が社は決してキャンディー・バーの分は請求しないつもりであるから」と。ご推察のように、これは全く受けなかった。火に油を注ぐ効果しかなかった。<o:p></o:p>
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その1年後だったかに、同じマネージャーとこのお客様の別の地域の工場に伺った時のことだった。また不良品が1枚見付かった。1?の紙から約28,000枚もできる容器である。今度はカートンの表面に、ポリエチレンラミネートの下に、製紙に工程をくぐり抜けた直径1mmにも満たない樹皮の滓が1個乗っていたのであった。工場側からは「今後はスクリーンを洗浄してこのような異物を混入させないで欲しい」と厳しく要望された。お断りして置くが、樹皮そのものは完全に無毒でしかもポリエチレンの皮膜で覆われている。だが、見た目には黒くて印象は良くない。勿論マネージャーは陳謝した。工場には厳重注意せよと厳しく言うと誓った。工場側からはこういう不良品が発生したら補償して貰いたいと言われた。<o:p></o:p>
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すると、止せばよいのに、その場の空気を和ませようとしたのかマネージャーが「ところで、その容器の販売価格はおいくらですか?」と尋ねた。工場側から「10円見当です」と答えて頂けた。するとマネージャーはポケットから10円玉を取り出して「どーぞ」と言ってテーブルの上に置いた。彼のユーモアのセンスは見事に誤解された、いや、日本側に正しく理解された。ここでもまた激怒されてしまった。中には解っておられる方が約1名おられて何とか「えらいさん」を取りなして頂いて、何とかその場を切り抜けた。<o:p></o:p>
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一緒にいたものからすれば、滅多に出ないような問題が、時と場所を選んで同じ人がアメリカから来た時を選んで発生したのかと、何処の誰を恨んだらよいのかと嘆いていた。<o:p></o:p>
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お願いしたいことは、こういうユーモアのセンスを「不謹慎である」とか「場所柄を弁えない奴」などとお思いにならずに、面白い奴だと笑って済ますような広いお心で、対米折衝をして頂ければ願っているのだ。<o:p></o:p>
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最後に折角だから、少し長くなるが緒田原教授の「大いなるアメリカ病」から。アメリカに駐在された方がアメリカ製の新車を購入された。運転に慣れた頃にドアの付近で何か「コロコロ」と音がするので気になり始めた。方々調べてみたが解らなかった。しまいには諦めてディーラーに持っていって苦情を言った。ディーラーも解らず、ドアを取り外したくらいでは何も発見できず、ついにはドアを分解することになった。すると中からコーラの空き缶が出てきた。それが原因だった。ところが、缶の中で未だ音がするのだった。缶の中を探ったらメモ用紙が出てきた。そこには「やっと見付けたか」と書いてあったというのだが。これは冗談が過ぎると、この私ですら思う。<o:p></o:p>