新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

矢張り体格と基礎体力に差があったMLB対日本

2008-03-24 08:59:02 | 200803
 張本勲は「何で日本のリーグ戦と同時期に呼んだのか」と怒っていた。ある程度以上同感である。

 だが、譬えテレビ観戦でも、昨年9月以来でMLBがある程度以上真剣にやっているのを見た。面白かった。初めてMLBの試合を見たのは80年代前半だったかも知れない。先ず驚いたのが「体格」の違いだった。同じ広さの内野だと思ったが以上に狭く見えた。それは彼らが大きいからだった。

 MLBでは野球の質とゲームの進め方が日本とは異なるのだが、それはここで論じたいことではない。だが、不思議だったのは、彼らがシーズンが終わってから日本に来て野球をすると、その体格の差がほとんど感じられなかったことである。

 それは恰も1972年にニューヨークでDuke Ellingtonを生で聞いて、そのバンド全体の真剣な演奏の余りにも凄まじい迫力に驚いたことにも似ていた。来日したバンドは真剣みが感じられないことが多かったからこう言うのだが。聴衆の態度にも我が国と大きな差があると思う。真剣にやれば、それに直ぐに反応する点が、我が国のお行儀の良さとの違いであると思う。
 
 今回のレッドソックスもアスレティックスも、ともに非常に大きく見えた。身体能力の凄さもアメリカで見たMLBそのものだった。それはシーズン前で十分に調整されていたからでもあるだろう。気を抜いている場合ではないと知っているからであろう。

 張本はMLBも質が落ちて大したものではないと言う。ある程度は同感だ。だが、あの基礎体力と身体能力は、日本側がいくら一所懸命にやっても追い付けない性質かとあらためて認識していた。

 負けていた試合を一気にホームランで追い付き、追い越していく力は、身体を鍛えただけで簡単に追い付けないなと、ある意味で感心していた。

 但し、近年のMLBは余りにも国際色が濃厚になり、アメリカ式に三大スポーツ(野球、フットボール、バスケットボール)で基礎から鍛えられたアスリートが減って、他国の野球しか経験していない体力に優れた人たちの「体力・体格・腕力ショー」と化した嫌いがあると思っている。

 それでも、高校野球の延長のような「1回表、ノーアウト、ランナー一塁」でバントする野球よりは、私には面白いのだ、MLBの方が。


アメリカの資本主義 #6

2008-03-24 07:45:40 | 200803

アメリカにも技能者で職人がいた<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


 1970年代に気が重かった仕事は日本のお客様の団体を当時カリフォルニア州の東の外れにあった紙器加工工場にご案内することだった。お客様は世界で最初にこの容器を開発して実用化し、日本にライセンスをおろして、世界の最先端を行くアメリカの工場を見学されるのだから、期待に胸ふくらませて来られるのは当然だった。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


そして、お待ちかねの見学である。実は、かく申す私も1975年に初めて現場に入って目を疑った。日本ではある程度以上の規模の同種の工場に行けば必ず配備されている最新鋭の機械類が一切無く、博物館にでも迷い込んだのかと印象だった。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


戦後と言っても1960年代後半にアメリカ見学に行かれた方がよく帰国報告会で言っていたのを思いだした「アメリカのハードに見るもの無し」と。そして「矢張りか」と納得した。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


それはアメリカでは新規の設備投資をするだけの利益が挙がらなければ、設備投資を可能にする総投下資本率を達成しなければ、近代的生産設備を導入しないのである。それが彼らの信奉する資本主義の大原則である。だからこそコスト上昇は直ちに販売価格に転嫁して利益を確保するのだ。得意先に値上がり分を最終需要家に転嫁できないと苦情を言われれば「こちらも精一杯合理化したのだから、あなた方も合理化しなさい」などとヌケヌケと言う度胸がある。<o:p></o:p>


 であれば、計画通りに、目標通りに利益が出なければ、新規投資はなく現状の古いマシンの改装を重ね、あちこちと修理しながら、騙し騙し使っていくしか選択肢がないのだ。ここに取り上げた工場がそのアメリカ資本主義の申し子のような例だった。私は初回には工場の人たちの胸の中を推察して一切「何故、こんな時代遅れの?」等とは尋ねなかった。自社の工場でそんなことを訊けるか?<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


だが、日本からのお客様にはそんな自制心はない。だから必ず「どうして、アメリカではこんな古い機械を?何か余程我々が知らないメリットがあるのか?」という質問が多くの見学者から浴びせられる。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


こんな時は、古い言葉にすれば「シカト」するか「当社はこれで十分効率を上げている」とだけ答えて「次(の工程)に行こう」とした。ある時、その危機を脱して現場を見下ろす品質管理室でQ&Aセッションをやっていた。すると、我が社が誇る全米で5ほんの指に入るQCの技術者(非組合員である)が突如として客様の質問を制して言った「現場の5号機の音がおかしいので、中断して現場に降りるから、一緒にどうぞ」と。厚紙の巻取を印刷して打ち抜く騒音で話も満足にできない現場の数多くのマシンの中の1台の音の変調を、別室で聞き分けたというのだ。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


果たせるかな、5号機では調整が1mm110程度ずれていたために雑音が出ていたのだった。彼は現場の係員に修正させたところ、雑音が止まった。お客様は驚嘆した。そしてマシンが古かったことなどすっかり忘れてくださった。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


話は変わるが、我が国では昨年辺りに「団塊の世代が去ると、彼らが長年築き上げてきた技術も消えていく。日本の製造業の危機だ」という声を聞くことがあった。これに対して某一部上場企業の執行役員が「それは誤りである。団塊の世代の技術者が去っていってもその技術は継承できるし、現に立派に受け継がれている。問題は長年現場で習得された熟練の技能、身体と皮膚感覚で経験しなければ身に付かない技能は人とともに消えていく。これは技術ではないから容易に継承できないのである」と教えてくれた。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


上記のアメリカのQCの権威は将にその技能者であった。彼は何物にも代え難い存在だった。彼はFeed gate(給紙、で良いだろう)から1分間に何十枚もヒート・シールの工程に入っていく30cm角の紙が数ミリの間隔で送り込まれていく様子を、首を振りながら見つめていて「ギャップが広がりすぎている」などと指摘する。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


このような優れた技能者がいることで、アメリカの製造業や加工業が設備投資をしないで済ませていたとは言わない。しかし、機械に過剰に依存しているかに見える手先の不器用な人が多いアメリカにも、日本の基準にてらしても超弩級の技能者がいたのである。<o:p></o:p>


 <o:p></o:p>


ではあっても、儲からなければ、目標値が達成できなければ新規投資はしないとの経営姿勢が、今日のアメリカ製造業の衰退、ひいては経済の不振の一大原因であるのは間違いないこととであると信じている。それなのに、未だにM&A等に頼って、他社の設備を買収して自社の足らざるを補う政策を採っている。果たして、最新鋭の設備を導入せざるを得ず、設備過剰で内需不足で輸出依存の新興勢力と比べればアメリカが周回遅れなのか、それとも一周先に行っているのか?そこが問題だ。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


ここに採り上げた技能者はすでに75歳で引退している。世界最大のインターナショナル・ペーパーはこのような事業部を売却して、前途有望な中国に拠点を移す姿勢を見せた。自国民の便宜よりも自社の経営方針を優先したと見えるのだが。<o:p></o:p>



自転車は恐怖だ、チリンチリン鳴らせばいいものじゃない!

2008-03-24 07:28:24 | 200803

昨日も歩道で危うく正面衝突されそうだった。兎に角頼りにできない総理大臣を抱えた自民党ではなく、国家の恥を世界にさらさせている民主党にでもお願いして、自転車に関する道交法を今すぐ変えて貰いたい。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


今更言うまでもないが自転車に乗っている奴らの神経が解らない、じゃなかった精神状態だった。昔から日頃おとなしい人でも自動車を運転すると横暴・粗暴・乱暴な言葉遣いの人格に豹変すると言われていた。現在では自転車乗りが傘を差し、二人乗りをし、歩道を超高速で、我が物顔で、走り抜けるなどは穏やかな方である。自転車に乗っている奴らは車道を走っている自動車よりも怖い。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


耳にヘッドセットをさして、携帯端末(あれは最早電話ではないと思うが)でメールを打ちながら走っている奴だっている始末だ。反射神経未だ衰えぬ当方は前から来た場合は避けられるが、後ろからは再三再四ぶつけられ、こすられて怖い思いをしている。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


それだけではない。前後に子供を乗せているママチャリ、嫌な言葉だ、自転車と全部言ったところでかかる時間の長さは同じだろうに、も怖い。何故かと言えば、もしあの自転車にうっかりぶつけられて事故にでもなれば、こちらの責任にされそうだから。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


ここに至って、どうやら法律が改正される方向に変わったらしい。そこで問題になったのが本来は禁止されている母親とその子供の二人乗り、三人乗りだそうだ。ところが、立法機関も理解を示して、複数の子供を乗せても安全な自転車が開発されれば、それを認めるとの条件を出したらしい。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


その際、母親たちの言い分もテレビで流された。私はそれを聞いて気が変わった。彼女らを支持することにした。それは簡単なことだった。彼女らが言うには幼子を家に残して買い物は言うに及ばず、何処にも出て行けないのだから、危険を覚悟で前後に乗せているのだそうだ。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


これは聞き捨てならないと思った。この少子・高齢化の時代に平均の出生率を遙かに上回る23人の子持ちの母親を支持して上げなければ、日本の将来が益々暗くなると痛感した。所轄が厚労相だが国交省だか知らぬが、是非可及的速やかに法改正に着手して、ママチャリではなかった母子用の自転車の開発をメーカーに要望すべきだ。聞けば「ベンツ」と呼ばれている高級車まであるそうだ。ベンツなどとケチなこと言わずにロールス・ロイスでも何でも低コストで開発して貰いたいものだ。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


その変わりに、それ以外の用途の自転車は速度も上がらず、チリンチリンもならないように設計変更して貰いたい。それに車道にもバスレーンと重複するなどと細かいことを言わずに、道路特定財源から資金を投じて自転車専用レーンを中国並みに(?)設ける努力をせよと命令したい。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>


警察には違反者には自転車取り上げと、一件の違反につき100万円くらいの罰金を取るようにお願いしたい。それがダメなら体罰だ。<o:p></o:p>


ところで、この件は何処の誰に請願するべきなのだろうか?<o:p></o:p>