新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米企業社会における文化の違い#11

2008-03-11 07:25:15 | 200803

承前<o:p></o:p>


その前に今回は「意外なことを聞くものだ」と思われそうな「違い」に触れていく。<o:p></o:p>


10)対日交渉術-お客様が言うことを最後まで聞け:<o:p></o:p>


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論争と対立を怖れない欧米人:ここが日本とアメリカの大きな相違点の一つであると信じて疑わない。日本の美徳は相手の立場を尊重し、徹底的な論争や、その結果として生じかねない致命的あるいは感情的対立というか、敵対関係を回避する努力をすることであろう。具体的な例を挙げれば、「折角遙か太平洋の彼方から高額な航空券を購入してこられた方との論争を避けて何らかの結論を導き出して、そのお使者の顔を立てて上げなければ」と極めて好意ある考え方と姿勢で、両社の命運を賭けたよう交渉の場に臨んでいるのだろうとすら感ずることが多かった。<o:p></o:p>


 ところが彼らはそういう奥床しい日本側の姿勢など知る由もないのだ。彼らは学校教育で「論争」すなわち”debate”、”dispute”、”argument”の方法を学んできているし、人は皆異なる意見を持っていて論争して結論を出すのが当然と心得ている。従って対立を怖れないし、激論を交わした結果感情的になることもないことが普通だ。日本側もこういう異なった考えを持つ人種がテーブルの向こう側に座っているとは知らない。だから噛み合わない。そして、感情的になってしまうことが多いのが残念だ。<o:p></o:p>


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これを言うことで失うものはない:これもまた我が国の人が持ち合わせていない論争、議論、討論の際の彼らの手法であり感覚である。時にはこのような言い方をする彼らを「ゲーム感覚」と捉えている向きもあるが、必ずしもそうとは断言できない。彼らは自分たちにとって最高・最善の結論が出るようなところから論戦に入ってくることが多いと知らねばなるまい。例を挙げよう。その話し合いが1,000万円の総額で纏まりそうだと事前調査で解っていたとしよう。日本側もその辺りが落としどころというか妥当な線だと解っていたとしよう。従って日本側はそれ以外の条件提示があることに備えていなかったと仮定しよう。すると、彼らは”We have nothing to lose by offering 11 million.”という意表をついた条件から入ってくることがあるのだ。勿論、第2案としては100万円引きを準備していても、なのだ。<o:p></o:p>


 これには日本側は当惑して考え込んでしまい、これも勿論仮定の話だが「それでは中間を取って1,050万円で如何?」などと妥協点を探ってしまうのである。注意すべきは、彼らは妥協点を探ることはせずに、相手を屈服させることを目指していることである。それに対して、日本側は「今日までの両社の友好関係を考慮し、お使者の顔も尊重して妥協しよう」となってしまうことが多いのだ。論争と対立を回避する美しい思想は彼らには解って貰えないのだ。<o:p></o:p>


 だが、全部の日本の会社がこうではない。勿論、彼らはたじろがせるほどの”tough negotiator”はおられる。だが、一般論として私の実感では「謙譲の美徳ネゴシエーター」の方が多かった。心の中では「相手の顔をお立てになるとか、譲歩なさらなくても良いのですよ」と叫んでいたことすらあったのだ。「ノー」と言いたい時はハッキリと、石原慎太郎君のように「ノーと言える」ようにするべきである。黙っていると「イエス」だと、彼らは解釈するのであるから。<o:p></o:p>


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感情論:アメリカ人の中には「そういうことを切り出されては、折角今日まで我々が貴社と築き上げてきた友好関係、すなわち”Beautiful relationship existing between our two companies”を損なうので、その条件は再考願いたい」と反論されると弱り切っていた。そんなことでは譲歩しないのだが、会談終了後に「またもやあの感情論が出てきた。我々は9,000kmも感情論を戦わしに来たのでもなければ、友好関係と取引しているわけでもない」と苦り切っているのが常だった。彼らにとっては、折角相手の立場と顔を尊重する日本人の美しき礼儀正しさと配慮が「感情論」としてしか認識されてないのだ。私はこのような微妙にして重大なすれ違い、相互の認識不足を糺すのが重大な仕事と認識して、「文化の違い論」を唱え始めたのだった。これは重要なこととご認識願いたいのだ。<o:p></o:p>


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聞き役に徹しようとしたアメリカ人の成功物語:<o:p></o:p>


我慢、我慢、相手が言うことを最後まで聞け:これはアメリカの会社にとっては「定着することが極めて難しいと言われる日本市場」で大成功し“日本人キラー”の異名を取ったあるマネージャー(後に副社長に昇進)からその成功の秘訣を聞いたことがあった。1970年代の後半のことだった。<o:p></o:p>


 彼はこともなげに「それほど難しいことではないが、ある意味では途方もない忍耐力を要求される苦痛に耐えねばならなかった」と語り始めた。ご存じのように彼らは論争と対立を恐れない人種である。相手が話している間でも遠慮なく割って入り、話の腰を折ることを何とも思わずに論争を挑んでくる。口角泡を飛ばすような論戦は普通の日本人はあまり得手とはしていない。彼らは聴いている方がハラハラするほど激しく議論をしても、感情的にはならない。それが終わればニコニコと握手をして「良い討論だった。さてこれか楽しく晩飯でも一緒にするか」と言うのである。これは我が国の人には至難の業である。余談だが、クレームの話し合いで半日話し合った後で「さて、夕食にお誘いしたいのですが」とこちらから声をかけた時に「このような気分にさせられた後で、貴方方と飯を食う気分にはならぬ」と一喝されて、アメリカ人達が途方に暮れたこともあった。<o:p></o:p>


 ところで、このアメリカ人は何回となく日本に来て売り込みを図っていた。だが、思うように実績が上がらなかった。そこである時ふと気が付いて、相手が無意味な(失礼!)長話を始めた時に途中で切り込まず、最後まで聞いていた。論戦を挑まなかったのだそうだ。彼は別に何の理由もなく聞き役に廻ったのだそうだ。ところが、それに対する反応は驚くべきものだった。「彼は良い人だ。話の腰を折らず我々の主張を最後まで聞いて、反論もせずに受け入れてくれた。我々はこういう人と取引をしたいのだ」とその見込み客が言いだしたのだそうだ。彼は決して日本側の言い分に納得していなかったのだそうだ。だが、それ以来話がトントン拍子に進みついには成約に漕ぎ着けたのだそうだ。<o:p></o:p>


 そこで彼は「これからはこの手で行こう」とばかりに、どれほど退屈で、苦痛でも、無味乾燥な議論でも、じっと耐えて最後まで聞くように努力したのだそうだ。その代償が「彼こそが信頼するに足るアメリカ人」という定評になり、何処に行っても大歓迎で望み通りに売れるようになったのだそうだ。彼の表現は”Be a good listener. Hear them out.”だった。すなわち「良き聞き手たれ。相手が言うことを最後まで聞け」だった。<o:p></o:p>


 当方もこの彼の手法に学んで同じ事業部の人たちにも「論戦を挑むな」、「相手の話の最中に腰を折るな」、”Be a very good listener!”と教え込んだ。そして見事な成果を上げさせた。ある技術サービス部長などは奥方までも「短気者」と嘆く性格だったが、じっと耐えて聞くことに懸命に努めた結果、何か事故があれば「彼をアメリカでも出張先からでも呼んでくれ。彼は話がわかる男だから。何とか無難に解決できる」と信頼されるまでになった。そこには何ら難しい理屈も理論もなかった。人対人の関係はこうやって築き上げるものであるとの教訓があった。日本で成功するための教訓は”Be a good listener! であり、上述のように「感情論に馴れろ、感情論に流されるな」でもあった。如何ですか、この話。<o:p></o:p>


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11)日本の会社員は良く働く?<o:p></o:p>


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本当に日本の会社員は良く働いているのか?:嘗ては日本の会社員は溝鼠色のスーツを着て毎日毎晩遅くまで良く働いていると、半ば揶揄するかのような論調が蔓延していた。中にはサラリーマンを「社畜」などと明らかに侮蔑した表現をする者まで現れていた。確かに日本の会社員は管理職になる前か成り立てくらいの人たちは、本当に長時間良く働いていると思う。だが、ここで採り上げたいことは「何かと比較しているのか?」という点である。その昔よくマスコミが日本の会社員が良く働いているという例に「商社の海外の支店では夜遅くまで灯りが消えない」ということがあった。これも誤りではない。だが、日本の会社では何も海外勤務の人たちだけが遅くまで働いているわけでもあるまい。論ずべきは「何処で」「誰が」「どのように」「何と比較して」等ではないだろうか。すなわち、ここに抜け落ちていた点の一つには「アメリカの会社員はどのように働き、日本と比較したらどうか」ということがあっただろう。<o:p></o:p>


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アメリカ人の仕事ぶり:アメリカのビジネス・パーソン(注:女性がいるのですよ)は、その組織は個人単位であるとはすでに述べた。日本では課、部、事業部、工場、支社、本社と全体が各単位で仕事をしていると言っておけば比較しやすいと思う。<o:p></o:p>


 アメリカではJob descriptionがあって各自がそれの範囲内でと言うかそれに基づいて仕事をしている。換言すれば、解りやすく言えば、各自が与えられた目標を達成するために、自分で自分に命令を発して動いているのである。これだけ相異なる働き方をしている両国を比較することに余り意味がないのではないか?アメリカ式では自分に割り当てられた量と目標が達成できないことは許されない。であれば、朝は6時からでも出勤し、夜は10時でも11時でも残っている人がいる。これは各自の責任の問題である。だから、全体というか集団で動く日本の組織と比較することに、意味はないと思っている。<o:p></o:p>


 皮肉ではなく言えば「日本の組織では最も若い年齢層の担当者クラスが最も労働時間とその量が多いのが一般的だと思っている。だが、その量と収入は比例することはない。管理職に昇進した人たちが、若かりし頃のように物理的に働いていることはない」と思う。これは、高給を取り責任も重い人程良く働かざるを得ないアメリカとは対照的である。アメリカの組織では、その収入に見合うだけの仕事量をこなして実績を挙げなければ職を失いかねないことになるのだ。日本では「偉くなった人は部下を教育し、時には褒め、時には叱咤激励して使い、その集団の成績を上げなければならず、自ら走り回るのは彼または彼女の仕事ではない」のだ。<o:p></o:p>


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Quick response”:ここでは一寸話題が変わるが、アメリカのごく一般的な事務員の仕事の能率を採り上げる。シアトルでのことだった。ある労働問題のマネージメント・コンサルタント(女性で、当然の如くMBA)と懇談した際に、その社員教育用の資料を見せて貰った。項目の中に”Quick response”=「速やかに(お客に)返信する、または答えを出す」というのがあった。<o:p></o:p>


 不思議に思って尋ねた。「こんな当たり前すぎる基本的なことを、何で今更教えるのか」と。答えは二つ。先ず「そう教えておかないと、そうしなくなる危険性があること。彼らは言われていないことや教えられていないことはできないというか、しないのである」。次は「アメリカの事務員クラスは遺憾ながら質が低いので(unskillful”などという言葉だったか)、こんなことから教えていかなければならない。日本と一緒にはならない」でした。そういう問題があるとは経験上承知していたが、矢張り正面から言われると「何だ!知っていたのか」と驚かざるを得なかった。<o:p></o:p>


 これは嘗てAmbassador Carla Hillsが指摘したアメリカの労働者には「『初等教育の徹底の必要性』と『識字率の向上』の必要性がある」と相通ずる問題である。アメリカとはこういう国だと、こういう人を抱えていることもある国だと、承知しておかねばならない。<o:p></o:p>


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アメリカの会社は返事が遅い:これは我が国との明らかな相違点であると言うべきか、認識不足とするべきか知らぬが、問題点でもあると思う。何度か日本の会社の貿易(古き懐かしき響きがある)担当者が「アメリカの会社は反応が遅いというか、返事が来なくて長い間待たされてイライラする」と嘆き且つ怒るのを幾度なく聞いた。<o:p></o:p>


 ここに二つの問題がある。一つは言うまでもなく先ず上記の熟練度の問題。日本側に落ち度はない。二つ目があるということは、日本側にも問題があったのである。<o:p></o:p>


 英語の表現に問題があった。その昔(今でもあるのかな)”Commercial Correspondence”(=コレポン)という何処か特殊のような技能があった。実は当方はこれの勉強をしたことがないが、多くの場合コレポンの結びに”Looking forward to hearing from you.”や”Waiting to hear good news from you.”だとか”Please advise us at your next (earliest) convenience.”だとか、”Please let us hear from you as soon as possible.”等と丁寧に書けと教えていたらしい。これがいけないのだそうだ。<o:p></o:p>


 あるアメリカ人の女性で日本の秘書学校で教えている方が「誰が、何のために、こういう不明確な文言で手紙を締めくくれと教えたのか?不思議でならない。日本人のコレポンには往々にして『何時までに必ず返事が欲しい』と一言も書いてないのがほとんどだ。だが、結びの文言は書いてある。これでは先方のconvenienceでしか返事をしないで良いと思うし、『待っている』と言うのならば、こちらの都合が良くなるまでずっと『待って貰おう』と優先順位が下がるだけ」と切って捨てた。こちら側の相手の顔と立場を尊重したつもりの日本的な表現が、逆効果で放置される結果を生むのだと解説してくれた。<o:p></o:p>


 こういう際は明確に、失礼になるかなどと奥ゆかしく考えずに「必ず何月何日の何時まで」を指定して、確実を期せば「何時」が日本時間(our timeJapan time)か、相手国の時間(your time)かを付記するとより親切だろう。こうすれば、万事能率尊重の国からは、確実に期限までに答えが返ってくる、相手が”quick response”を学んでいれば。事務的すぎて潤いがない-などとか、相手に失礼か等と考えては仕事にならないと知っておくべきだ。ここでの教訓は「日本人は意外にせっかちだ」ということか?<o:p></o:p>


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アメリカの会社では偉い人程働く:アメリカで偉くなった人というか偉くなりたくて偉くなった人がどれほど働くかの例を挙げておこう。上席副社長級ともなれば朝は6時前から出社し帰るのは89時などは当たり前で、出社しない土曜日もある。<o:p></o:p>


チャーリーというCEOに次ぐ#2でハーヴァードの法科大学院(Law School)出身の天才と自他共に許したPh.D.がいた。彼がSenior Vice PresidentSVP=上級副社長)に昇進したのは 30歳代の後半だった。木材部門出身であった。弁護士の資格も持っていた。
 この人の働き方は尋常ではなく「彼は何時寝るのだろうか」と誰しもが思うほどだった。因みに、彼はある日突然不動産部門から現れたジャックに追い抜かれ、この新CEOの下で木材部門総括のExecutive Vice Presidentで終わった。1933年生まれ。
 70年代後半に彼が来日した際のスタッフ・ディナーの席上で、東京駐在の副社長が無礼講を宣言した。その直後に勇敢な東京駐在の若手日系人社員がチャーリーに。
"Charley, you work like a machine and I wonder when you will take a break. Could you tell us your daily schedule and, if you don't mind, please let us know how many times a week you love your wife."
と尋ねた。ここは敢えて日本語にしないので、その意味をお考え下さい。
 チャーリーが苦笑いして言ったのが、以下に引用した答えである。話を短くすれば、<o:p></o:p>


「ほぼ週6日制で働きSVPの激務にも馴れてきたので、出勤しないでも済む土曜日もある。日曜日は家族と過ごすために絶対に仕事は持ち込まない」
 その日常的スケジュールはと言えば、<o:p></o:p>


「起床は朝3時。昨夜からのし残しの仕事を片づけて4時から犬の散歩。5時から朝食。6時に出勤。8時に秘書が出てくる前までに、また残りの仕事と時差がある東海岸と電話。それから後は秘書が設定したスケジュールで17時まで。それから20時までには帰宅。夕食。それから翌朝1時頃まで仕事。それに出張も会議も得意先訪問もある」のだそうだ。
子供が4人:なお、1週間の回数についてチャーリーは、<o:p></o:p>


"I certainly love my wife but I would not disclose how many times a week here. But instead, let me tell you this that I have four children."のように、巧みに答えていたのが印象的だった。これが#2の副社長主催のスタッフ・ディナーの席上の出来事である。アメリカの会社の雰囲気はこのようなものだという例にもなりはしないか?日本の会社で偉い役員に公式な席でこういうことを聞く人がいるだろうか?<o:p></o:p>


この話を私が本社で語った際に、多くの片時もユーモアを忘れないアメリカ人の同僚からは「何だ、これまで4回だけか」と「ナルホド、最低でも4回だったのだ」との二種の反応があった。日本国の会社では想像もできであろう現象では?田舎者の集団と自虐的に言う者までいるW社でもこれである。
 このチャーリーの仕事ぶりを何人かのマネージャー& upに確かめてみた。答えは「誰も驚かないさ。高給取りだし、彼はそれが好きでその地位に上がったのだから、そのくらい働くのは当然」と突き放されてしまった。<o:p></o:p>


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アメリカの会社員は権利意識が強い:この点にも簡単に触れておこう。これも昔からよく誤認識されていた。すなわち、数多くの海外事情に疎い(失礼!)方がアメリカ視察をされて会社や工場を訪問、見学した結果「アメリカ人は権利意識が強いから、5時になればあっさりとやりかけの仕事を放置して帰ってしまう」と言うことが多かった点である。確かにその通りかも知れない。だが、そうやって帰ってしまう人は給与も高くはなく、担当する仕事の量も少ないのであって、権利意識の問題ではない。貰っている給与分だけ仕事をすれば十分で、会社に対してそれ以上働く義理はないと考えているだけである。ましてや、工場でこういう現象を見た人は「時間給」の人たちが直を終えて帰っていくのを見たのだろうと疑いたくなる。彼らには自発的に残業をする理由がないのである。<o:p></o:p>


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仕事についての日米間の相違点:欧米の企業では責任と働く時間とその量は、所得に比例して増えていくので、高給を取る以上物理的にも沢山働くのは当然というのが社会通念である。ここは日本との違いであるが、何故違ってきたかに触れずしてこの比較を論じては誤解を生ずるだろう。敢えて結論めいたことを言わせて貰えば、比較することの意義はないとなる<o:p></o:p>


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欧米の会社では何故長期休暇が取れるのか?:ここにも著しい理解と認識の不足が認められる。マスコミがそう伝えるし、一般的にも「アメリカの会社員は優雅に長期休暇を取ってやれハワイだのアラスカだの、欧州旅行だのと楽しんでいるではないか。我が国と比較すれば何と羨ましいことか!」と思われがちである。遺憾ながら、これも立派な誤認識・誤解である。<o:p></o:p>


 思い出して頂きたい。Job descriptionを与えられ、個人単位で仕事をする組織である。“誰が病欠をしていようと、出張中であろうと、休暇中であろうと、俺とは関係ない”という世界である。確かに当然の権利として休暇は取れる。有給休暇(Paid holidayで良いだろう)があるのだから、それを取って休暇にでるだけだ。但し、「休暇でオフィスを空けた際に誰が補ってくれるのか」という問題がある。誰も面倒は見てくれないのだ。当たり前だ。秘書がいるだろうと言いたいかも知れないが、秘書のJob descriptionに「休暇中のボスの仕事を代行する場合に、特別にX?を別途支給する」と規定されていれば代行してくれるだろうが、そんなことがあるはずがない。それならばボスそのものが不要になってしまうではないか!<o:p></o:p>


 ということは、休暇を取った場合はその不在の間に溜まった仕事を、休暇明けに懸命になって自分だけで消化しなければならないのである。これは大変なことである。そのためにというか、リフレッシュするための休暇であっても、その代償はかなり厳しいものがあると知って貰いたい。この点を日本の組織と比較するまでもあるまい。譬え貴方が倒れても、誰かが懸命にその不在を補ってくれているのではないか?どちらの休暇の在り方がよいかを問い直して貰いたい。妙なアメリカ礼賛というか、羨望の眼で見ない方がよいと言いたいのだが。因みに、かく申す私はその恐ろしさと得意先との関係を考えて、1週間の休暇を取る勇気が出てくるまでに長い年月を必要とした。<o:p></o:p>


続く)<o:p></o:p>