新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米企業社会における文化の違い#3

2008-03-03 13:28:07 | 200803

1)同じ会社で何処が、何が違うか-その1<o:p></o:p>


文化の違い:<o:p></o:p>


逆さの文化:他国の文化を認識するためには先ず自国の文化を知らねばならないと信じている。その一つに「逆さの文化」、すなわち”Reversed culture”がある。これは文化比較論のいわばウオーミング・アップのようなものと捉えていただきたい。最初に意外な程知られていない重要な「逆さの文化」から採り上げていこう。<o:p></o:p>


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謝罪の文化:これこそが我が国が誇る美しい文化である。だが、遺憾ながら世界に遍く通用しない。自らの非を自発的に認めて謝罪するのは我が国だけで、諸外国にこのような文化は存在しないからである。この相違に対する認識は何も企業社会だけに止まらず、マスコミも含めて日本全土とアメリカ社会にも欠落していると思う。<o:p></o:p>


我が国では何か過ちを犯した場合や、企業が社会問題になるような事故を起こした時にも、事後処理の具体的な交渉・話し合いに入る前に、先ず謝罪することが重要である。近頃では事故を起こした会社側の幹部が揃って記者会見を行い謝意を表した後に、カメラに向かって深々と頭を下げることが儀式となっている。マスコミも何かといえば謝罪がないと騒ぎ立てる。何とか言う外国資本のエレベーター会社の事故で不幸にも犠牲者が出た時には、会社側の謝罪がないと糾弾した。<o:p></o:p>


 アメリカを含む諸外国には自分たちに非があると認識していても、直ちに謝罪することはない。特に、謝罪が経済的補償や弁償を伴う場合には絶対と言いたいくらい”I am sorry.”と言って自らの非を認めたりはしない。俗に言うではないか「アメリカでは歩行者同士でぶつかったような場合に、軽々に”I am sorry.”等と学校で教わったような謝罪の表現を使うな」と。<o:p></o:p>


補償をするとかしないかではなく、兎に角アメリカ人は”I am sorry.”とは言わない。だから彼らが謝罪もしないし補償をしないのではない。彼らも追い込まれれば謝るが、その場合に言うことは精々”I regret we made a mistake.”程度である。あのエレベーター会社は散々引き延ばした挙げ句の果てに、社長か日本支社長が”regret”という単語を使って謝意を表していた。これが最高の謝罪の意思の表明であると知れ。これを日本式単語帳の知識で訳せば「はなはだ遺憾」であろうから、「彼らには罪の意識がない。謝罪しない」となるのである。彼らは補償することまで拒否はしていなかった。<o:p></o:p>


 私はアメリカ人には何度も「日本人は水に落ちた犬は撃たない。だからどんな台詞でも良いから兎に角謝れ。そうでなければ、得意先に誠意がないと思われて補償交渉を始められないのだ」と懸命に説得したものだった。「”Regret”でも良い。兎に角意思表示をしろ」と繰り返し叩き込んで、ついには謝るようにさせた。彼らとても、謝罪すれば得意先に無理無体な補償をさせられたことが一度もならなかったと学習したのであった。お互いにこの程度のことも認識しあっていないとは、日本側に道路の舗装法を知らない社員が多いからだろうと、私は疑っている。<o:p></o:p>


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出張旅費制度:これも明確「逆さ」だと思うので、別に一項目を設けて説明しよう。我が国では一般的に宿泊費が「定額制」で、それも一般社員と役職者では金額が違っていると思う。実は、日本の会社の頃から不思議な制度だと思っていたが節約を旨とする日本ならではの制度であろう。参考までにこれは英語では”Per diem”という制度である。これだと、うっかり調子に乗って飲み食いすると「足が出る」というものだった。これは外国人には「?」となるものだ。<o:p></o:p>


アメリカではどうかといえば「実費制」であり、出張中に発生した全ての経費には領収証を添付して旅費精算する。これは”Ad valorem”という制度である。それに実費制ということは「出張とは会社のために遠くまで出て行くことであるから、旅行中の経費は全て会社負担である」という有り難いような制度である。「ような」としたのは、何処かの国の政治資金ではないが、概ね「25?以下は領収証不要」であるが、如何なる出費も領収証(証拠書類)を添付せねばならない。各人は何時何処で何に出費したかを正確に記録していないと請求漏れがでるし、チップも請求して良いのであるから、几帳面にメモを取る正確でないと大変なことになる。私はチップ以外には金額の多寡を問わずに全部添付していた。因みに、チップだって、そう言えば領収証は貰えるのだが。極端なことを言えば、出張先の町の会社の契約ホテルが取れずに、一泊500?の部屋しかなかったのであればそれも認められるし、お客様の求めにより一人当たり500?もする法外で高価な夕食会を催しても良いと言うことになる。但し、十分に上司を説得できる理由があればだが。すなわち、全て各自の良識の範囲内でなければならないのは当然である。<o:p></o:p>


こういった話を取りあげると、旅費制度以外では多くの方が「そんなことまで違うのか?」と言われるが、こちらからは「こんなことから違っているのです」とお答えするようにしている。こういう違いがあることを承知していれば、本当の意味での「文化の違い」にも比較的自然に入っていけると考えている。<o:p></o:p>


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一般論:次は一般論的な逆さの文化の例を挙げておく。この話をすると、こんなことまで違うのですかと言われる方が多いが、私は「こんなことから違うのですよ」と申し上げるようにしてきたのだが。<o:p></o:p>


名前-日本では苗字が先の”Last name first”で、アメリカでは苗字が後の”First name first”になっている。このために日本のマスコミは外国人を常に”last name”で報道する傾向があり、実は苦々しく思っている。<o:p></o:p>


住所表記-日本では大きいものから始める。例えば「<st1:msnctyst w:st="on" addresslist="13:東京都中央区日本橋3丁目;" address="東京都中央区日本橋3丁目">東京都中央区日本橋3丁目</st1:msnctyst>」という具合であるアメリカ式は”Seattle, Washington, U.S.A.”と小さいものから始まっていく。<o:p></o:p>


交通-日本では左側で、アメリカは右側である。自動車のハンドル(=Steering wheel)も同じ。<o:p></o:p>


-日本では手前に挽くが、アメリカでは向こう側に押す。<o:p></o:p>


時間の表示-これはスポーツの場合だが、日本式は多くの場合経過時間を表示し、アメリカ式は残り時間を表示している。<o:p></o:p>


売り込み-日本では謙遜というか謙った語り口となるが、アメリカ式は「我こそ最高」と主張し”It’s a mistake, if you don’t buy from us.”等と平然と言う。<o:p></o:p>


ボールカウント-野球のことで、日本では本国のアメリカとは反対にストライクから先に言うが、本場ではボールが先である。何故こうなったのだろうか?<o:p></o:p>


手招き-日本式は掌をしたにしているが、アメリカでは掌が上を向いている。<o:p></o:p>


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思考体系の違い:<o:p></o:p>


二進法対十進法:これは非常に重要な違いであると認識している。だが、その割には日米相互にほとんど認識されていないとも確信している。勿論、十進法を取るのが我が国である。この違いを承知していないと、アメリカ人は言うに及ばず欧州の人たちとの交渉・折衝・話し合いでも戸惑うことも、何が何だか解らないことにもなるのである。<o:p></o:p>


 ここに言う二進法とはコンピュータと同じ方式でゼロの次が一で、ゼロ→一と進んでいくことを指している。言い換えれば「黒か白か」、「やるのかやらないのか」、「買うのか買わないのか」という具合に、常に二者択一で物事を考えている人種だと言うことである。すなわち、「相反する両者の主張の間を取って妥協」や「黒白の中間を取ってグレーで決着しよう」などという姿勢はないと思っていなければならない。「わざわざ遠いところから飛行機に乗ってきてくださった方の立場を考えてその顔を立てて、両者の関係に傷が付かない妥協点を探って、何らかのお土産を持って帰って頂こう」などとは、絶対とは言わないまでも、先ず考えることない人たちであると知るべきである。すなわち、我が国には彼らとは逆さの思考体系があると主張しているのだ。<o:p></o:p>


 一方、我が国では彼ら一神教の民族とは異なる「八百万の神々」がおられるのである。極めて融通無碍に物事を考えている優雅なる「わび」「さび」の世界に我々日本人が住んでいるのだ。そういう心優しき民族だとは彼らは知らない。<o:p></o:p>


しかも相互に「相手は同じ人間で自分たちと同じ思考体系の持ち主である」と勝手に考えている。この乖離を弁えて外国人と折衝し、つき合わねばならないのだから、現実はかなり大変なことである。この点に関する無知と相互不理解がもたらした悲喜劇は多い。同時にこの点を承知していると、比較的苦労せずに彼らと話ができるし、その考え方が読めるのだが。<o:p></o:p>


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損をしてまで売らない:勿論アメリカ側の考え方である。大学教授から企業社会に転進して日本担当のマネージャーに就任して、顔見せに出張してきた。受け入れる東京の担当マネージャー2人は緊張して”Briefing”に臨んだ。彼らはごく普通に「日本は目下我々の製品の市況は低迷しており、当社の製品を輸入した流通業者は止むを得ず原価を切って販売している」と説明したそうだ。ところが、元大学教授は激怒したそうだ「私が初めて外国の市場を担当したばかりだから、日本市場の実態を何も知らないと思って出鱈目を言うな!何処の世界に損をして販売する商人がいるか!真面目に話をしろ」と言って。この反応には怒鳴られた方が驚いたそうだ。これなどは、日米間の「商い」に対する観念というか哲学の相違であろう。彼らの二進法思想では「儲からなければ売るな」であって、値段が通らない先には「残念だった。この値段を受け入れないならば他に売るしかない。縁があったらまた買って下さい」と言って引き下がる精神構造である。日本古来の商法「損して得取れ」の精神などを理解できる素地はない。<o:p></o:p>


大体からして彼らが「輸出」をどう考えているかだが、「国内よりも高く売れるから、国内の得意先に売るのを止めて海外市場に振り向ける」のであって、出血輸出だの飢餓輸出は念頭にない。「輸出とは国内市場の犠牲において行うもの」くらいにしか見ていない。これを健全というか国内優先と言うかは、読者諸賢の意見が分かれるところであろう。<o:p></o:p>


 我が国では、新規得意先や新規市場に対しては「特別価格」を提供して取引関係を築き上げ、それからじっくりと利益が出るように持っていく、いわば農耕民族的商法があるが、彼ら狩猟民族は「買うのか?買わないのか?ここで決めてくれ」と二者択一を迫る商法である。確かに”Introductory price”という言葉があるくらいであるから新規発売記念の安売りはあるが、その際はその旨をハッキリと今回限りであると買い手側に告知している。<o:p></o:p>


日本側ではこのようなアメリカの姿勢を高飛車と取って感情的になる傾向があるのは残念だった。<o:p></o:p>


続く<o:p></o:p>