新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカにも美味い店はある

2008-03-05 16:25:33 | 200803

少し堅い話を続けたので、方向を転換してみる。アメリカの食の名店である。アメリカにだって美味い店はある。
 
今日これまでに訪れたことがあるレストランや食堂で深く印象に残ったところを取り上げて紹介し、そこから見たアメリカを語っていこう。順序不同である。


1)美味い店:当方の評価では三つ星級を取り上げる。アメリカにもこんなに「美味い店」があるということ。


先ずはサン・フランシスコにあるフランス料理のMasa’sから。迷わず★★★と評価する。Masaとは1984年に亡くなった日本人シェフ“マサタカ”に因んだものである由。創業は1983年とあるからそう古くはない。これまでに東京の所謂「フレンチの名店」には数多く行っているが、このMasa’sはその味では日本の名店と並ぶ最高の部類というか、むしろ優れていると言いたいほどだった。1990年に初めてアメリカを訪れた家内も一緒だった。ご案内下さった商社の支店長が「23ヶ月前から予約で一杯な上、予約した日が迫るとレストランの方から本当に来るか否かを再確認の電話が来る」と聞かされても、半信半疑で出かけたものだった。


 私は日頃から味音痴と家族から厳しく評価されているが、デザートに至るまで全てがその私でさえ唸るほど美味だった。亭主とは異なり味には厳しい家内でさえも絶賛するほどだった。日本にもこれほど美味いところはあるまいと思った。それまでに経験した中でも最高級と評価している。


 Masa’sが如何に優れているかを立証するために、サン・フランシスコに駐在するある邦船の営業マンの言葉を借りよう。それは3度目にMasa’sを訪れた後のことだった。彼は「今回のようにノショート・ノーティスで来訪された前田さんなのに、予約を取ってしまう商社の力に敬意を表したいです。我が社は最初からMasa’sは諦めて和食を予約しておきました」と言ったのだった。


 味に敏感ではないとさげすまれることが多いアメリカ人だが、ここを高く評価しているということは、彼らも「解っている」のであると思う。場所は市の中心街からやや離れたBush StreetExecutive Hotel1階である。因みに、アメリカではこれほどの名店でも日本並みの値段ではないので、ご安心あれ。お勧めしたい。


次もサン・フランシスコで、そんな料理があるのかと言われそうな「カリフォルニア料理」の名店と言っても良いだろうFarallonを取り上げたい。ここには2000年に訪れた。ご案内頂いた別の商社マンに「あまりの人気で、予約時間までに正確に行かないと自動的にキャンセルされる」と聞かされていた。店内の雰囲気も高級感漂う1997年創業のレストランである。「なるほど」と思わせる味だった。「カリフォルニア料理とはそも何物ぞ」と言われそうだが、説明は簡単のようで難しい。大体からして「アメリカ料理」を定義せよと言われても困るからだ。言うなれば、メキシコ料理風のフレンチ/イタリアン風の料理とでも言えばよいだろうか。


 より解りやすく説明するならば、このエピソードが良いだろう。今やアメリカ全土にヒスパニックと総称される南米系の人口が急増し、メキシコに近い西海岸のみならず東部にも溢れている。そして彼らは料理人等のサービス業の仕事に従事しているものが多い。Farallonも例外たり得ず、厨房にはスペイン語が飛び交っているそうだ。スペイン語でなければ仕事が捗らないほどだと聞く。ところがある日、#1のアメリカ人シェフがオウナーに昇給かしからずんば退職をと迫ったそうだ。慌てて理由を訊くと「私はスペイン語の通訳をする分の給与を貰っていない。今後もシェフ兼通訳をせよと言われるならば応分の昇給を望む。認められなければ通訳の負担がない店からの高給の誘いを受け入れる」だったそうだ。


 地元の新聞にFarallonのメキシコ風味付けの由来について面白い記事を発見したので紹介しよう。ここの賄い料理は圧倒的多数のヒスパニック料理人の好みに合わせてメキシコ風だったそうだ。それをある日、オウナーも味わう機会があったそうだ。そして普通の料理をメキシコ風に味付けしたものが想像以上に美味だったので、賄い料理の何点かに少し手を加えて、メニューに載せたのだそうだ。それが意外に大当たりで、大変な人気となったというものであった。


 それがさらなる人気上昇の要因で、予約時刻に遅刻を認めないと言うところまで発展したのだから、昇給するのは#1シェフではなくヒスパニックの人たちかも知れない。その昇給のせいかどうかは知らぬが、ここはやや値段が高めで、1人当たり100?近くに達することもあるとか。場所は交通至便なPost Streetで、かの有名なユニオン・スクェヤーのすぐ近くである。評価は★★★。


次は少し北上してシアトルの#1との評価を得ている”Canlis”を紹介しよう。いきなり採点すると★★である。シアトル郊外と言いたいLake Unionの近く、Aurora Avenue沿いである。良くあることで散々道に迷って乗り付けると、Valet parkingでドギマギする日本からのお客様が多い気がする。このシステムは車を降りるや否や寄ってくる駐車係に鍵を預けて駐車するもので、そこで先ずティップを払わねばならず、帰りには玄関まで車を運んで貰いまたティップと、我が国では余り一般的ではない方式に有料高級感が味わえる。小銭(と言っても1ドル札)を数枚ご用意あれ。


 木造の何とも言えない味わいがある建物で、暖炉に燃える薪に懐かしさを感じたら貴方も高齢者か、アメリカの太平洋西北部の暮らしに馴染んだ方である。


 Lake Unionを眺められる部屋は最上階で予約が必要な広い個室で、そこにはグランドピアノも備え付けてある。このユニオン湖の沿岸はシアトル地区最高の住宅地で、かのビル・ゲーツ氏も5万坪の土地に豪邸を建ててお住まいである。


 さて、Canlisの味だが、景観料を込めても二つ星としたものの、アメリカのレストランとしたら非常に美味と言っていいだろう。


 値段だが、メニューを検討して日本の高級店と比較すれば「安いな」と感じることは間違いない。


2)海鮮料理:さて、我が愛するアメリか西北部の海鮮料理(=Seafood)をご紹介しよう。これぞ「素材とその味の良さを100%活かした、調理の技術をさほど要求しない美味である。その中でもPuget Soundという太平洋沿岸の入り江に面した”The Lobster Shop”の味は何度行っても楽しかった。楽しいとは言うが、かなり美味である、我が国の伊勢エビなどから想像もつかない大きさと素材の良さを活かしている贅沢な食べ物である。日本であれば何から何までで1人当たり何万円も取られそうなロブスター(Lobster tail)が、大きさにもよるが数千円で十分に味わえる。運が良ければ、内海に沈む素晴らしい夕日をも鑑賞できる。


 場所はシアトル市内ではなく、市内から1時間近くも国道5号線をひた走ってDash Pointというところまで行かねばならない。それだけの価値は十分にある。それが車社会の不便なようで便利な点である。この店から5号線に戻る辺りで飲酒運転を取り締まったらどうなるかなどとは考えないのが、アメリカ人のおおらかなところだろうと何時も思っていた。評価は★★以上ではない。


3)肉料理:さて、ここでは「アメリカでは何事でもスケールが大きい」を痛切に感じさせてくれるSteakhouseを取り上げたい。またサン・フランシスコに戻るが、市内ではない。”Jonesy’s”はカリフォルニア州のNapa Valleyの空港内にある。所謂ローカル空港である


 我が国では一般的にアメリカのステーキに対する評価が低いが、ここは一寸違う。石焼きステーキで味もまーまーである。それに使っている石には”Sacramento rock”というカリフォルニア州の首都の由緒正しき名前が付いている。「石」も予測とは異なり”stone”ではなく”rock”である。何しろかのNapa Valleyであるからワインも美味いそうだ。酒類を嗜まない私には解らないのが残念だ。ステーキの値段だって高くない。


 「何だ、その説明では何の変哲もないステーキ屋ではないか」と思われるだろう。かく申す私も帰路につくまでそう感じていた。何でこんな辺鄙なところまで連れてこられたかと不思議に思った。大体からしてNapa Valleyというが、広い広い平野で何処まで行っても山も丘も見えないのだ。いくら四方八方見渡してもValleyは見えない。案内してくれたのはサン・フランシスコの営業所長夫妻で、ナパ・ヴァレーの別荘の掃除に遙かサン・フランシスコの郊外のLarkspurから行くのにつき合わされたとばかり思っていた。


 それがとんだ誤解且つ認識不足と解ったのは空港の横を走っている時だった。空港にはひっきりなしに小型機が離発着している。余談だが、あの種の飛行機を「セスナ」と呼ぶのが一般的だが、それは間違いである。”Cessna”とは軽飛行機のメーカーの会社名であり商標である。それが何時の間にやら小型機の代名詞となっているのが真相である。その発着振りを所長さんが解説して曰く「あれはこのステーキ屋が大人気であることを示しており、一度来た客がやみつきとなり、遠くから自家用機で飛んでくるのだ」と。これには本当に驚いた。自家用機を持っている人はアメリカではそれほど珍しいことではない。ユニオン湖の周辺に住む富豪達の中には水上飛行機を繋留している人が沢山いるほどだ。


 それにしてもステーキを食べるために航空燃料を消費して飛来するとは、流石にアメリカではやることの規模が大きいと感心しながらLarkspurまで帰っていった。評価はスケールの大きさを加えて★★。創業は1949年とやや古い。


4)アメリカ人は食べることに貪欲:「アメリカ人は誠に気が長い」と感嘆した料理を紹介しよう。それはそそっかしい人が「イタリアにもピザがあるのか」と言うかも知れないと危惧する”Pizza pie”である。イタリアのピザと何処が違うのかという講釈はさておき、私はアメリカのピッツァ・パイの大ファンである。


 シアトルには西海岸で長年人気投票の#1を続けたという超人気店、”North Lake Tavern and Pizza House”という長い名前の名店がある。シアトル市の北の外れ、ワシントン大学(=University of Washington、州立である)の近くで、これまたLakeというからにはLake Unionの湖畔に位置する。


 1970年代後半のことだった。当時の本社の同僚2人に「名店でアメリカのピザを味合わせてやる」とばかりに案内された。到着して驚いた、その行列の長さに。案内役は平然と店内に入り待ち時間を問い合わせて帰ってきて「今日はラッキーで、たった1時間半待ち」と告げた。「冗談じゃない。たかがピザにそんなに待てるか」と反論したが、彼らはここでそれくらいの待ち時間で済むのは上出来だ」と頑として譲らない。列の前を見れば、彼らは楽しそうに語り合い美味いものが食べられる期待感に興奮しているようにすら見えた。今や我が国ではラーメン店に長い行列が出来る時代になったが、あの程度の長さではない。それでも、彼らは何事もないかの如くにおしゃべりをしながら待つのだ。実に気が長いのか、我々が短気なのか知らないが、誰一人として文句は言わない。


 味のことを言うのを忘れていた。ピザとしては三つ星でよいが、待ち時間の短さで(?)★★1/2である。一緒にピッチャーのビールを注文するのも良い。


 ピザをもう一軒。これはシカゴ市内の超人気店、Ohio Streetにある”Uno”。イタリア語の「一」である。ここは凄い。連れて行ってくれた当時の上司は隣町まで並んでいるかと思う行列を意に介さず地下の店内に侵入してきたが、平然として「最悪3時間待ちとなると言うから、店内のバーに場所を取ってきたから、そこで飲みながら待とう」と一行を地下に連れて行った。順番が来たら(そんなものが今夜中に来るのかと不安だったが)どうするかと尋ねれば、案内係にティップをはずんであるから迎えに来ると平然としていた。中西部の人たちは西海岸よりもずっと気が長いと感心するだけだった。


 Unoはいわば鉄板焼き風ピザで、縁がついた深くて大きな鉄鍋にチーズたっぷりのピザが出てくる。果たして3時間待ったのか、ティップの効果があり早く食べられたかどうかは記憶がないが、味は言うことがなかった。待つだけの価値は十分だった。ここの評価はシアトルを超える待ち時間に敬意を表して★★★である。長い間待つことを厭わないアメリカ人は美味いものを食べることに貪欲なのだろうか?


5)中華料理:中華も語らねば片手落ちだろう。アメリカにも何処に行っても「中華街」(=China Town)があり、サン・フランシスコが最大と聞いている。だが、ここでは”International District”と称しているシアトルの中華街の名店”Sea Garden”を語りたい。矢張り中華料理は国際的かと妙に説得力がある地名だ。


 味に自信がある店に良くある「クレデイット・カードお断りで、予約受け付けず」方式である。店構えはお世辞にも綺麗とは言えない。兎に角多少の現金を持って出かけて、駐車場を見つけて駆けつけて、予約表に責任者の名前と人数を記入して待つことだ。


 Sea Gardenの凄いところは何を食べても美味くて、驚くほど安いことだ。かのフカヒレなどはこんなに大きな器でこんなに沢山出てきて、しかもこんなに美味くては、一体いくら取られるかと不安になるくらいだ。味も値段も中国本土並みとまでは行かないが、日本の中華街ではあの値段であの味は食べられないと信じている。それでも★★1/2である。


6)日本料理:最後に西海岸の人気投票#1の日本食料理人シローさんを紹介して終わりにしよう。西海岸と言うからには場所はシアトルである。1975年以来通っていた。それでも「シローさん」が「カシバ・シロー」という名前であるとは知っていても漢字は知らない。シアトルには日本料理店は数多くあるが、彼ほど人気がある板前はいない。


 我がW社では日本からの団体のお客様をシローさんの出張サービス(catering service)でおもてなししたものだった。何もアメリカまで来て第1日目から和食もないではないかと思う場合もあったが、その新鮮なネタの寿司や野外バーベキューなどは出色である。特に私の好みはシローさん式の「イクラの醤油漬け」で、魚の卵を食べないアメリカでは高い食材ではないので、お値段を気にせずに心ゆくまで食べられるのが気に入っていた。因みに、アメリカでは鮪が捕れないので、これだけは期待できないのだ。


 シローさんには嘗ては“日光”(=Nikko)という自前の店を持っていたが、無店舗の時期もあった。だが、今では”Shiro’s”をシアトル市内の”Westlake”に出している。ここも予約時刻に行かないとキャンセルされる危険性が高い人気店である。079月に訪れた際の感覚で言えば、お好みで一人当たり56千円の予算で何とかなるだろう。店内には「日本人もいる」程度に地元民に愛されている。彼らはシローさんの独特の英語を駆使したジョークを楽しみに来ていると言える。同胞に敬意を表して★★★を捧げよう。




日米企業社会における文化の違い#5

2008-03-05 08:21:59 | 200803

承前
1)同じ会社で何処が、何が違うか-その2<o:p></o:p>


Job Security<o:p></o:p>


これは日本の社会にはないだろうと思われる概念で、その意味は「雇用確保」、「雇用保障」、「職業の安定」、「職の保障」辺りになるだろう。その詳細を具体的な例を挙げて説明していこう。<o:p></o:p>


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“Nobody is indispensable.”これは私に外資に転職を勧めてくれた日系カナダ人で英国の大手製紙会社の日本代表だった人が、いわば「座右の銘」として肝に銘じて覚えておけと言って教えてくれた教訓である。<o:p></o:p>


 簡単に訳せば「自分のことを“余人をもって代え難し”などと絶対に思うな。貴方を簡単に採用したということは、もしも不的確と判断すれば直ちに代わりの人を採用して君を辞めさせるぞ」ということであろうか。好条件で誘ってくれたということは、その高給に見合う働きがなければ、雇った側に解雇する権利があるのだと理解すべきである。<o:p></o:p>


 この点はかなり明瞭に日本の会社とは違う。そういう社会と十分に心得た上で、外資に身を投じろという意味でもある。<o:p></o:p>


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99%自分の職は安全だと思うが、残りの1%の失職の危険から身を守るために常に最善の努力をする」:これはW社の日本代表だった、日本の大手商社から転進してきた大先輩にして業界の有名人が言っていたことである。彼は良く言っていた「彼らアメリカ人がこの俺をクビにすることなどは99%あり得ないと思っている。それほど自信もあるし、評価されていると信じている。だが、彼らの手法というか社会通念では何か一寸した間違いがあれば、いともあっさりとどんな有能な者でも辞めさせる。譬え平常時にはその切られる確率が1%であっても、何かがあると一気に99%に膨れあがってくる。私はその1%を何としても1%に押し止めておこうと、常に全力で動いていなければならないし、会社もそれを期待していると考えている」と。<o:p></o:p>


 ここにも日本の会社とは決定的に違う点があるのだが、その「辞めさせる権限」の所有者は彼の(私のでも良いが)直属上司か、部門の最高責任者ただ一人であることを良くご理解願いたい。<o:p></o:p>


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“I’m not paid for that.”これを所謂意訳すれば「自分は自分に与えられた仕事をするための給与しか貰っていないので、それ以外の仕事をする分は貰っていない」すなわち、他人の仕事がどうなろうと自分は関係ないという、日本の会社の組織から考えれば「とんでもない」主張である。外資では各人の仕事の内容・詳細・割り振りは”Job description”に詳細に規定され明記されている。そしてその範囲内で給与を貰っているのであるから、Job descriptionにないことはやる理由はないのである。万一、隣のオフィスの人が休暇だからといって善意から手伝っても一銭にもならないのである。ましてや、そこで何らかの間違いでもしたら、その責任はどうなるという問題が発生する。だから、他人のことは構わない。であるから、ボスが休暇中に秘書がその代理を務めることはないと言える。彼女または彼はその秘書の分の給与は貰っていないのだから当然である。<o:p></o:p>


 だが、別な問題がある。Job descriptionの範囲内の仕事だけしかいないでいれば、先ず絶対と言える程大幅な昇給もしなければ、昇進もできない世界である点である。換言すれば、現状で満足ならば無理せずに言われただけのことをしていればよいかも知れないが、それでは何時か職を失う危険がある。守りの姿勢よりも、他人の仕事を奪ってまでもと言うのは極端だが、積極的に仕事の範囲を拡大して上司に認めさせねば、レースに取り残される結果となることを忘れてはならない。<o:p></o:p>


 別な言い方をすれば「これだけやったのだから、これだけ貰いたい」と主張する世界である。日本人向きかなという疑問は残る。何故ならば、昇給したら、来年はまたその上を行く働きというか結果を期待される。さらにそのまた来年はとなると、どうなるだろうか?<o:p></o:p>


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2)人事制度の違い:<o:p></o:p>


貴方の昇進はない:<o:p></o:p>


アメリカに面接試験を受けに行く:19751月、アメリカはワシントン州のW社にインタビューを受けに行った時のことだった。私を採用すると営業担当のマネージャーが決めた後で、人事の担当者にもあっておけと、人事部に回された。この人事部は日本のそれとは全く異なるぞんざいで、いわば社員の出入りの記録を取っているような仕事と聞かされた。この辺りは別途詳しく説明するが、日本の組織と採用のシステムとは全く異なっている。<o:p></o:p>


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中途入社の世界に飛び込む:この際に人事部ではかなりきついことを言われた。これもここでは詳細は省くが、飽くまでも中途入社が主体の会社である。しかも営業担当マネージャーの助手のような形で、日本担当の営業マンとして採用されるのだ。人事部では「貴方には昇進の道はない。どれだけ年数が経っても東京のマネージャーに止まるのだが、それを承知で応募したのか」と念を押された。承知はしていたが、それほどハッキリと引導を渡されると少しは気持ちが揺らいだ。だが、ここまで来て引き返すことはないので「承知している」と答えてこの面接は終わった。<o:p></o:p>


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日米の人事部門と制度の違い:<o:p></o:p>


新卒は何処へ行く?:90年代前半にDivision最大の日本の得意先Q社のT部長を本社にご案内したことがあった。慧眼のT氏は「この会社には新卒とおぼしき若手社員が見あたらないが、何か理由があるのか?」と重要会議の後の夕食会の席上で鋭い質問を投げかけてきた。


 これは彼らが好んで使う表現の”Good question!”であり、「良い質問です」とも言っているし「困ったことをお聞きになる」でもある。そして、日米企業社会における最も大きな相違点の重要な一つである。


 アメリカ側から先に説明すれば、彼ら、特に一定規模以上の大手企業、には新卒(予定)者を(就職浪人も含めて)定期採用するために入社試験をして、自社独自の教育を(給与を支払いながら)施して戦力として養成していくという考え方は全く取っていない。序でに言っておけば、採用された直後は「組合員」という制度も存在しない。それでは、4年制大学(undergraduate)の新卒者は何処に行くのか-という問題にぶつかる。大企業が採用しない以上、中小企業で経験を積んで希望の会社に空席が出来るまで待つか、インタビューのチャンスが巡ってくることを期待して希望する会社の事業部の責任者宛に履歴書を送り続けるか、ひとまず採用された職場で何処かにスカウトされるほどの業績と名を上げるか、人材派遣会社からパート・タイムで送り込まれた際に売り込むか、学生時代にアルバイトをしてその会社にコネを作っておくか等しかチャンスがないと思って良いだろう。


 さらに、日本の会社と根本的に違う点が二つある。第1はアメリカ(あるいはヨーロッパも?)では学生ないしは社会人がある会社に採用されることを狙うのではなく、特定の会社の特定の職、例えば営業や製造や経理を指す、を希望するのである。採用されても、研修期間を経なければどの部のどの仕事に配属されるのかが明らかではない我が国の制度とは違う。言うなれば日本式は「就社」で、アメリカ式こそ「就職」である。


General managerの仕事:2は日本の会社の権威的存在の「人事部」はないと思って誤りではあるまいという点である。アメリカの大手企業では事業部の本部長(Division General ManagerGM)は”general”と称しているのだから事業部運営の全般的な責任を持っている。すなわち、営業、製造、経理、総務、人事(採用、査定、昇給、馘首、事業再編成等)全ての権限が彼一人に集中している。だからこそ、この私の採用に当たっても人事担当者が出てこなかったわけであるし、出てくる理由もなかったのである。


 事業部員の採用、毎年の給与査定交渉はGMの重要な仕事である。彼らは仕事があって初めて人を採用するので、人を雇ってから仕事を作り出すのではない。従って定期採用はなく、各事業部に所属する全員の入社年月日は異なるし、給与にしてもそこに至るまでの職歴、実績、能力等々を基にGMと各人が話し合った上で決められているので、各人がバラバラであるし、他人の給与を知ったとしても自分の給与交渉に役には立たないのである。


 従来は年に1度のGMとの11の話し合いで翌年の努力目標と達成すべきゴールを設定し、翌年その結果を(当然数量化されている)話し合って、納得の上で5段階での査定が下されてきた。だが、近年は全員を集中的に同じ時期に行う会社が増えてきたと聞く。前年に自分が納得して設定した目標を達成できなかったならば、どのような結果になるかは「社会通念」として理解している。すなわち、最低ならば馘首があるという通念である。これを厳しいと取って貰いたくない。自分で決めたことの結果に従うのが当然と受け止めている民族なのである。近年は上司のみの査定や評価では公平ではないと、同僚による査定も広く実施されている。これは評価させる相手を選ぶことが出来るので、私も数名から依頼されて困惑した。それは思うが儘に低評価すれば、その通りに総合評価に反映される確率が高く、その人の不利に作用する危険性が高いからであった。


 出世にも触れておこう。学歴に大きく支配されているのは事実だろう。勿論、実力も兼ね備えていなければならないが。我がGM4年制の州立大学出身者で、アメリカの大手企業に数多くいるMBAではない。所謂”Fast track”に乗ることが珍しい学歴だった。これは実力があれば昇進できることを証明している。この辺りはこれまでに散々触れてきたので、ここでは手短に言えばアメリカの企業では入社年次や年功序列で昇進するのではない。直属の上司が年下であることを苦にして真っ向から不満を述べる人は少ない。有名私立大学大学院でMBAを取った者がある日突然入社してきて上司になること、大きな組織の責任者になることは珍しくない世界である。多くの場合Fast trackに乗る有資格者が昇進していくのについて行くしかない世界である。


人事異動:ここまで語ったのであればこれにも触れておくべきだろう。ここでも日米間の違いは際だっていると思う。GMがいわば会社内会社の社長の役目を果たしているのであるから、その事業部と言うか会社内会社での異動はあるが、日本の異動のような会社内を広く動いていく異動はないと言ってもそれほど誤りではあるまい。ある得意先(日本のである)で、会社の基幹工場の営繕課長だった人が加工工場の製造課長に転出してきたことがあった。アメリカ人は「あり得ない!」と言って驚いた。「まるで別の会社に転出してきたのと同じではないか。その専門家でもない人とこれから交渉するのか」と言って嘆いた。その得意先と同業の外資企業の役員(日本人である)は「そのような人事異動を平然と行う会社と我々専業者が競い合っても勝てないことがあるのは何故だろう。その辺りに万能選手というか”all-around player”all-round playerはクイーンズ・イングリッシュ)を育てているのが日本の会社の特徴である。我々はどうやら飽くまでも縦の組織内を動いているだけの専門家=”specialist”集団であるようだ」と評したのが印象的だった。


 別な表現をすれば、日本の大手企業のシステムはこのように社内の多くの異なった部門を経験させた上で、力量のある者を昇進させているように見えるが、アメリカでは飽くまでもその事業部門内での専門家に育てているだけで、専門家を昇進させて事業部の指導的立場に立たせようとはしていないと見てみた。経営担当者はその任に適した人物を会社の内外から選んできていると思っていた。しかも、経営の担当であるから、必ずしもその分野に精通している必要もないのかと考えていた。


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General ManagerGM)の役割:<o:p></o:p>


Generalmanageするgeneral managerGM):アメリカのGMはごく普通に実務を担当している点が日本の本部長との違いだろう。GMが重要な得意先を直接に担当するケースがあるし、事業部の得意先を年に何度も巡回訪問していることが多い。その意味では部門内で最も所得が多い担当者のようでもある。また得意先を訪問して具体的な商談を進めるのも決して珍しいことではない。私の最後の上司だった副社長兼事業部長は自ら最大の得意先国の日本を担当していたし、それ以外の諸国と国内の得意先も常に訪問していた。家にいられたのは月に数日だっただろう。そういう仕事のせいか、決して私行上の理由からではなく、私の上司だった副社長、部長2人は皆離婚する羽目になっていた。我が国では考えられないことではないだろうか?


 GMは毎日のように部員から無数のレポートを受け取っており、それには必ず目を通しで決済すべきものは即決しなければ部の仕事が進まなくなる。それだけではなく、部員同士のメモでGMCCが来ているものにも必ず目を通すのも義務である。アメリカの企業ではCCされた者が「読んでいなかった」「知らなかった」と言うことは許されないのである。これは言うべくして簡単なことではない。現在のように情報がIT化されていない時代には、GMも部員も常に膨大な枚数のレポートを持って歩かねばならなかった。そこにブリーフ・ケースが普及する理由があったのかとすら考えていた。


 GMとはかくも大変な職務なのだが、そのために高給を取っているのだし、中には「好きでなったのだし高給を貰っているのだから、忙しくて当然」と公然と言う部員もいる。


さらに忘れてはならぬことがある。GMの判断でその事業部の要員に採用される以上、日本式の事業部門間を横断する人事異動はかなり希である点だ。その部門を出ることはほぼ他社に転職する場合であろう。であればこそ、日本の企業で工場の営繕課長が本社の全く関係がない製品の営業課長に転出してくることは彼らの理解を超越している。そして、「これから新しい仕事を勉強させて頂いて御社との関係強化に努めたい」などと挨拶して外国人に目を白黒させるのだ。


続く<o:p></o:p>