承前<o:p></o:p>
今日までの反省点。「誰も語らなかったアメリカ」のつもりだったが、何処からも異論、反論、質問もない。これは内容も兎も角、1回当たりの量が長すぎて読んでいただけないのかと思うにいたった。そこで、一つの話題に絞って見た次第。<o:p></o:p>
ここでは私以外に余り触れる人がいなかったと信じている服装学から入っていこう。アメリカのビジネス・パーソンの中でも男性の服装にはかなり厳しい標準(norm)というか規則のようなもの(dress codeで良いだろう)がある。多くの方はこう言うと信じられないという顔をされる。だが、全員がこういう規範に従っているわけではない。<o:p></o:p>
この基準にてらして我が国のビジネス・パーソンを見ると、首をかしげざるを得ない人が圧倒的に多いのは残念だ。特にここ数年は出鱈目化している。信じるか信じないかは貴方の勝手である。さらに、近頃我が国でも厳しくなった「コンプライアンス」にも触れておこう。<o:p></o:p>
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(12)ビジネス・パーソンの服装学:<o:p></o:p>
何と厳格な:<o:p></o:p>
20万円のスーツを来ているアメリカのExecutive:これも間違いなく我が国で誤解・誤認識されているアメリカの会社関係の分野の一つである。アメリカの幹部ともなれば1千?以上もするスーツを着こなし、50?~100?もするアメリカのブランド品の高級ネクタイを締め、300~400?もする靴を履いていると承知している人は少ないだろう。事実である。これらと同じものが我が国で販売される場合には、ただ単に為替レートを掛ければ良いのではないことは言うまでもないこと。これらが日本国内で売られている価格は、スーツならば20万円以上である。残念ながらフランスやイタリアのネクタイを有り難がって数万円を惜しまない人は数多いが、私が愛用した”Countess Mara”のネクタイは最早我が国では買えない。ご参考までにアメリカのスーツの有名ブランドを挙げておこう。”Hickey Freeman”や”Hart, Schaffner”等がそうである。日本では若者が何故飛びついた”Polo”(by Ralph Lauren)や”Brooks Brothers”は、俗に言うシニアー向けの高級ブランドのうちで、決して大学生や新入社員程度の年齢層向けではない。実際にアメリカではBrooks Brothersには良く行ったものだが、若者に出会ったことなどなかった。ネクタイの最高級ブランドの”Sulka”は入っていくのも怖いような雰囲気の紳士用品専門店で「貴方はここが”Sulka”と承知で入ってきたか?」と詰問された。「勿論」と答えたところ、掌を返すように丁寧になったのは不愉快だったが。ここまでに挙げたブランドを一つでも、特にSulkaの有り難さを知っておられれば、貴方は相当なアメリカ通であろう。<o:p></o:p>
ところでネクタイの値段だが、アメリカで50?ならば、日本国内では1万円以上で店頭に並ぶだろう。今でこそ銀座に”Coal Hahn”が店を出し、”Johnston & Murphy”が多くの店頭に並ぶ時代になったが、これを読んでアメリカの靴だと直ぐにお解りなる方が多いとは思えないのだが。<o:p></o:p>
ここではアメリカ製品の輸入価格を論ずるのではない。アメリカでの服装に対する意外な?厳格さを申し上げたいのである。私がアメリカの会社社会での”Dress code”に馴れていない頃に、同時に東京に出張してきた部下(アメリカ人である)が同じ上着(”Jacket”と言う)を2日連続で着用して現れた時に、マネージャーが鼻をつまんで「臭い。直ぐ着替えてこい」と命じた。この前出のMBAであるマネージャーは必ず3着以上を”Garment bag”(=ハンガーに掛けて吊す形式になっている)に入れて東京に持参し、ホテルにチェック・インするやいなや全てプレスに出してしまう。お客様の前に皺になったスーツやアイロンがかかっていないパンツで出て行くことは許されないのである、アメリカの”Dress Code”では。<o:p></o:p>
こんな程度で驚いて頂いては困る。私の生涯最高にして最後の直接の上司だった副社長兼事業部長は厳格な規範(=”Norm”)を設けて、彼の部下が”Jacket and tie”という、ブレザー等の代わり上着の下に代わりズボンという服装で仕事の場に出ることを許さず、シャツも白以外は認めなかった。これがアメリカである。彼は私が忙しさに紛れて散髪していないままに本社に出張した際には「お前には床屋代に不自由しないくらいの給料を払ってあるはず。髪を切ってから出直せ」と厳しく叱責された。これらの何処がキャジュアルで大雑把なのであろうか?<o:p></o:p>
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“A Dress for Success”:だが、これでも未だ驚くのは早いのである。これから真の意味でのビジネスマンの服装学に触れていこう。<o:p></o:p>
これは「出世する服装」と訳されたジョン・モロイ=John Molloyという人の名作である。因みに、モロイ氏は後に”A New Dress for Success”も上梓している。これはアメリカのビジネス・パーソン(女性がいることを忘れてはならないのでパーソンとした次第)の服装の厳しい規定というか規範を余すところなく語った本である。「厳しい規定」としただけでは何のことかと疑問に感じられる方が多いだろうし、現にこのことを語った場合に多くの方が不思議そうな顔をされた。これは、何かといえば我が国民の頭の中に服装に関しては「イギリス人=紳士」で、「アメリカ人=キャジュアル」といった既成概念が刷り込まれているせいだと確信している。それは誤りである、アメリカに関しては。<o:p></o:p>
実は、私自身が服装に関しては学生の頃から非常に興味があり、特にアメリカの会社に移ってからはそれ以前に覚えた理論と、実際が上手く合致して益々詳しくなっていた。換言すれば「一家言」を持っている。そこに偶然に知ったこのモロイの本を読んで(遺憾ながら翻訳で、だったが)その一致点が多かったことに驚き、且つ自信を深めていった。<o:p></o:p>
この本と我が理論はその規範がどれほど厳しい(実はこの「厳しい」という言葉の使われ方が気に入らないのだが)というか、こと細かに、厳密に、妥協をせずに仕事の場における服装とは如何なるものかを述べているのである。ごく簡単にその一部を紹介すれば、スーツの色は紺かcharcoal gray(=濃灰色)に限定する。シャツの色は白で無地、生地はオックスフォードで”button-down”=ボタン・ダウン。我が国では未だにボタン・ダウンのシャツが若者のものだと思われているようだが、あれは”executive”のものである。スーツに(現在大流行の)ストライプが入っていれば、シャツにはストライプがないものを着用する。ネクタイは無地のスーツに無地のシャツであればストライプ入りでもパタン(=pattern、柄物)ものでも良いが、何れかにストライプがあれば柄物しか許されない。ベルトと靴の色はスーツに調和する色で一致させねばならない。すなわち、黒しか使えないことになる。靴下もそれに合わせることは必須であり、所謂デザイナー・ブランドのロゴマークが付いているものなどは論外である。シャツとスーツのネームまたはイニシャル入り(=personalized)は日本だけの習慣であり、外国人を相手にされるお仕事の方は避けた方がよい。色の使い方も要注意で、同系色を1色と数えて、3色に止めておくことが肝心である。アクセサリーにも、何時つけておくかに決まりがある。<o:p></o:p>
此処まででほんの一部である。驚かれた方が多いと思うが、アメリカでの出世した経営幹部(=Executive)でも事細かには知らない人がいることもまた事実である。であれば、我が国で知れ渡っていなくとも別段不思議ではない。<o:p></o:p>
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“Wash and change “ or “Wash and shave”:1969年だったか、UKの大手メーカーのマネージャーと日本の見込み客との夕食会を何気なく18:00に設定した。外資に転出する前のことであった。それを聞いた英国人が怒った。「それでは私がホテルに戻ってシャワーを浴びて、ひげをそり直して夜の会合用に着替える時間がないではないか。気が利かない。早くとも19:00に変更せよ」と言われた。全く意表をつかれて何のことか理解できなかった。<o:p></o:p>
後で知ったことだが、これは我が国で「紳士の国」と広く崇められているUKに限ったことではないのだ。彼らは夜の部には着替えて出直すのが当たり前のことなのだ。そのためにタキシードとまでは言わなくとも、シルクのジャケットなどを持参しているのだ。宝石類がついたアクセサリーなどはその時に使うもので、昼間の仕事に場につけて出るものではない。これは我が国に普及している習慣ではないと知って欲しい。だが、いくら17:00に会談を終了しても着替えに藤沢の自宅まで戻れば、再び上京すれば深夜であろう。<o:p></o:p>
ここに、ラフでキャジュアルと思われているアメリカでの経験を披露して、USAとUKは親類だったと再認識して頂こう。<o:p></o:p>
東海岸のペンシルベイニア州の他の事業部の事務所を訪問した時だった。この事業部は日本進出を計画していたのでお手伝いしていた。輸出も担当するマネージャー夫妻と夕食会ということになった。その小さな町で最高ランクのフランス料理屋の予約が20:00と聞かされていた。会議が終わってホテルに戻って、一応”Wash and shave”を終えて言われた通りに18:30に彼の自宅に参上した。だが、奥方は不在だった。彼の子供さん達は小さかったので”Baby-sitter”が来ていた。これは大事(おおごと)だなと感じていた。暫くして美しく髪を結い上げてロング・ドレスで正装した奥方が戻ってきた。そうなのです、着付けに美容院に行っていたのです。彼は勿論タキシード。着替えておいて良かったと安堵の溜息。<o:p></o:p>
定刻にレストラン到着後は、先ずバーで軽くカクテルを賞味しながら世間話。30分程でウエイターが恭しく”Your table is ready, sir.”と迎えに来る。それから仕上げのリキュールまで終えて終了が23:00。申し上げておきますが、これでもアメリカですよ。何処がキャジュアルですか?ラフですか?西海岸ではこれほど格式張ってはいませんが、奥方がお出でになる夕食会などは、それほど気楽な行事ではありません。話題にも注意せねばならず(腰から下関連の話題は許されないのが常識)、馴れないうちは何を食べたのか記憶がないこともあったくらい。<o:p></o:p>
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アメリカのビジネスの場の服装学:このような服装学の源は金融・証券街にあったと聞いている。すなわちウオール・ストリートのexecutive達の服装が広く一般の企業にも浸透してきたと解釈している。具体例を挙げれば、我が上司であった事業部本部長兼副社長は36歳で中西部の営業所長だった頃には全くあか抜けない服装をしていた。それが39歳で大抜擢され本部営業部長、次いで本部長と急上昇し、42歳で副社長就任となった。その間に彼の服装はめざましく洗練されていき、何時しかモロイ氏が示した厳しさを身につけていった。45歳の頃には最早何者も寄せ付けないような隙がない服装となり、スーツ・ケースもブリーフ・ケースもアメリカ最高のブランド品になっていた。鞄類にもアメリカの高級ブランドがあるのだ。2~3のデパートでは取り扱っていると知って貰いたい。<o:p></o:p>
我がオウナー・ファミリー出身のCEOも、70年代後半には全く服装に関心がないかに見えたが、会社がめざましく成長発展を遂げていた彼の40歳代後半から50歳代にかけては、恐ろしいほどの貫禄を見せるほどチャーコール・グレーのスーツを着こなす大社長に変身していた。<o:p></o:p>
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日本望見:「何だ、それの何処が日本の経営者達と違うのか」と言われそうだが、日本の経営者達に多く見られるようにスーツは英国製の生地と超一流の仕立て(と見えるのだが)、ネクタイがフランスは「エルメス」、カフス・ボタン(正しくは”cuff links”で、何処にも「ボタン」はない)とタイ・ピン(正しくは”tie bar”で、タイ・ピンは全く別のもの)に宝石という具合で、モロイ氏の教えからすれば違反ばかりである。「石」(=宝石類)がついているアクセサリーは昼間の着用は避けて、夜にシルクのジャケットでもと洒落込んだ時のものである。それに着用するものには統一性が欲しい。どことなくブランド品に振り回されていて、高級店の高級品さえ着ていれば安全という感じがするのだが。何もフランス製で高価だからといって何が何でも「エルメス」では不釣り合いである。一言皮肉をお許し願えば、アメリカの政府高官は先ずアメリカ製のネクタイをしており、好関係にはないフランス製をしているのは余り見たことがないのだ。我が国は何故か欧州志向が強く、折角耐久性に優れデザインも欧州ものと遜色がない良いものが多いアメリカ製のネクタイは見向きもしない偉い方が多いのである。<o:p></o:p>
我が国内では多少“モロイイズム”ないしは私流から外れていても問題はないだろうが、私の主張は少しでもこういうことを知って、自らの服装の美学を守って欲しいのだが。それにアメリカの政府高官といえども怪しげな人はいる。具体的に名を挙げるのは避けるが、例の”Six Party Talks”で一躍世界に名をはせた某氏などは、目を疑わせるほどの図抜けた無関心振りである。これすなわち、その某氏はエリートでも何でもないと自ら語っていることになるのだ。<o:p></o:p>
此処で主張したいことは服装には自分の思想・哲学を見せる一貫性が必要であるが、決して華美にわたるべきではないということだろう。怪しげな国産デザイナーなどの言うことに惑わされてはならない。その悪影響を見よ。多くの代議士などはピン・ストライプのスーツにストライプのシャツとネクタイという有様。笑われるよ、アメリカのエリートに!<o:p></o:p>
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