新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

知日家・親日家

2008-03-09 12:50:04 | 200803

今朝もテレビで何処かの外国人をこの何れかとして紹介していた。勿論褒めているのだし、こういう方が出てくれば日本にとって良いことになると言いたいらしかった。私はこのようなレーベルを貼ることは無意味だと言いたいが、マスコミは直ぐにこういうレーベルを貼りたがる。だが、私に言わせれば、外国の事情に精通するのはそれほど簡単なことではない。何を基準にそんなことが言えるのか、不思議でならない。


 マスコミは何時までこんなことを言って、罪なき一般の方を誑かす気だろうかと思うとウンザリする。その外国がどういうものかを特派員からの情報程度で解るくらいなら、誰も苦労しないと思うのだが。大体からして親日だの知日だのは如何なる基準で決めて言うのだろうか?何か具体的にそういう物差しでもあるのか?


 自分自身20年以上もアメリカ人が経営する会社で働き、日本とアメリカで年間13くらいの比率で過ごしてきた。それなりにいっぱしの知米家であると思う。”chibei”と入力しても出てこないのだから我が国にはそういう概念がないのだろう。だが、正直に言えば私が知っているアメリカなどは、全体を100としたら希望的観測を入れて2030程度だろうと思っている。そんなものだ。昔の喩えに「群盲象を撫でる」というのがあった。私は足の2本くらいは撫で終わっていると信じている。それでも、一般の方の数倍は解っているだろう。だが、知米派などと自称する勇気はない。


 アメリカにも確かに日本の事情に明るい人はいる。それは仕事上日本に来ることがあって、刺身や寿司や天ぷらやザル蕎麦を食べて京都に行った程度でも、日本に来たこともない人から見れば「知日」になってしまうのである。当方が得意とする「日米企業社会における文化の違い論」を滔々と語るような人には、残念ながらお目にかかったことはない。


 東京の丸の内に「欧州日本研究所」=The European Institute of Japan StudiesEIJS)という組織がある。スエーデン系である。ここでは毎月外国から有名大学教授、エコノミスト、政府高級官僚等を招待して講演会を開いている。数年前までは有力会員であったT社副社長K氏(当時)のご招待で聞きに行っていた。その講師の中に何回か知日家ないしは親日家がおられた。日本の経済やある分野の事情を語られた。ある意味で大変興味深い講演だった。終わってからその帰途K氏と嘆きあったものだった。「あの程度の皮相な(superficialという言葉があるが、私の好みはskin-deepだった)な認識で日本通を気取られてはたまりませんな。時間の無駄でしたね」であった。


 何を大それたことを言うかとお怒りの向きもあるだろう。外国人が言うことがそんなに有り難いのか、そんなことを言うのは単なる外人崇拝に過ぎないとだけ言っておく。それではご自身の日本の文化の知識の度合いを考えてみていただきたい。外国の文化と比較して、外国人の前で論ずる勇気がありますか?彼らの知識はその程度なのです。


 他国の文化や諸事情を語るためには、矢張りその国に行ってその国の言葉を使う必要があると思う。本を沢山読み、統計等の数字を通しただけでは本当の実情を掴めないと思う。知日家や親日家が日本を頻繁に訪れて日本語を駆使して自分の手と目で日本の実情を把握したのだろうか?少なくとも、私は彼らの会社の中で、英語で話す以外に意思疎通の方法がない出張生活を、年間を通じて3ヶ月以上経験してきた。自分が肌で感じたアメリカを論じているのだ。それでも謙虚に?理解と認識度が2030と言っているのだ。


 現時点でも、民主党の候補に選ばれるかどうかも解らないオバマとクリントンの何れが日本に好意を持っているかなどと愚にもつかないことを言っているのがマスコミだ。彼らが知るわけがないでしょう。これまでに日本に何度も来たわけでもないのだから。もし運良く大統領にでもなれれば、彼らの周りの知日家のスタッフが補いますよ。


 そもそも知日だろうと何だろうと、その人がそれだけの理由で日本のためを考えた政策をとり、日本に優しくするわけがあるのか?私は少しでも一般人よりもアメリカを知っているが、何か機会があればアメリカ批判を展開している。それは、アメリカが好きとか嫌いとかいう問題とは別のことだろう。


 このように安易に知日だの親日だのと言うような姿勢を一刻も早く捨てて、自分から日本とはこういう国で、あなた方とはここが違うのだと、真っ向から言えるようになって貰いたいものだ。お断りして置くが、マスコミだけではなく政治家と官僚にも。□



3月8日のスポーツ

2008-03-09 10:55:34 | 200803
昨日はスポーツ日和だったか、ラグビーの日本選手権、サッカーJリーグの開幕、女子のゴルフ、内藤大助の2度目のタイトル防衛戦と続いた。
先ずはラグビーから。如何にも日本的熱戦だった。これは褒め言葉ではない。
結局はあのリーグ戦とこのトーナメント勝ち抜く技量と選手層を持ったところが勝つのだなと、思わせてくれた。如何にも日本的過ぎて、世界というか欧州とオーストレイリアやニュージーランドには指導して貰うだけで、勝てるラグビーではないと再認識。もしも希望があれば、早稲田を立て直し、返す刀でサントリーも復活させた清宮監督に期待するだけか。
サッカーである。何度も言ってきたが、現在のサッカー選手の技術の進歩は素晴らしい。競技人口も多くなった。高体連に加盟している学校が4千を超えているのだから。だが、これも持論で「それならば4千人もの本当に高校生を指導するに足る技術・知識・経験を持ったコーチがいるか」である。Jリーグのレベルに来てまでもあのシュート力不足と不正確さは、Jリーグの指導者の責任ではあるまい。ゴールのバーを超えるキックをして褒められるのはラグビーと(アメリカン)フットボールだけにして貰いたい。中学・高校・Jリーグ下部組織の指導者は何をしているのか!?
サッカーはレベルが上がったとは言うが、欧州やUKに行った人たちが本当に一本目になっているか?かの中田英寿でさえ、テレビ局は「先発出場」などと注釈をつけたではないか?中村俊輔にも同様な疑問がある。それでもラグビーよりは遙かに上である。ラグビーには外国に行って一本目で大活躍をした人が何人いたか?
内藤大助に行こう。この人は悪役亀田一家の代表を負かして一躍時の人になったのではなく、テレビに重用された。
だが、どう贔屓目に見ても亀田との試合でも「これは何の試合だろう?」と思わせてくれたほど低次元だった。昨夜も引き分けでタイトル防衛であったが、綺麗なボクシングではなかった。6チャンネルのアナウンサーは目一杯、声を張り上げて「良い試合」と言いたかったようだ。だが、同じ日本人の世界王者である長谷川穂積などの正当派ボクサーと比較すれば美しくない。野球で言えば横手投げのような大振りのパンチにノールック・パンチでは、私には見るに堪えなかった。立川談志がMXテレビで野末珍平と語り合って厳しく批判していたことが正鵠を得ているだろう。困った現象だ。6チャンネルも好い加減に考え直したらどうだろう、ボクシング中継の在り方を。
女子ゴルフに行こう。その昔、私好みのジャズ評論家の粟村政昭氏が男性歌手を評して「女性歌手と違って人気がない」と断言された。それと似た現象で我が国でも女性プロの方が人気が高いようだ。しかも岡本綾子、小林ヒロミ(漢字を失念)、古くは樋口久子のように、アメリカに行っても通用する人が多くでている。このダイキン何とやらも多くの若手の精鋭が出場して迫力ある展開。「男子よ、しっかりせよ」だ。
嘗て、スポーツに詳しい同僚が言った、日本人である。「女子のスポーツが強いのは、プロ野球と相撲に有望な人材を取られないから」と。だが、女子の場合サッカーも腕を、いや足を上げてきたし、バスケットボールでもアメリカの女子のNBAに挑戦する大神のような人が出てきた。
矢張り“野球は人材の無駄遣い”か?サッカーも何時の日かそう言われるようになった欲しい。