承前<o:p></o:p>
今回は冒頭、“(16)終わりに”から入っていくが、これは「これまでのような違いの説明が終わること」とご理解賜りたい。次回からは最近のアメリカの状況をM&Aやファンドの進出等の具体例も取り上げて、「違う国であること」を語っていきたいと考えている。<o:p></o:p>
長いことお付き合い頂きまして、誠に有り難う御座います。<o:p></o:p>
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(16)終わりに:<o:p></o:p>
何処まで、何が解っているのか?:<o:p></o:p>
1970年代に、すでに故人となられたアメリカとUKの外資の代表者であった2人の大先達と語り合ったことがあった。アメリカの会社のM氏は京大出身。先ず日本の大手製紙会社に就職された後にアメリカの大学でMBAを取られてから日本の会社に戻って大活躍され、アメリカの会社が引き抜かれるほど目立った存在になられM社に転進された。そして、日本代表を務められた。そこからさらに上場企業の代表取締役に再々度転進された一流の国際人であった。そのM氏が「私はアメリカのことが70%は解るようになったが、残る30%の理解が難しくそれ以上に進めない」と言われた。<o:p></o:p>
納得できる発言だった。だが、それを聞いたUKのメーカーの日本代表者だった日系カナダ人のN氏が後刻私に言った。「あのMさんでも勘違いをしている。解っているのが30%、解らないのが70%の間違いだろう。この私だって同じことを尋ねられたら、解っているのは精々20~30%と答えるだろう」と。これも解ったような気がした。<o:p></o:p>
こういう弁解めいたことを言うのは自らの美学に反するのだが、敢えて申し上げておく。長々と如何にもアメリカを知り尽くしたと取られるように言ってきたが、アメリカを解ったと思ったことはない。永遠に勉強中だろう。<o:p></o:p>
私は常にこう言ってきた。「私は確かにアメリカについて知っている。だが、その理解・認識の程度は、普通の日本人としてはよく知ることができたくらいのものである。もしかすると、“群盲象を撫でるが如き”と言うように、あるいは象の胴体か足に触れて『象とはこんなもの』と得々として語っているだけかも知れないと懸念するのだ。だが、それでも尻尾だけを触らせられただけで、象だと思わせられている人よりも少し条件が良いだけに過ぎないかも知れない」と。私は心密かにこのように危惧しているのだ。<o:p></o:p>
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会社は同じではない:<o:p></o:p>
ここまで述べてきたように、同じ「会社」と言ってもこれほどまでに相互の文化が違うのである。二国間や多国間の取引に際して、お互いに会社なのだから同じような基準で事を運び判断し行動する等と、性善説に基づいて勝手に判断しないことが肝心であろう。<o:p></o:p>
アメリカ一国を捉えても彼らは見事なばかりの「性悪説」信奉者であり、謝罪の文化を「尊い」としてはいないのである。ただ単に言語が違うだけの違いではないのは言うまでもあるまい。<o:p></o:p>
それに、彼らがこちらの立場を理解して、以心伝心で何も言わずとも理解して、尊重してくれるなどと勝手に判断しないことである。彼らは「こちらから言わないことに対しては反応しない」のである。また、繰り返しになるが、何か不味いことを言われた時か、都合が悪い場合に、簡単に「ノー・コメント」などと言わないことである。彼らはこれを「黙認」=「イエス」であると考える人種である。彼らの「これを言うことで失うものはない」精神を偶には採用して、国際場裏では堂々と自己主張をしていくべきである。<o:p></o:p>
以上
続く)<o:p></o:p>
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