新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本人3位

2008-03-02 20:05:27 | 200803

陸連というところは、何が何でも日本選手を沢山オリンピックに出したいらしい。32日、オリンピック選考を兼ねたという琵琶湖マラソンがあった。男子の部である。
大崎何とやらいう選手が「輝く日本人3位」で入賞し、たった1人分残っていた代表選手枠の有力候補となったと報じられた。
将に、「またか」であり、ウンザリだった。3位ということはその前に2人いたことである。参加することに金を使う、イヤ意義があるオリンピックである。陸連は何とかして枠一杯の3人を出したいのだろう。
最初から世界には我が国の候補よりも優れた人が最低でも2人いるというか、沢山いると承知で出すのだ。それでもマスコミは「メダルだ」と騒ぐのだろうと今から思うと、やりきれない。
女子だって世界選手権3位だった土佐礼子を即刻代表にしてしまった。繰り返して言うが3位だった人だ。
高橋尚子だって未だ代表候補で、これから予選的な試合に出るという。その辺りで高橋以外に土佐を超えるような記録を出して日本人3位等という人が出たらどうするのだろう?高橋はもうすでに11位になったからいいではないかと思うのだが、まだまだと煽り立てている奴らがいる。
アメリカ式に、たった1回の予選で決めてしまうのも恨みっこ無しで一つの方法であり見識だと思う。日本式に、情実ではなかった、協会の知恵を集めた選考会議で潜在能力や過去の実績で決めるのも我が国独自の「文化」だろう。
何れにせよ、柔道の谷亮子だって「実績」を尊重されていた。
だが、私は「日本人3位」はどう考えてもおかしいと思う。
オリンピック万歳。<o:p></o:p>




宮里藍がぶつかった壁

2008-03-02 18:40:45 | 200803

アメリカに行った宮里藍がスランプだと報じられている。同様に福原愛はエースだと言うが国際試合で勝つとは限らない。石川遼(こんな字だったか?)は高校生でプロになったが、海外では惜しくも予選落ちした。浅田真央だって何れはぶつからざるを得ない壁があるだろう。
 とまー、こんな具合で20歳前のスポーツ選手の出現をマスコミが大歓迎する。結果は贔屓の引き倒しか、大方は現れた頃から見れば希望的観測ほどには伸びてくれない。
 当たり前だ。彼らマスコミの好みの「世界」とはそんなに簡単なところではない。それに「二十歳過ぎればただの人」と昔から言うではないか。年端のゆかない子供が一寸勝つと神童だの天才だのと持ち上げる。そして世界を目指させ、オリンピックだと囃し立てる。自分の経験からもそんなに同じ人間が際限なく成長し続けるわけがない。そのくらい解っているだろうに。私だって中学2年までは将来有望の新人だった!!
 それなのに散々煽てて、一寸成績が下がると今度は掌を返してスランプと言い、限界説を唱える。スランプなどというものは一度名を為した人が陥るのだと知って言っているのか?
 宮里藍だが、今朝の6チャンネルでは張本が「早く日本に帰ってこい」と言っていた。ある程度は賛成だ。伸び悩みとか何とか言う前に、女子が一人であの国に行って、外国人の中に入って、じゃなかった宮里が外国人だった、世界中から来た人たちの中で思うように話が出来るようになるだけでも大変なことだ。
 それだけではない。年がら年中広いアメリカを移動して、時差を乗り越えて、乗り物や宿泊の予約、食事等をこなして、尚かつ生活のためにゴルフもするのだ。これがどれだけ大変か自分でやってご覧。我々会社員は移動の後で仕事をするのだ。しかも、こちら往々にして夜の部まである。スポーツ選手は夜遊んで歩くのは自殺行為に等しい。しかも、あの国では昼夜を問わず出歩くためには自動車を運転せねばならない。まさか宮里が運転手さんを雇うか?
 それだけではない。彼らの中で暮らしてみなければ解らないことがある。それは身体の大きさと体力と身体能力の違いだ。男と女は違うかも知れないが、自慢じゃないが女のことは解らない。おっと、これでは話が横道に逸れる。彼らの体格を目の前で見ると「こりゃ大変なところに来てしまった」と感じるだろう。彼らの身体能力には、残念ながら我々では容易に対抗できない凄さがある。
 余談だが、彼らは上半身民族と言いたい体形。それに比べて我らは下半身民族と言うべきか?初めて日本に来たアメリカ人が3日間東京の中を文字通り歩き回らされた後に言った「ナルホド、君らはこれだけ歩くから足からすり減って身長が縮んだのだ」と。我が国ではかくのごとくに下半身は鍛えられざるを得ないが、彼らは車社会の住人。足が弱いのは事実。だからジョギングなどに励まざるを得ないので、それを下半身民族が有り難がって真似してどうする。
 最近の宮里は、音声が出る限りではかなり流暢風に英語を話している。あそこまでになるためには、かなり精神的な負担があったと思う。
 と、いう具合で、宮里の身体能力のみではなく、これだけの有形無形の負担を強いられているのだ。それに負けないだけの精神力も必要だ。だから、過去2年(だったかな?)は良くやっているなと見ていた。この辺りまでの壁を乗り越えないと、あの国で自分の力だけで暮らさなければならないので、負担が大きすぎると懸念する。
 そこをどうするかは、周囲がとやかく言うことではない。自分で判断することだと思う。あの国で暮らすとイヤという程思い知らされることが一つある。それは「頼りにできるのは自分だけ」という冷酷と言うよりも、余りにもハッキリとした現実。マスコミも張本も、そこまで解ってから言って貰いたいものだ。□<o:p></o:p>




良く解らない

2008-03-02 14:12:28 | 200803
近頃の防衛省とイージス艦の衝突事故、沖縄の米兵の事件等についてのマスコミの姿勢を見ていると解らないことが多い。民主党の言うことも似たようなものだが。
それは、先ず彼らは何かと言えば「隠蔽体質」と言って防衛省を非難することである。防衛省は何時から株式を公開して上場企業になったのだろう?上場したのならば英語では"Public company"となるのだから、情報は公開せねばならないのは当然である。
だが、良く考えて貰いたい。防衛省は国を守るべき軍隊であろう。その軍隊にどのような指揮命令系統があって、誰が誰に報告する組織になっていると公開している国があるか?如何なることでもあれ軍の内部の秘密を守ることが隠蔽か?
それをやれ艦長が寝ていて怪しからんだの、情報の伝達が遅いだのと、外国にまで解るように遍く知らせることが国益になるのだろうか?
または公開せよと居丈高になることがマスコミの使命か?それに何かと言えば声高に「謝罪せよ」と迫る。イージス艦が100%悪いと、見てもいなかったマスコミにどうして解るのだろう?「仲間の漁船が避けたのに何故あの船は?」という報道や疑問は何故声高に出ないのだろう?
ついには艦長が謝りに出掛けただけではことが終わらず、福田総理まで謝罪に出掛けたではないか。さぞかし満足だろう。
マスコミは何でもかんでも感情論のお涙頂戴にすれば、国民が満足してくれると思っているとしか思えない。彼らは何かにつけて「真実は一つ」とほざくが、私は「出来事が一つ」と信じて疑わない。その出来事をどの位置から、どの角度で、どのような先入観を持って、何を狙って、公平に報道しようかという点が鍵になると信じている。
現場にいて、他社との速報争いになっていれば、落ち着いて出来事を観察できないのかも知れない。だが、そのような生煮えの報道では国を売ることになりはしないか?民主党だって同じだ。一度で良いから「失敗に学べ」くらい言ったらどうだ。罷免要求だけが野党の責務か?
彼らには本当に国のためを思っているという雰囲気が感じられない。政党助成金まで頂いていながら、国民を誑かすような姿勢で良いのだろうか?何かと言えば声高にアメリカに反発してばかりいる。それが彼らの国益だと言うのならば、選んだ人の選択が悪いことになる
どうも良く解らない。


日米企業社会における文化の違い#2

2008-03-02 07:30:20 | 200803

「就職」か「就社」か:これこそ企業社会における大きな違いの代表的なものであると信じて疑わない。W社入社後2年目のことだった。1976年ニュー・ジャージー州アトランティック・シティーで開催されたコンヴェンションの会場でアメリカ人の学生に「この会社のこの事業部に就職したいのだが、誰に履歴書を送ればいいのか」と尋ねられ、その意味が解らなかった。そこで近くにいたシカゴ営業所長(当時、後の副社長兼事業部本部長)に回した。そして、その質問の意味を解説して貰ったものの、当時は良く把握できなかった。<o:p></o:p>


これが、アメリカでは「就職」であって我が国では「就社」であると知るきっかけになった。アメリカの会社には経験者が「即戦力」として、会社ではなくその事業部に採用されるのだから、当然「何でも承知している」との前提。だから、何か疑問があり自分から訊こうとしない限り、事業部内のことは言うまでもなく「会社」自体のことでも、上司も同僚も誰も何も教えてくれることはない。<o:p></o:p>


各事業部門に何らかの空席となっている仕事があるか、または新規に欠員が発生した場合、それを直ぐにでもこなせる人物を雇うのがアメリカ式。事業部として新規採用は内部からのこともあるし、外部からのこともある。私はアメリカの会社2社に勤務したが、何れの場合も”training”と称する事業部内の本社、工場、研究所を回って顔つなぎをした後は、簡単に言えば東京に戻って得意先に挨拶回りをしただけであった。本社で”Job description”=「職務内容記述書」を貰いこれを持って帰って、翌日から自分一人でやりなさいという形で仕事を始めた。目標の数字等は与えられるが、その達成法は当人が決めることと言って良いだろう。このように新卒を採用し教育してから使うことなどは全く考えていない。<o:p></o:p>


仕事の進め方については一切何の指示も命令もなかった。これも当たり前のことで、既製品を即戦力で採用したのだから、教育的指導などするわけがない。実際には自分で業務の内容を把握して、今日は何をするか、今週の行動は、来月はというようなことに関しては、全て自分で把握して自分に命令を発して動くだけ。結果が出なければ全て自分に返ってくるのだから解りやすい世界。勿論、本社とは毎日綿密に連絡するから、自分の予定外の指示も沢山来る。そこは優先順位をどう付けていくかは本人の判断力の問題である。<o:p></o:p>


兎に角、何でも自分一人でやらねばならず、同じ事業部内でもそれぞれ担当分野も範囲が違うのだから、同僚や他人は全く頼りにできない。何でもやったことの結果は自分に返って来る仕掛け。誰も助けてくれないし、他人を助ける理由がない。これは日本の会社と根本的な違いである。頼りにしても良いのは秘書だけで、彼女(女性と限定しても良いだろう)も異なる”job description”で働いているのだから、便りにできることにも限界がある。<o:p></o:p>


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アメリカ人かアメリカのビジネス・パーソン達は国際人か?:<o:p></o:p>


こう言うからにはそうではないと主張するのだろうと思われるのは承知である。「イエス」でもあり「ノー」でもある。当然だ。ここは、何かと言えば「国際人」を有り難がる傾向に対して反抗しようとの姿勢を見せたいのだが。<o:p></o:p>


Interstate=州際:「イエス」の詳細を説明しなくとも良いだろう。マスコミにお尋ね下されば済むことだから。問題は何故「ノー」なのかだ。アメリカの国土は広い。各州だって単独で日本よりも広いところだってある。その州を出たこともない人はいくらでもいる。”International”は「国際」で国と国との取引は”International Trade”で、こういう表現がそのまま名前になったいた官庁だってあった。だが、アメリカには”Interstate”という言葉があって「各州間の」という意味で使われている。ご存知のように、アメリカでは州毎に州法があり州そのもの独立国のようであり、州境を越えていく取引でも大仕事な場合すらある国なのである。だからと言うか、何と言うか「他の州との州際取引が国際取引よりも優先される場合がある」という事情がある。私はそういう事情を知って彼らの国際化の遅れに同情的になってしまったのであった。<o:p></o:p>


 さらに、”East of the Rockies”と言って西海岸から見ればロッキー山脈の向こう側は遙かに遠い外国のようであり、山脈を越えるトラック輸送コストは太平洋を横断してアジアの国への海上運賃よりも高くつくので敬遠される嫌いがある。<o:p></o:p>


国際化の遅れか?:外国慣れしていない人が多いということである。具体的な例を挙げてみる。日本の有力な得意先に対してある重要事項についてのプリゼンテーションをすることになった内勤のマネージャーが、営業部長に付き添われて来日した。前夜、ホテルでのリハーサルに私も立ち会った。ところが、そのマネージャーはろくに話すことができずオロオロしていて時間が空費された。だが、何とか形が付いたところで終了した。何故あれ程駄目なのかを部長に尋ねた。答えを聞いて驚いた。「お前には解らないだろうが、日本は我が国に次ぐ世界の経済大国。その中でもその業界の最右翼と聞かされてきた大得意先で語るのであるから、彼はもう今から緊張の極に達している。海外慣れしている我々とは根本的に違う。彼がごく普通のアメリカのビジネスマンだと思って接してやってくれ」だったからである。そう聞かされてその後注意していると、初来日の人たちは皆かなり緊張していた。中には気の毒なくらいの者もいた。<o:p></o:p>


こんな悲しい経験もあった。私は198510月にアメリカはシアトルで自動車事故の被害者となった。その保険の交渉を帰国してから、イチローさんでお馴染みのセーフコ・フィールドの”Safeco”と電話で行う羽目に陥った。彼らに自宅の電話番号を教えておいた。ところがいくら待っても何も言ってこない。業を煮やして事故車の運転をしていた当時の上司に電話して不満を訴えた。彼はこう提案してきた「怒るなよ。普通のアメリカの会社の外国慣れは無きに等しいのだから。彼らはアメリカ国内の保険会社だから国際電話のかけ方だって知りはしない。それに日本人に電話することが怖いのだ。だからコレクト・コールで君の方から電話して交渉することを勧める」と。あれから22年も経っている。Safecoは野球場を作ったが、国際化は進んだのだろうか?<o:p></o:p>


他の面での外国に不慣れな別な例を挙げよう。日本に来るアメリカ人を国際人と思って下さる関係先が多く、超一流のフランス料理店に招待して頂くことが多い。これが困るのだ。ご承知であろうが、その手の店ではビールは置いていない。時には「ビールを注文するな」と事前に知らせておくこともあるが、半数以上はビールを注文して恭しく「ご用意して御座いません」と言われて、こっちが恥をかく。フランス料理店が高慢なのか、彼らが無知なのかは知らない。だが、彼らの国際度を知る手がかりにはなるだろう。<o:p></o:p>


ところで、我が国のビジネス・パーソンはどうだろうか?「イエス」と「ノー」の何れの比重が高いだろうか?<o:p></o:p>


続く<o:p></o:p>