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日米メディアの比較:日本のメディアには良い悪いは別にして自分の意見を真っ向から主張するとか、そんなことを言ったら人権侵害と名誉毀損だろうということを堂々と言うアメリカのメディアのようなガッツがありません。それが不満です。だから批判します。
良い例(悪い例?)として忘れられないのがTIMEです。あのジェンキンスさんを真っ向唐竹割りで切って捨てた04年12月の記事でした。「彼は軍隊の知能試験で最低点を取って最悪の対北朝鮮の最前線に回された。そこで不運に泣いた彼がその知能で考えたのが『脱走して北を抜けてロシアに行けば故郷のプーア・ホワイトの州、ノースカロライナに帰れるだろう』」でした。その考えは脱走と同時に夢破れ、逮捕され他の脱走組の外国人と狭いところに押し込められた。
北は彼に英語を教えさせようとしたが、小学校卒程度であることと酷い南部訛りに諦めて、無駄飯を食わせることとした。
こういうことを全く何の配慮もなく書きました。日本のマスコミはこの記事のことを伝えましたか?マスコミは彼を何とかインタビューしようと「Mr.」をつけて空港などで呼びかけました。こんな時にMr.をつける習慣はないのですがね。
しかも彼に対しての優遇は当然の配慮でしょう、曽我ひとみさんの夫ですから。TIMEは日本に英語の雑誌を読む人はいないと決め付けているのかと思うことしかないような書き方。
こういう姿勢を礼賛しませんが、我が国のマスコミと余りにもかけ離れた姿勢というか哲学。その中間はないのかと聞きたいくらいです。
そのアメリカ人達と22年半もつきあい、給料を貰ってきた結果はどうなったか、そのうちにお解りになるでしょう。駐日イスラエル大使コーヘン閣下ではありませんが、愛国者になるのです。
アメリカの階級制度論:「実感としての」という注釈が必要かも。実は少し前にほぼ同年齢層のメル友に階級間格差が存在することを語った時に「差別を認識していながら否定しないとは」と痛烈な批判を受けたことがありました。
19年間在籍した会社は、世界最大級の紙パルプ森林産業会社で、Forbesの40番目くらいだろうと思います。目下、大リストラ中ですから何れは06年度の規模から2/3くらいになってしまうでしょうが。
その本社にいるマネージャーでない連中でも、ある程度以上の階層に属しているのだと思います。勿論、MBAとPh.D.の集団で、日本の社会の金持ちとは富裕度での実力が違う奴らばかり。
そういう会社の中にいれば、彼ら以外と接触する機会がありません。そういう人たちとその次くらいの階層の連中だけに取り囲まれています。家に行ってもその連中が住んでいるべき地域内ですから、隣人も同程度。だから、意識的に避けているのではなくとも、異なる階層・階級の人と接することはないのです。
嘗て私の上司であって途中から友人になってしまったアメリカ最高のビジネス・スクール、ノースウエスタン大学(ハーヴァードではありません、念のため)のMBAは、コカコーラ創立者の一族で、二人の子供をアイヴィー・リーグとそれ同等の大学に入れて、月の学費80万円程度を軽い気持ちで払っているような金持ち。奥方もMBAで労働問題のコンサルタントという怖いようなインテリ一家。言葉遣いまで気を遣ってつき合っていました。これは必須です。
会社の範囲内でのつきあいでは、こういう階級以外はないのです。それを階級制度の存在とどう結びつけるかは分かりません。大企業には、そういう人たちしか入れないようです。それが差別ってか?
では彼らが贅沢な暮らしぶりかというと、信じられないくらい家での食事等はお粗末。これは世界的日本企業S社の副社長だった友人も認めています。日本の平均的給与所得者の方が凄いと思う。子供だって全く甘やかしていない。子供も「子供は稼いでいない身分だから、粗衣粗食でじっと我慢」と認識。
見方を変えれば、この会社の壮麗にして豪華で広大な本社ビルにはCEO以下800名くらいいますが、法律で「雇わないと罰せられる少数民族」やアフリカ系アメリカ人などは見たことがないという徹底振り。それでいて、社長といえども自分で運転して出勤。
言葉を換えれば、完全にその階級だけで纏まっている社会だった。だからかどうか知らぬが、自分たちもその階級しか知らなくなり、町の小売店やサーヴィス業の人たちがどのような育ちなのかは、推理する以外なかった。お互いにどれほど意識しているのかは想像するだけ。
従って、余程のことがない限り、アフリカ系アメリカ人達と、個人的な話をする機会などあり得ない。ましてや、ヒスパニックやアジア系でも同じ。そこで、彼らは下の階層・階級だろうなと想定している次第。大体からしてWASPなどは、そうではない連中が言っていることだろうと思うくらい、聞いたこともない表現。
申し上げたいことは、日本で考えているアメリカは想像上の産物であるということ。
でも、何時でも何処でも、社内でもホテルの中でも、すれ違う見も知らない人に朝夕となくにこやかに(作り笑顔で?)"Hi, how are you doing?"や”Hi!”等と言わねばならぬ面倒な国でも、それに神経を使ってくたびれても、もう一度行って気楽に過ごしたいと思うのは何故でしょう?それは、彼らは先ず他人に干渉せず、放っておいてくれるので有り難いからです。東京にいてもアパート暮らしなら同じじゃないか-などと言わないで下さい。日本にいれば何処かで知人や顔を知られている人物にでも会うものです。アメリカではこういう確率はかなりゼロに近いですよ。それに外国人だからと特別扱いもしないし、粗略にもされませんから。
でも、外国慣れした連中が皆言います。「何と言っても日本が一番良い国だ」と。そうですよ。絶対です。
アメリカと世界の流れ:<o:p></o:p>
ITの悪影響:アメリカでは活字媒体が大変なことになっているらしい。新聞や雑誌は最早広告という点ではインターネットに取って代わられている様子である。日本にいてその関連のニュースだけ見ているのでは実感に乏しいが、その衰退振りはかなりなものと思う。
例えば日刊新聞の場合には、新聞社の毎月の新聞用紙使用量が対前年同月比で5%も減っていると報じられている。そそっかしい当方などは危うく「それでは年間に60%も減るのか」という錯覚を起こすところだった。これは、長年紙パルプ業界に身を置いていたものからすれば将に大変な出来事である。
衰えてきたと雖も、何かにつけて「新しい流れ」を作り出してきたアメリカであるから、その同盟国の我が国ではその流れに追随しないという保証はない気がするのが怖い。我が国の大新聞社はこういう同盟国で発生している事態をご存じないことはあるまい。
さて、ネットの広告であるが、こちらはつい4年前までは“ディジタル・ディヴァイド”を「てん」として恥じていなかった身である。スクリーン上に飛び出してくる広告などに気を配っている暇などなかった。急ぎの仕事をしていて止むを得ず検索している時に「広告など煩い」だけである。
フリーペーパー:話を新聞に戻そう。昨年だったか、それこそネットに「アメリカでは全ての日刊新聞をフリーペーパーにでもしない限り、後数年で新聞社の命脈は尽きる」という説が出ていた。我が国でも見回せば町中にフリーの雑誌(と言うのかな?)はある意味で溢れている。だが、こと“ペーパー”となれば、ここ新宿は大久保界隈にでもお出でにならない限り、そう頻繁にはお目にかかれないだろう。目抜きの大久保通りを歩いてみて頂きたい。韓国のフリーペーパーが数十?おきに置かれている。如何に韓国人が多いかが分かる。新聞だけではない、韓国系の物販店、料理店、ネットカフェだって職安通りに行くまでもなく、何れはこの辺りの主流になってしまうだろう勢いで増えている。それだけではない、中国語と台湾系のフリーパーパーだって負けてはいない。これは、この地区にはそれだけの広告需要があるからなのだろう。
先日、非常にイヤな感じのする広告を見た。京王電鉄の車中で2~3人先に座っている若い女性が広げていた「聯合週報」なる中国語の新聞には、1頁全部を埋め尽くした求人広告が出ていた。その内容が凄い。按摩店(マッサージとエステ)と韓国エステの求人が圧倒的で、何と月収60~120万円を保証しているのだった。あのペーパーを韓国人が読むとは思えないので“なる程”だった。因みに、この辺りでは韓国エステは最早見かけなくなった。でも中国語のフリーペーパーに広告があるのは何故だろう?中にはその手の店を居抜きで売るとの広告もあった。この広告はそれほど懸命になって盗み読みしなくとも読める程大きな字で印刷されていた。なるほど、そういう分野の有力スポンサーがついているのかと、妙に納得してしまった。
それだけでは話は終わらない。インド人ではない人たちが経営するチェーンのカレー屋さんも増えてきた。一度だけ入ってみたが、サーヴィスもカレーも価格に見合うとは思えなかった。この手の店はその地域の国の人たちの集合場所であるらしく、外交官ナンバーをつけた車が止まっていることも多い。
これで未だ終わりではない。Halal food(イスラム教の掟で殺すことを許された動物の肉、念のため)を売る店も増えてきた。因みに、MSワードはこの”halal”に赤線を引いてみせるが、MSはイスラム教がお気に召さないのかと、余計な心配をしてしまった。そこで何はともあれ辞書に追加しておいたのだが。
供給者側:こういう外国人向けの印刷物、特に新聞などを手掛けている印刷業者が何処かにあるはずだ。フリーパーパーの紙質などは決して良いとも思えないが、誰かが売っているのだろう。まさか母国から輸入することはないだろう。だが、あの調子で増えていけば、対応する業界も無視出来なくなるのかと危惧している
アメリカのメディア:TIMEと言えばその歯に衣着せぬ論調と自社の主張を真っ向から打ち出す点に「アメリカ」を感じていた。それが、IT化の影響もあってか、昨年8月に発行部数を400万から一気に20%減の320万にすると発表した。だが、同社はその削減は売り上げにさしたる影響を与えないと強気の発表をした。その根拠は「80万部は航空機やホテル等に無料で配布しているもので、当社の売上高に貢献していなかった部数が減るだけのこと」であった。
如何にもアメリカならではの経営戦略であるが、活字媒体の衰退がTIMEにもそこまでの決断を下させたかと思うと、我が国もその同盟国の流れを追わされる日は遠いことではないかと危惧するのですが。