新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

思えば遠くに来たものだ

2014-04-03 11:13:55 | コラム
手書きからコピペまでの時代の移り変わり:

理化学研究所は小保方女史のSTAP論文を捏造と不正な研究を決めつける発表を行った。私は何度も言ってきたことだが、小保方女史の研究の価値を判断する能力も基準の持ち合わせもないが、ここでは自分自身が生きてきたこの時代の大きくて且つ早すぎる変化を振り返ってみたい。

私は1960年代に当時の紙流通業界では先駆者的な「連続伝票用紙」(略して連伝)の担当者だった。21世紀の今となってはこれが電算機用のアウトプットの印刷用紙だと知らない人がいても驚くにな当たるまい。今日では「ビジネスフォーム用紙」という名称が一般化されているようだから。1960年代では電子計算機は「記憶装置付き巨大電気計算機」などと揶揄する者すらいたのだった。

当時では現在のような複写機(コピー機でも良いだろう)は存在せず、設計図などを青焼きする「ジアゾ」(Diazo=ダイエゾ)の複写機はあった。だが、この機器では「コピペ」のような行為を試みる人はいなかったのは間違いあるまい。その頃、1962年にはアメリカでゼロックスの普通紙の複写機が開発されており、我が国のキャノンが中・高同期の田中宏君が1970年にコピー機を開発していた。

しかし、ビジネスフォーム用紙の販売担当として覚えているのは、何かを読み取る装置でOCR(optical character recognitionまたはreader)があったに過ぎず、コピペ時代の幕開けはまだ先のことだっただろう。誤解していなければ、この機器を手が手がけていた大手の会社が高千穂交易だった。

私が1990年に最初に業界の専門誌に評論とエッセーの如きものを書く機会を与えられた際には、原稿は当然手書きだった。この連載はW社リタイヤー後も続けさせて頂き、1995年頃だったか愚息が「最早不要」と放置していたワープロを使って書くようになった。これでやや「ディジタル・デバイド」から少しだけ逃れるようにはなったのだ。

私がW社をリタイヤーした1994年1月末までは、本社との通信手段は電話か手書きのレポートの原稿を秘書がタイプしてFAXで送信するしかなかった。しかし、事務所内にはアップルの大きなコンピュータを操っている者1~2名いたし、個人的にポケベルを持っている時代の先端を行く者もいた。なお、私が辞めて暫くしてから東京のマネージャー全員がPCを持たされて大苦戦したと聞いているし、その時から秘書はタイピストを兼務しないようになったとか。

1955年に大学を出る前には当然のことで卒論を書いたが、当時の我が母校の規定では英文でタイプした論文しか受け入れられず、ミスタイプを避けられない私の技術では手に負えず英文タイプが備わっている英字新聞社でアルバイトしている級友に有料で頼んだものだった。何も卒論に限らず、レポートにでも引用する箇所があれば、コピペなど出来る時代ではなく参考文献を必死で書き写したものだった。

私がPCを導入したのは2003年の9月で、それまでお世話になっていた専門出版社の緊急事態で和訳をお引き受けしたその日に、何とワープロの耐用年数が尽きたらしく動かなくなってしまった。これもまた緊急事態で、長年私にPC導入を説いていた編集長に「最早待ったなしでしょう」とPCとプリンタを購入させられ、右も左も解らないままに使用開始した次第だった。その時が70歳の秋だったか大変な苦労で、未だに時代について行かされたアナログ時代の犠牲者?というに被害者意識が頭の片隅に残っている気がする。

このディジタル化というべきかIT化の凄まじさは私にとっては驚きであると同時にに便利さに感心している。和訳では屡々中国の地名や社名がアルファベット表記されているとその漢字での表記に悩まれたが、これは簡単にコピペで済ませられるのだ。ハングルも同様だろう。また検索エンジンの便利さなどの恩恵にも十分に浴している。

そこで小保方さんだが、彼女が育ってきた時代ではコピペなどはPCの膨大な使い方のごく何でもない一部であり、罪悪感も何も単なる日常的な行為に過ぎないのではないかと思う。彼女は剽窃とされた箇所の出典を知らないと言ったと報じられている。そういうこともあり得るかも知れない時代であると同時に、ネット上には真偽のほどは知らぬが、学内でその行為が頻繁に行われていたとも伝えられている。そうであれば、彼女には罪悪感もなく、倫理問題でもないと認識されているかも知れない。

私は小保方女史のコピペの倫理観を論じる前に、その手法が明らかに存在していた時代に育った彼女はやってはならないことをしたと思って見ている。だが、どうも真っ向から批判はする気が出てこない。それは、少しだけ同情的な見方が許されれば、全てが昔とは異なる時代に育った彼女の不注意であり且つ不運と不幸は、PCが自由自在に使えてコピペなどという手法があった事のせいではないかなどと、密かに考えている。

参考資料: Wikipedia