新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月5日の出来事

2014-04-06 10:06:01 | コラム
六義園のしだれ桜は散った後だった:

5日朝、NHKがトロントから生中継をしたのには驚いた。田中将大のあれほど緊張した表情だったので危ないかなと思っていると、折角1回の表に2点取って貰ったのに先頭打者に「あんな高い球を投げては打たれる」と感じた瞬間にライトにホームランを打たれてしまった。初めてでは仕方がないと思ったと同時に、2000年4月22日にシアトルのセーフコフィールドで佐々木主浩が出てきた途端にホームランを打たれたのを見ていたのを思いだした。

その時には電光掲示板には大魔神と出ていたと記憶するが、あの時の佐々木の呆然としたと見えた表情を思い浮かべた。張本勲はアメリカの打者は雑だと言うが、彼等の腕力では迂闊に甘い球を投げると簡単にホームランを打たれてしまう。佐々木はこの経験からアメリカでの投げ方を学習したのだろう。田中も結局3点を取られたが味方の援護で勝利投手になった。田中は兎も角、NHKが地デジで生中継をしたのには恐れ入った。

野球は1回の裏表を見ただけで天気も安定している間にと染井の墓地に亡母の墓参りに出かけた。見込み通りに染井の桜は未だ散っておらず、明らかに静かに花見を楽しんでおられる高齢者は墓参りの人たちよりも多かった。非常に印象的だったのは花見客用に確保されているだろう空き地?に「日本共産党」と幟を立てて場所取りがされていたことだった。あれはいくら何でも一寸無粋ではないだろうか。

墓参の後に「四の日」ではない巣鴨の高岩寺の地蔵通りを散歩した。消費税率が上がったためかあるいは既に買い溜めされた後だったからか、人通りも少なく静かに商店街を見て歩けたのは結構だった。だが、とげ抜き地蔵様には相変わらず多くの高齢の善男善女が列をなしていたのは寧ろ意外だった。信仰は縁日とは無縁と良く解った次第だった。

その後に一寸遠いとは思ったが家内を説得して、未だ有名なしだれ桜が見られるかと、昔懐かしき六義園まで歩いて行った。思い起こせば生まれ育った小石川区駕籠町(現在は本駒込というようだが)を通るのも久し振りだが、その昔の遊び場だった六義園の中に昼間に入ったのは72~73年振りだっただろう。その当時の景色と比較する記憶もないが、今では65歳以上は150円の入場料が必要だった。因みに、戦前は勝手に園内に入れたと記憶する。

園内は花見だっただろうと覚しき大勢の人で賑わっていたのには隔世の感があった。絶えず進んでいなければならなかったので、ゆっくりと美しき庭園を鑑賞出来なかった。ここが岩崎家の別邸だったということは子供心にも承知していたが、その規模にも感心というよりもあらためて感嘆させられた一時だった。実は、数年前にある団体のリクリエーションで、はとバスでライトアップされた夜桜を鑑賞に来たことがあったが、夜間とあって庭園は良く見えなかったのだった。なお、ライトアップは6日までだそうだ。

帰り道はわざわざ大江戸線を東新宿で降りて、春の日差しを浴びながら職安通りから大久保通りを歩いてみた。土曜日で晴天でありながら職安通りは明らかに閑散としていたとは言え、大久保通りとの間を結ぶ路地にはかなりの人出だった。しかし、大久保通りも昨年の盛況と対比すれば韓国人たちの呼び込みの声が虚しく聞こえるだけとでも表現出来るかも知れない人出だった。家内と「この現象(減少?)は一過性か」と語り合いながら帰宅した。