新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

マスコミの報道姿勢は疑問だ

2014-05-02 15:46:15 | コラム
Sewol号事件については過剰報道ではないか:

連日のように多くのキー局がこの問題を採り上げては、やれ海洋警察がどうの、朴大統領と政府の対応がどうの、兪会長と宗教団体のと関係がどうの等と賑やかなのである。私にはこれらの報道を聞いていると「如何にに我が国が多くの面で韓国よりも整備されているか」を形を変えて示し、単なる優越感に浸っているのではとすら感じる時があるが、もしかして考え過ぎかも知れないが。少なくとも感心はしない。

何れにせよ、私が言いたいことは「我が国は(我が国の文化と伝統が)こうなっているのだからと言って我が国を基準にして文化も歴史も思考体系も異なる外国と比較することは余り意義がないのではないかと思っている。我が国の方法姿勢を韓国がどう受け止めるかという問題を論じているわけではないが、要するに「自国の眼鏡で外国を見ることが適切ではない」という意味である。

換言すれば、特に我が国のように性善説の信奉国であり、スポーツの分野の世界大会に出る度にフェアープレー賞を貰ってくる清潔さ誇る国の視点で、他国でもそこを目指しているのだろうと等と考えても意味がないのではないかということだ。

私は日本の会社に在籍中の1970年頃に韓国からの製紙原料の輸入を手がける機会があって苦い経験もした。またそのために短期間に2度も訪韓したので、かの国の商業道徳が如何なるものであるか、財閥ないしはそれに準ずる企業のオウナーの権力が如何なるものか、賄賂がどれほどの威力があるのか、出張前に聞かされていた「会う人が皆大統領の親戚」という経験もしたし、「韓国とは」という最小限の知識も得ていた。

1972年からアメリカの会社に転じて、「日米企業社会における文化と思考体系の違い」がどれほど大きく、両国ともに物事は自国の基準で起きるし、それに従って推し進めても何とかなる」と思い込んで、要らざる誤解や軋轢を生じていると、悲しいほど認識させられていた。退職後にはその辺りを、「文化の違いという深い谷間を彷徨わされた」そして「目が覚めるまでに10年以上を要した」と回顧した。

今回の過剰報道を見ていると、他の国を論じるならば先ず自分の国が如何なる国でその文化が如何なるものかを知ってから(自分の足元をあらためて十分に見てからでも遅くない)、論じるべきではないかと考えている。そんな時間がないと言うのだったら、室谷克美氏の「悪韓論」でも読めば十分であろうし、韓国の事情に精通された松木国俊氏の下に走れば良いだろう。もしかしてマスコミは実態を先刻ご承知だったりして。

重ねて言うが、ここまでは飽くまでも「文化比較論」であって、私はここに採り上げた報道姿勢が韓国の抗日や反日の姿勢に如何なる影響を及ぼすかなどを論じる気はない、念のため。