新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

韓国の国家的基盤の考察

2014-05-11 14:51:05 | コラム
基礎が出来ていなかった?韓国の文化と経済発展:

ご記憶の向きのあるかと思うが、私は1971~72年間に輸入取引の目的で韓国に出張した経験があった。その頃でもある程度の下調べをして(homeworkである)出かけていった。そして幸運にも中規模財閥のオウナー社長を筆頭に,、多くの日本語世代のビジネスマンと交流することが出来たので学ぶところがあった。客観的に言えば短期間に「韓国とは」という大きな問題の10~20%程度を知ることが出来た。

現在のように韓国で船の沈没や地下鉄の衝突のような大事故が連続して発生すると、我が国のマスコミは「これでもか」と言わんばかりに、かの国の文化の中で大きな比率を占める「賄賂」だの「癒着」だのを採り上げて強調する。また本11日にはフジテレビの登場した室谷克美氏はあらためて「ケンチャナヨ」と「パルリパルリ」(ハングル表記を見たことがないが、パリパリとは聞こえないので敢えてこう表記する)を指摘していた。私は前者は「固いこと言うなよ」とも訳せる気がするのだが。

私はマスコミが事ここに至って韓国を我が国との比較で論じたければ、気が済むまで論じれば良いと思っている。しかし、私はマスコミ論調は些か皮相的(skin deep)ではないかと批判したい気がする。

私は上記の1970年代初期から2000年代に入っても、上記の財閥のオウナーとの交流を続けて来た。1971年には上記の社長さんはアメリカのかのUCバークレーのビジネススクール在学中の長男を連れて訪日した。その際には(当時在籍していた日本の会社の常務命令で)長男の日本の案内を経験した。彼の英語力は後難を怖れずに言えば「現在の我が国の英語教育では到底達成できるはずがない高度な域に達していて、何不自由なく意思の疎通が可能だった。

正直に言えば、当時の私はUCは州立ではあるとは承知していたが、その学費が年間に100~200万円もかかるとは承知していなかった。だが、憧れのアメリカ留学に次男まで出しているという財力には恐れさえ感じた。この金一族では孫の代まで男子全員がUCバークレーないしはUCLAに留学している。私はここには単に財力だけではなく、自国の教育というか最高学府を信ぜずして世界最高水準にある(のだろう?)アメリカの経営学を学ばせている点に注目したい。

論より証拠で、畏友YM氏からは「アメリカの有名私立大学のビジネススクールに留学してくるアジア系では中国に次いで多いのが韓国で、彼等の多くは財閥系の子息と大手企業の幹部候補生と幹部である」と聞いている。彼等の大部分はMBAを取得後にさっさと帰国する由だ。中国人は学業成績優秀で先ず帰国せず、アメリカで職を求めるとか。この辺りに大きな違いがある。

ここで、論旨を多少飛躍させる嫌いはあるが、私は上述のような金がものを言うとか、ケンチャナヨであるとか、室谷氏が「悪韓論」で指摘された「滅私奉公」の逆であるとか、「外華内賓」とか「嘘つき大国」という批判や「民・民汚職」であるとかいう文化(風俗・習慣・思考体系)の上に、米欧的な文化の先端を行くアメリカ式経営学を急速に持ち込んだために甚だバランスが悪い不均一な経済発展を遂げたので、何か一朝事があれば基礎が大きく揺らいでしまったと見ている。

即ち、現在世界に向かってあからさまになってしまった韓国の国家的基盤の均整がとれていないことに加えて、自国の文化にとっては恰も「木に竹を接いだような」米欧文化との不具合が事故の形で表れたと思って眺めている。故に、この事態を根本的に修正しようと思えば、事故の責任者を逮捕するとか、大統領が犠牲者の家族の前で謝罪するとか辞職するとか、閣僚を入れ替えるような弥縫策で解決できる次元にはないと見なしている。

私が危惧することは、このような欠陥が明るみに出てしまった自国の問題点から可能な限り他国の批判をかわそうとする余り、またぞろXX婦問題などのキャンペーンを米欧の諸国で執拗に繰り返して、話題を変えようとする試みをするだろう点だ。

安倍総理、菅官房長官、最後だからといって重要度が低い訳ではない外務省は、最善の努力で韓国の悪意ある対日批判に真っ向から「貴方方は間違えていますよ」と優しく教えてやって頂きたい。

Highway robbery

2014-05-11 10:21:23 | コラム
何故街道筋強盗をするのか:

週刊新潮の5月8・15日号の 野口悠紀雄誌の連載コラム「世界は数字でできている」に、懐かしい"highway robber"という言葉が使われている。野口氏は「街道筋強盗」と表現された。尤も、native speakerたちがこの表現を使う時には"highway robbery"のように名詞の形で使うことが多かった。

これを文字通りに解釈すれば「高速道路上で強盗をする無法」かも知れないが「追いはぎ」や「路上での強盗」という意味でもある。実際に使われる時には「途方もない価格で売りつけられた場合に「まるで追いはぎのような途方もない値段だった」というような表現になっていた。

私はこのような慣用句的な表現を久し振りに見て思い出したのが、中国の南シナ海での振る舞いだった。即ち、中国がヴェトナムと海上で衝突して、「相手がぶつかってきた」と平然と強弁する状態である。これは事が中国ならば予測可能なことで、何ら新鮮味がないと感じた。だが、事態は深刻であると痛感した。

昨日、森本元防衛大臣は「末端が勝手にやったことではない。上層部の指示がっただろう」とコメント。私は彼等は国を国を挙げての南下作戦であり、石油資源を狙ってその気で仕掛けてきていると思う。

私はあれほど国土が広い中国が公称13億の人口を抱えて急速に近代工業国化を指向すれば、エネルギー資源が瞬く間に不足するのは明らかだと思っている。そのためには形振り構っておられず、進出作戦に手前勝手な理屈を並べ立てるのはあの国では当然だと思っている。

しかし、このような急速な工業国化が招くことは全世界的エネルギー源の不足ではないのか。世界には中国以外に大きな人口を抱えて近代化を図っている国がいくらでもある。例えばヴェトナムには多くの先進国が進出して工場を建設しているではないか。UNIQLOの商品を見てもバングラデシュ製となっているものが増えた。何も工業化だけではなく、新興勢力がインフラ整備を開始すれば、そこにもエネルギーや資材が必要になるだろう。

この流れは益々普及していくと、私は考えている。そうであれば、先手必勝で資源確保のためには手段を選ばない国が出てこない保証があるのだろうか。私は中国はこの傾向の先端を走っていると見ているのだが、どうだろう。

私は長い間「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」論を唱えてきた。即ち、所謂LDCが何時までもそのままでいる訳ではなく、先ずは草鞋作りの地位に止まっていることを潔しとはしていないだろうと考えている。中国には今でも草鞋を作っている層もあれば、駕籠どころかロールスロイスを何台も所有する層がでているではないか。