新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

通訳は怖い仕事

2014-05-26 16:54:12 | コラム
通訳論:

これは容易に結論に到達しない議論かも知れない。

昨25日に仏文学者のK博士と懇談の機会を得た。博学多識の彼との語り合いでの話題は広範囲に及んだ。中でも最も印象的だったのが安倍総理と彼の通訳についてだった。お互いに安倍総理の外交政策というか訪問外交に異議はないが、相手が変わる度に通訳が変わっているのが気になるとの点には疑問を感じざるを得なかった。

総理が通訳に依存されていることに異存はない。迂闊に外国の要人というか高官と話し合う際に馴れないその国の言葉で話すことは危険であるのは当然だ。アメリカ等の英語圏の人たちとの重要ないしはトップ会談を英語でするのは無茶であろう。だが、K博士が採り上げた疑問点は「その通訳が総理の秘書役であるとか近くにいて総理の人となりから言葉の癖まで知り尽くしているのではない、職業として通訳である場合があると聞いたので不安になった」ということだった。

そうであれば大いに問題だろうと私も思う。経験上も言えるのだが、この広い世の中には「通訳は全知全能で森羅万象至らざるなしというくらいにあらゆる言葉を知っている」と考えておられる方が多いようなのである。そんな方がいれば、会ってみたいものだ。私は1988年に約2週間、当時のことで1日が8万円という通訳の女性2人と、W社のある事業部の幹部30人と日本中の大手メーカー(紙パだけではないという意味)の工場を訪問したことがあった。

彼女たちの英語力は一級品で文句のつけようがなかった。しかし、自動車、紙パルプ、カメラ、コピー機等々の業界の専門語を熟知している人がこの世に何人おれるだろう。彼女たちは訪問する工場に行くまでの車中やバスの中で想定問答集をアメリカ側と十二分に打ち合わせたし、専門語は予習してきてあって、そのリストをアメリカ側に提示して確認していた。そのhomeworkの量は凄まじいものがあって「なるほど8万円か」と納得させられた。

私自身は「通訳も出来る当事者」と自称していたが、その背景には通訳は給与のうちには入っていないということがあって、完全に近く出来て当たり前と見なされていた。それに生涯最高の上司だった副社長の通訳は10年以上も務めてきたので彼の性格、言葉遣い、癖はもとより当日の機嫌まで読めるようになっていた。しかも、"courtesy call"(儀礼的訪問)でない限りはお客様に会う前に当日の議題くらいは朝食会で十分に練り上げていたものだった。彼の通訳は自己陶酔の世界に入ってやっていた。

しかし、偉そうに言う私では紙パルプと関連の業界である印刷と紙加工以外の産業界の専門語の知識など、自慢ではないが皆無であった。悲しいほど解らなかった。そういう辛い経験もさせられた。さらに、極言すれば「その日に初めてお目にかかったような方の通訳を承るのは無謀である」と思っている。どういう人か解らないからである。責任が持てないだろう。それでも社交辞令的な話し合いならば引き受けたことはあった。

ここまで述べてくれば、安倍総理の通訳をしておられる方が気懸かりな理由はお解り頂けると思う。一国の総理の通訳はその日限りの請負仕事ではないと思うから言うのである。大変に重大は業務だろう。しかし、良いことに、これまで総理が会談された結果で何らかの問題が起きたとは聞いていない。だから良いじゃないかという問題ではない。

総理の周辺に我が国の学校教育の英語で育って、TOEICの点が高かったという人を配置して「もう通訳に問題がない」などと考えられては問題だということ。学校教育の英語の問題点はこれまで読者諸賢がウンザリされただろうと思うほど指摘してきた。では、如何なる能力がある人を据えれば良いのかって。それは私如きの問題ではない。文科省とその官僚の方にでも問い合わせてみたら如何か。