新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

運命論

2014-05-06 16:43:39 | コラム
運は自分の力で切り開くのか、向かって来るのを待っているものか:

今回は自分の経験から見た運命論を。犯罪に遭う遭わないにも一瞬の間の「運」があると思います。その運にも自分で何とかできる「腕」もあるとは思うのです。麻雀では「付きを腕で消す」と言いながらやっていました。だが、当人がそのような腕を持っているかいないかを自覚している例は少ないと言えませんか。

私は仕事を変えました。即ち、2度もフルタイムの会社を変わってしまった後でもと言うかリタイヤーした後になっても多くの仕事をする機会を与えられました。1972年の最初の転身の切っ掛けはと言えば「対談中だった業界の有名人だったとは知らなかった初対面の日系カナダ人N氏が、英語で書いていたメモのテクニカルタームが間違っていたので何気なく誤りを指摘したことだったのでした。後で聞けば「俺の英語の誤りを指摘する奴がいるとは」と驚愕されたそうで。

その専門語を承知していたのは3年ほど前に世界最大のアメリカの製紙会社に転身した同期入社の友人M君が「君はこういうものが好きかと思うので」と言って呉れたその会社が編纂した専門語集に載っていたものを、偶然に覚えていただけのことでした。その後に交流し始めたN氏が「君は外国の会社向きの性格だ」と転身を勧め、諸般の事情も手伝って変わってしまったのです。

最初の転身はN氏の紹介でした。2回目は後々まで彼と転身した先のW社の代表と「あれほどの偶然は二度とないだろうな」と回顧したほどの偶然の重なりでした。これが「運」だと私は痛切に認識しています。

そうなったのは全て運だとと思っていますが、あの専門語を偶々覚えていたことが私の運命を変えたのでしょう。そのさらに転身した背景に雇って下さった会社や使って下さった知り合った方々が、本当に有り難いことに私の何らかの取り柄を評価されたことがあったと思っております。そこには色々な出会いがありました。出会いが運をもたらしてくれたと感謝しております。

このような運の流れは続きました。即ち、1994年1月31日のW社リタイヤー後から2013年8月末まで続きました。新卒の1955年から2003年間に自分の考えで自分の力で(もしそんなものが備わっていれば、ですが)何とかしようと挑戦したか仕掛けたことは、99%は失敗に終わりました。私は流れには逆らえないと徐々に思い始めたのです。

上記の失敗は「私の運は自分で仕掛けては切り開けないのだ」と自覚させられるに十分でした。と同時に、自分に向かって流れてくる運のどれが自分に向いた、受け入れても何とかついていけるものか否かを判断する力を養っておく必要はあったのでしょう。だが、そんな意識はなく、私に向かってきた運は皆有り難いものと見て選り分けなどという大それたことはせずに、素直に受け入れてきました。

だが、私の運を見分ける能力ほど当てにならない場合が多いのです。例えば、成田空港では出国での旅券審査で何時も最も進行が遅い列を瞬時に選んでしまう天才的な能力に優れているばかりではなく、帰国時でも同様で最も遅い列を選び常に同行者を憤慨させていました。外国の空港でも同じこと。コンビニやスーパーでも何でもこの才能は遺憾なく発揮されます。

今日、ある有名なメルマガに投稿させて頂くようになったのも、私に言わせて貰えれば「運」だったのです。詳細は省きますが、2005年の半ばまではこのようなメールマガジンがあった事というか「メールマガジン」なる媒体があることすら知りませんでした。ある会合でNHKのOBであるO氏を紹介されたことが切っ掛けでした。即ち、メルマガの主宰者がどういう方かも知りませんでした。

身内の話に変わります。昭和12年12月に父親が数寄屋橋の交差点での自動車による貰い事故で死亡、実弟は昭和39年夏の深夜に相模原で助手席に座っていたにも拘わらず、アメリカ兵の酒酔い・免許証不携行に衝突された貰い事故が極めて重症で社会復帰に丸二年を要し、私は1985年10月にシアトルで貰い事故による重傷で復帰に半年。我が兄弟は全員運転免許と採ったこともなく、運転しないことが安全を保証しないと実証。これは一寸酷すぎる運命のなせる業かと思います。

私は自分に向かって進んでくる数多くの運命のどれが良いのか悪いのか見分ける能力などないと思っております。しかし、これまでは「これだ」と思うか「これならば」と瞬間的に閃いたものを選択してきました。運命などというものは思いもかけない方向から突然やってくうるものと思っています。「それが自分に向かってくることを事前に関知か察知して対応出来れば良いのだがな」と思うことはありました。

80歳を過ぎて病気ばかりする人生になって、何とかなっては来ましたが中学以来の旧友の一人に「お前は運が良いのではなく強いのだと思っていろ」と言われました。自分では強いのか良いのかは解りませんが、自覚していることは「運命と自分の身体ほど思うに任せぬものはない」と思って生きてきました。