新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Koreatownに倒産が

2014-05-08 17:32:34 | コラム
大久保通りで民事再生法を申請した店舗が:

昼前に大久保通りを散歩中にKoreatownで新大久保駅にかなり近いところの中規模の韓国系の店が「閉店」のビラをガラスに貼って乱雑に閉まっているのを見た。「矢張りこういう形になるところが出たか」という程度の認識で通り過ぎた。一昨日にこの辺りを歩いた気がするが気付かなかったし、何を主体に売っている店なのかも認識がない。

ところが先ほどYahooのニュースに

(株)韓流百貨店(TDB企業コード:988848035、資本金4000万円、東京都新宿区大久保2-2-12、代表金徳洪氏)は、4月21日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した。 (帝国データバンク)

と掲載されていたのには「ここでの倒産が扱われているのか」と驚いた。詳しくは帝国データバンクによれば、

>引用開始
2011年11月には新大久保店を上回る売り場面積の韓流ショップが近隣にオープンするなど、同業店との競合が激化し、2013年1月期の年売上高は約11億3800万円にダウン。韓流ブームがピークを過ぎるなか、自主再建を断念した。 負債は債権者約49名に対し約3億4218万円。
>引用終わる

となっていた。この種の倒産というか整理では去年の末辺りに矢張り中規模店舗に多くの店が寄り集まっていたところが突如閉店して、その後シャッターが降りたままになっている例がある。職安通りでも一度閉めた「百貨店」と称した大型店が数年間閉まったままったのが昨年辺りから再開している例がある。だが、何回か入って見たが買い物客などで賑わっている様子がない。

このような例は他にもあるのかも知れないが、乱立する小規模な韓国物産や化粧品等を売る店が閉まるかまたは経営が変わっても、常時観察か監視している訳ではないから実情は把握できないと思う。

しかし、何となく来たるべきものが来たという感があるし、このような現象が広まっていったならばこの界隈がどうなるかは想像できるので、歓迎できることでもないが、心の中程にはある種の感情が盛り上がっては来るものだ。

因みに、本8日の午前11時過ぎの大久保通りはごく普通に歩ける程度の人出だったが、これも連休が終わった後の落ち込みでもあるのかと考えたのだった。

ゴールデンウイークが終わった

2014-05-08 08:23:04 | コラム
休暇に見る日米間の文化の違い:

「日米間の企業社会における文化の違い」と題しても良いかも知れない。

ゴールデンウイークなるものが終わった。いきなり英語の講釈で、これを英語で表そうと思うならば"Golden Week Holidays"と"holiday"(ホリディではない、ハラディだ。辞書を引け)まで付けないと意味をなさない。何処の局だったか大渋滞の高速道路の絵を見せて「なんで皆が同時に出かけるのでしょうか」と言っていた。尤もな疑問であり、これが欧米(私の場合はアメリカの例しか語れないが)との文化と習慣の違いの例の一つである。

近頃は余り聞かなくなったが「アメリカの会社は思うように長期休暇が取れて羨ましい」と言う方が多かった。本社内では思い思いに1週間から2週間くらいの有給休暇(paid holiday)を取って寛ぎに出かけていく。日本に駐在の来ている者は"home leave"という制度があり、丸々1ヶ月間の有休が取れてアメリカに帰ろうと他の場所に行こうと旅費は会社負担という制度があった。今でもそういう制度があるかどうかは知らない。

これだけ聞けば如何にも優雅な有り難い休暇の制度であると聞こえるだろう。では何故それほど長期間休めるのかの結論から述べていこう。それはアメリカの仕事の進め方は基本的に個人単位であり、同じ部門中で担当する仕事がどの同僚とも重複することがないように出来ているのだ。例えば、営業面ではアメリカ国内担当、アジア担当、欧州担当というように明確に別れていて、責任の範囲がハッキリしている。

即ち、欧州担当が休暇に入った場合に他の地区の担当者が補いきれないようになっているし、Job descriptionには「他の地区の担当者の不在の時にカバーせよ」等という項目がある訳がないのだ。しかも、不在だからといって何がどうなっているのか知る由もない他人の仕事に余計な手出しをして間違いでもあれば、責任を取らねばならなくなるではないか。そんな暇人はいない。

「それならば、不在中(休暇中)には秘書がいるではないか。秘書が何ら中の手助けをすれば良いではないか」という見方もあるだろうが、秘書のjob descriptionにそういう項目がある訳なく、秘書はそれに見合う給与を与えられていないから、手出しをすることはない。そして通常は「休暇中にはこういうことがありました」と記載したレポートは作ってくれてあると思う。

そして、すっかり気力と体力を取り戻して帰ってきた担当者は不在中の膨大な量の滞貨を一掃すべく、昼夜を分かたず奮闘して追いつ校とするのである。客先も同様な休暇制度を取っている会社である以上、休暇で不在だった者に対して理解を示すので、さしたる問題を生ずることなく追いつくことが出来るのである。

要するに担当者は自分の責任で休暇を取り、戻ってきた後の整理と追いつくことも全て当人の責任でやっているということだ。また、見方を変えれば、頼りに出来るのは自分だけで、同じ部門中の誰にも依存できる性質ではないということだ。考えてみて貰いたいことは、休暇中に溜まっている仕事の量はかなりなもので、追いつくのはは言うほど簡単ではないのだ。休暇は飽くまでも当人の責任で取るものだということ。

ここで目を我が国の制度と組織に転じてみよう。朝9時には全員が揃い各課ないしは部単位で一斉に仕事に取りかかるのだ。また同じ課の中ではお互いに補い合って仕事が停滞しないように進めていく麗しい習慣がある。ティームワークは随所に発揮され皆で一丸となって事に当たっていく「和」の精神がある。組織の一員が自己都合で勝手に休暇を取ってしまう例は希だろうが、その場合でも誰かが不在を補ってくれる。

嘗て来日したアメリカの女性経営者に「我が国には『遅刻』という制度があって、全員が所定の業務開始時刻までに出勤する」と説明したが、その意味を理解するまでにかなり時間を要した。そこで大手の得意先の常務が「皆が揃って一斉に皆で仕事に取りかかろうという精神」と説明されて漸く納得。そして曰く「素晴らしい制度だ。我が社は中々全員が揃わないので、帰国後はこの制度を導入する」

簡単に纏めれば「全てが個人単位で個人の能力に依存する」のがアメリカで、我が国では「皆で心を一つにして取りかかろう。皆の力を発揮しよう」との違いであると私は考えている。アメリカの会社の特徴は、同じ部門内で各担当者が思い思いの形というかやり方で仕事を進めているのだが、最終的にはそれでも所期の結果が出てくるようになっているのだ。これが文化の違いだと言える。

何時のことだったか"home leave"で1ヶ月不在だった本社からの駐在員に「それほど長く空けることに不安はないのか」と尋ねた。答えは「それは不安に決まっている。最初の10日間は朝から晩までどうなっているかが気懸かりだ。しかし、20日目くらいになると全て会社のことを忘れて休暇を満喫できる精神状態になる。快適だ。

しかし、残りが1週間くらいになると気力と体力が充実してくる。そして、不思議なことに早く東京に戻って仕事をしたくてたまらない衝動に駆られる。本当に不思議だが偽らざる事実だ。そしてこれは極めて良い制度だと解ってくる」だった。帰ってきてからの不在中の仕事の整理は大変だが、それだけの気力も体力もあるという仕掛けだ。

私には日米間にこのような文化の違いがあるとは解ったが、何れの仕組みが良いかなどと論ずる気はない。文化も歴史も違う国の制度だからだ。これから我が国のシステムをアメリカ式に変えることなど先ず不可能だろうし、「和」の精神を貴ぶ我が国を「個人」の単位で動かせるようになる訳はないだろうから。