新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「インフル」って何だ?

2016-01-14 07:21:56 | コラム
いい加減にしろ、カタカナ語:

先ほどもテレ朝のニュースで「インフルが流行り始めた」と言っていた。何度言えば解るのか。「本当の英語ではないカタカナ語を誰がどう使おうとご勝手に」とは言ってきたが、公器であると思っているテレビが、かくも怪しげなカタカナ語を使うのはうんざりだし、本当にAHOかと思う。

"influenza"=流行性感冒は、嘗ては新聞等には「流感」と「インフル」よりも2文字少ない言葉で表記されていた。だが、カタカナ語の採用と流行が今日の隆盛を見るや、軽佻浮薄のマスコミは何を血迷ったか「インフルエンザ」の最初の4文字を使った略語の表記を採用するに至ったのだ、英語での略語は"flu"であるにも拘らず。

以前に指摘したが、英語には"influence"=「影響」という言葉がある。本気で我が国独特の「単語の記憶尊重」を学んできた方々は「インフル」と聞いて素直に「流感」と思えるのだろうか。「もしかして影響の略語?」とは思わないのだろうか。このような外来語を創造していると疑っている共同通信は、そういう配慮はしていないのだろうかと、本気で心配している。

こういうカタカナ語批判は今や如何にもドンキホーテ的になってしまったのは残念だ。その普及は素晴らしいものがある。例えば、テレビでも何でも聞いていれば、最早我が国には「従業員」や「職員」等の言葉が消滅し「スタッフ」に取って代わられ、「心配事」、「揉め事」、「困難」、「迷惑」、「災難」は全て「トラブル」で括られてしまった。

「どうお使いになろうと好き勝手に」と言った以上文句を言っても始まらないが、私は我が国の漢字文化の衰退と発想の貧困化を恐れるのだ。テレビに登場するスポーツ選手をも含めたAHOどもは「素晴らしい」、「望みうる最善の結果だった」、「非常に美味である」、「よくぞここまで来たものだ」等々の感情を表現する際には、何が何でも「最高!!」としか言えない語彙の貧困さを示している。これを聞くAHO候補生も「あの方々が使うのだから」と真似てしまうお粗末さだ。

そういう判断の基準すら教えていない教育の成果も凄まじいが、SMAPとやらの解散がどうしたのと、テレビ各局や新聞が騒ぎ立てている有様を見れば、GHQが意図したとされる日本人の骨を抜くプロジェクト(カタカナ語だ!)は着々と功を奏しているではないか。