新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月28日 その4 甘利大臣が辞意表明

2016-01-28 17:59:16 | コラム
残念な結果:

先ほどテレビでの記者会見の末尾で甘利氏が辞意を表明された。

私は1月21日に下記のように書いていた。その通りとなったのは残念であり遺憾でもある。文藝春秋社は甘利氏を辞めさせてさぞかし満足だろう。それが国益かどうかは私には判然としないが。

>引用開始
これまでの「政治と金」の案件では、ここから先は「当面は(大臣かまたは議員の)辞任は考えていない。有権者の負託に応えるべく職務(職責)を全うする所存」と神妙に自らの出処進退を表明する段階に進む。次の場面では野党(乃至は与党、または世論という名のマスコミ論調)が厳しく揚げ足を取って追求する。総理乃至は党首も懸命に庇うとなっていく。ここまで引っ張った場合には辞任乃至は辞職に追い詰められたとなると極めて惨めな印象しか残らないのが最悪の筋書き。

私の閃きでは、甘利氏は最悪の筋書きに向かっているような気がする。政治の世界は全く解っていない私には、安倍内閣の最重要な閣僚の一人であり、地味な印象しかないが着々と実績を残しているのに、もし週刊文春の記事が正しいのならば、何故「口利き」のような危ない橋を渡る必要があったのかと疑問に思う。また「秘書が」と逃げるのであれば、秘書の行動をきちんと把握出来ていなかった管理責任を問いたい気がする。金の出入りなどは常に十分に管理しておく事を、何百人も何千人もいる会社組織とは違うのだから、事務所内に指示を徹底出来ないのかと疑問に思う。
>引用終わる

「ジャンル」を政治としたが、それで良かったかどうかが私には良く解らない。社会かも知れないとも思えるので。

1月28日 その3 「世論」という名のマスコミ論調を考える

2016-01-28 08:30:53 | コラム
木曜日は週刊新潮と文春の発行日:

私はこれらの2誌を必ず買って読むようにしている。それは新聞もテレビも信用するには難があると思い込んでいるからだ。そこで、現在のように既に実務の世界から身を引いた高齢者では何を信ずべきかに迷うので、これらの週刊誌がテレビや新聞の醸し出す「世論」と多少以上に違う視点から見ており、週に一度という発行故にその日暮らしの報道機関よりも(この度の甘利大臣関連の報道には多少疑念は抱くが)深く掘り下げているようなので、三つの機関が言うことを総合すれば本当の形に少しは近づけるかと考えている。

何故これらの2誌しか買わないのかとお尋ねか。それは最早それだけの資金力がないからだ!

お断りしておくが、私はマスコミが好んで用いる「真実は一つ」は全く信じていない。これは年来の持論だが「出来事が一つ」であって、その出来事を「年功経験」、「依って立つ視点」、「思想信条」、「社会的地位」、「企業内の偉さの順番」、「国際経験の有無」、「直接か間接の立場か」等によって見え方、受け止め方が異なって来るのであって、それぞれの目に「真実」だと見えているだけだと考えている。自分に見える出来事を「真実だ」と押しつけられては困るのだ。

即ち、新聞記者が「真実」だと思うことが、週刊誌(出版社の記者)とは違うし、テレビのような画像が見せるものとも異なるのであるから、どれを信ずべきかを判断するのは容易ではないはずだ。だが、一般人には未だ未だ新聞やテレビを信じたい傾向が残っていると思っている。そこに、今回のように野党が居丈高に国会で質問すれば、その画像と岡田克也氏のような声高の質問に迫真力が出てしまうものだ。現在では野党が「世論」を形成しつつあるのではないか。だが、彼らが週刊文春の記事に則っているのであれば、極めて危険な世論形成ではないのか。

何が「真実か」を誰が何時何処で明らかにするかは、読者や視聴者の判断能力にもよるだろう。と言った以上、矢張り週刊文春を買いに出て行くしかないのかとも考えている。だが、それが「出来事」の実態に近づく唯一の方法ではないと思っている。さて、本日甘利大臣は記者会見で何をどう説明するのだろうか。それは彼が調査したか、彼の目から見る真実だろうが、野党やひょっとしてマスコミが望むものではないのではないか。


1月28日 その2 甘利大臣は嵌められた

2016-01-28 07:57:57 | コラム
「頂門の一針」第3912号で池田元彦氏が:

<集られたと本気で告発するなら、相手は警察だ。それを週刊文春に膨大な 証拠を渡し、事細かく説明し特ダネ献上するのは、甘利大臣をターゲット に選び、最早独走体制にある自民党を混乱させ、7月の選挙での大逆転を 画策する一味かその回し者、或は支援する工作スパイしかいない。>

しておられるのは全くその通りだと思っております。野党も週刊文春の記事を元にして色々と難癖を付けているのは自らの調査能力と情報収集能力の欠如を問わず語りしているとしか思えません。しかし、事態は野党の批判をしていれば済むようなものではないようなのが極めて遺憾です。安倍内閣の危機かとすら考えております。

甘利大臣の「続投」とは何だ

2016-01-28 07:55:03 | コラム
「続投」とはマスコミの野球用語ではないか:

私はテレビでも新聞でも「留任」か「辞任をさせない」か「辞任せず」という意味のことを言いたくて「続投」という野球で投手を「危機に当たって替えずに続けること」を意味するマスコミ用語(と敢えて言うが)を使うのは気に入らない。また、彼らは「降板」という言葉も使う。これは”pitcher’s plate”を「投手板」とした訳語から来ていると思っている。何で野球用語がそれほど有り難いのかと問いかけたい。

今回の甘利大臣に対して向けられた疑惑の報道についても、安倍総理は「職務に専念させる」と言われたが「続投させる」などという俗語は使われていない。何故、「留任させる意向の表明」といったような具体的な記述が出来ないのか、不思議に思えてならない。近頃は何でも「揉め事」か「故障」に属するような出来事をカタカナ語の「トラブル」で括ってしまうのは彼らの語彙の貧困さを示すものであり、同時に罪なき一般人の語彙をも貧弱にして表現力を低下させるだけではないか。