新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月18日 その2 大雪に思う

2016-01-18 17:10:50 | コラム
遅刻制度って:

本18日は昨夜からの雪降りでここ新宿区百人町付近の我がアパート付近の歩道はとても歩ける状態にはなかった。それでも、私は勇猛果敢に高田馬場駅前のジムに向かうべく9時過ぎに家を出た。1時間にたった一本のバスは既に期待出来ない状態で、最善の選択と思い新大久保駅まで約600 mを歩いて山手線で行くことを考えついた。ところが、外回りは時間調整とやらで新宿駅に15分近くも止められ、雨ざらしで寒い寒いプラットフォームに立たされてしまった。

その間に内回りの電車は無情にも何本も通り過ぎていったのだが、その遅れてきたラッシュアワーの混み方は尋常ではなく諦める人が出たほどだった。先月は事情これあり何度か朝9時前に山手線に乗らざるを得ないことがあった。20年以上も通勤時間帯の電車に乗っていなかった身には、その苦しさはたった2~3分のことでも拷問のようだった。在職時にはそれが嫌なこともあって銀座線の渋谷経由で青山一丁目の事務所まで出勤するために、7時過ぎの空いている時間帯に出かけていたものだった。

しかし、その頃でも電車を逃すまいと必死に走っている方々を見かけたものだった。また、嘗て初めて来日した上司や同僚の奥方たちを何度か朝のラッシュアワーの凄まじさを見せようと東京駅、新宿駅、上野駅等に案内したものだった。ある時、日光に向かうべく地下鉄銀座線の浅草で乗り換えようとした際に、彼らには血相を変えてと見える形相で走ってくる多くの通勤客を見て「あれは何か重大な危険になりかねない事故でもあって逃げてくるのか」と尋ねられたことがあった。

そこで「我が国の会社では朝は普通は9時から始まり原則的に全員が揃ってから、会社によっては朝礼を行うところもあれば、管理職が全員が遅れずに席にいるかを確認することもある。そこには”遅刻”という罰則を伴う厳格な規定があって、常習者には査定に際に減点されることもあるので、皆出勤時刻を守ろうとする勤勉さがあるのだ。中には3回の遅刻で有給休暇を1日減らすような就業規則がある会社もあると聞く。出勤簿というものもあり、9時までに捺印しないと遅刻と見なす会社もある」と解説した。現に、今朝の新大久保駅では懐かしき「遅延証明書」が配布されていた。

この説明を聞いて、そういう制度もなければ所謂「フレックスタイム制」のようで、自分の担当範囲の仕事の状況次第で何時に出勤し退社するも各人の勝手となっているアメリカの会社の者には「信じられない制度」と、驚き呆れる者がいたのは当然だった。W社本社では出社は8時~17時帰宅とは一応規定がある。だが、何時出てきて何時帰るかは各人の自由裁量だった。いや、「能力がない者は早く出勤し何時まで残っていても良い仕組み」と言った方が適切かも知れない「企業社会における文化の違い」があると言える。東京事務所でも出勤時刻についての基本的な考え方は本社と同じだった。

因みに、この苦心した「遅刻」の説明を聞いた自分で不動産会社を経営しておられた上司の奥方は「それは素晴らしい制度だ。我が社には出勤時刻が一定しない者が何名かいて困っている。帰国次第早速この制度を導入して、朝は皆で同時に仕事を始めるようにしよう」と言われたことすらあった。

「朝は何時に出てきても良い。遅刻などという規定はない」とは一見有り難いようだが、中身はそんなに生易しいものではない。週五日制で朝は9時から午後は5時までの間で、自分の”job description”に決められたこと及びそれ以上の何か際立った実績を上げられていない場合には、如何なる事態に陥るかは、常識として全員が心得ている。だから、本社などでは朝は6時から出勤して7時には開いているCafeteriaで朝食のサンドイッチを片手に仕事をしている者だっている。帰宅時間にしたところで、やりかけて帰る場合には自宅に持ち帰るのが当たり前だった。

出勤と退社(と言うか帰宅と言うべきか)についても日米の企業社会の文化にはこれだけの違いがあるのだ。私は何れが優れているの何のと論じる気は毛頭ない。それは「皆で一丸となって」であるとか「和」の精神を貴び、「一致団結して事に当たろう」という思想で、同僚が苦境にあれば同じ部や課の者が助けてやろうなどという相互に助け合う美しい精神がないアメリカの個人の能力と主体性に依存した文化とは、これほど違うというだけのことだ。経験上も断言するが、何か事があってもそれぞれが違う仕事を担当している以上、他人を援助する余裕もないし、知らない分野に手を出して何の得もないし、責任を負うことはしないという世界だとご承知置き願いたい。

上記のように「皆で一緒に」という世界ではないので、先ずは「さて、昼休みだ。誰某を誘ってあの店のランチを」という風にはいかない場合が多い。それは各人が個室にあって別の仕事をしている以上、時間を合わせるのは容易ではないという意味でもある。であるから、同じ事業部の隣のオフィスの者が何時に出勤して何時帰ったかなどは知らないことがあってもおかしくない世界でもある。「遅刻」に相当する熟語は英語にはないと思う。

SMAP解散騒動

2016-01-18 07:51:46 | コラム
取るに足らない話題だ:

このところ連日連夜、各テレビ局がスポーツ新聞の記事までも引用してジャニーズ事務所なるものの看板グループらしいSMAPが辞めるの解散するのと大騒ぎである。ずばりと言えば、我々というか私の交流範囲内の方々の間でというか、少なくとも私自身にとっては全く何の関心もない極度に他愛ないAHOらしい出来事である。だが、この騒動のお陰でSMAPとは”Sports”、”Music”、”Assemble”、”People”の頭文字をとったものだという貴重な?学習が出来た。

報道の中でも特に私がウンザリな点は、この「国民的アイドル」(何処がそうなのか私には解らないが、歌がへたくそなのは解る)の解散と事務所脱退を惜しむ声が高く、それを思い止まらせようと一部の国会議員までが云々という報道があったことだ。国会会期中にそんなことを心配している場合か。ジャニー喜多川(だったか?)なる者が運営するこの事務所が芸人の世界と各テレビ局に絶大なる影響力があること程度はマスコミ報道でも承知はしているが。

だが、私はその事務所に所属すると聞く所謂タレントなる者どもののアホ面と下品さには嫌悪感を覚えさせられるので、彼らが出る番組やCMなどがテレビ画面に現れるや否や出来る限り切り替えようとするほどだ。あの事務所に屈服し所属のガキどもを使い続けるテレビ局の見識も愚劣だが、あのガキどもを崇め奉るファンの層が確立されていることも情けない限りで、嘗てのGHQの日本人骨抜き計画が戦後70年間にここまでの成果を上げてきたのかと、慨嘆せざるを得ない。

私などは元々がテレビ局の番組作りの狙いからは圏外にあるようだとは知らされているし、ジャニーズのガキどもを使うようなテレビCMの対象ではないとは知らされている。そして、自分とは関係ないことだと言いながら、ここまで批判してきたことは自己矛盾かも知れない。だが、こんな一件よりも現在には我が議員にも国民にも心配すべき他の重大な案件が数多くあると思うので、敢えて取り上げた次第。いや、例によってマスコミ批判なのだ。

中国の経済、中東情勢、アメリカ大統領選挙、国会運営、対韓国外交、北朝鮮の動向、野党連合の動向、株価下落、為替の変動等々よりも、SMAPを心配していられるとはお気楽な世の中になったものだ。