トランプ大統領は世界の秩序を変える気かそれとも認識不足か:
トランプ政権が相変わらず我が国の対米自動車輸出を目の敵にしているのを見て、我が国の経済に好ましからぬ影響を与えると危惧する向きが多い。私も尤もな捉え方だと思うが、トランプ政権のこのような認識は何十年も前の貿易摩擦の頃を思い出させてくれる。もしかすると、トランプ大統領はそれを承知の上で「アメリカを再度偉大にする」為には過去には拘泥しないとでも言いたいのかと疑いたくなる。
既に指摘したことだが、アメリカの製造業は(当時としては)大型の設備を活かして生産効率を追求して「大量生産→大量販売」に徹底し、自らの都合だけで作った製品を国内市場に流し、国内の需要家と最終消費者を満足させていると信じてきた。即ち、需要から逆算した物を作るのではなく、自分たちの都合で作った物で需要を賄ってきたのだった。消費者は果たしてその製品が世界最高であるかどうかなどは知る術もなかった。
要するに、我が国のような厳しく細かく且つあまりに多くの要素を要求する(我々はこれを表現するのに”demanding”という単語を当てたが、時には”nitpicking”=「細かくあら探しをする」を使って嘆いたことすらあった)市場と比較すれば、アメリカの需要家も消費者も品質に対して寛容過ぎると言えるのだ。換言すれば「消費者が製造業者を甘やかした」のである。
このような寛容な市場と消費者を相手にしてきたアメリカの製造業は、巨大なアメリカ市場だけで満足していた。即ち、GDPの60~70%を国内需要が占めているアメリカでは、輸出は国内市場の需要を犠牲にしてまで行う分野ではなく、国内市場よりも高く売れて余計な利益が出る場合に行う事業だった。そして、もし輸出するにしても、自社の規格以外の物を作ってまで出て行く市場ではなかったのである。私の認識では「少なくとも1970年代後半ではそのような姿勢で臨んでいた」となっていたし、そう聞かされていた。
そのような実例を挙げてみれば、その品質と価格に過剰とも言いたい(大甘な)自信を持つ自動車産業は「逆さの文化」(=reversed culture)の我が国の市場に躊躇うことなく左ハンドルの車を持ち込んだのである。そして、多くの欧州車はチャンと右ハンドル(英語では何と”steering wheel on the wrong side”となっているのだ。即ち、ハンドルは間違った側に付いていると言ったのだ)の車を作って日本市場に乗り込んできたにも拘わらずだ。
このような我が国の需要者から見ればハンドルが間違った側に付いている自動車が、高級車のベンツやBMWやイタリア車のようには売れない状態が続いている。トランプ政権はこのような文化の違いと歴史を承知の上で「買わない日本が怪しからん。輸入を制限するか関税をかけるか」と考えているのであれば、矢張り認識不足の誹りは免れないだろう。我が国の需要者が先を争って買うような車を作る体制を整えてから関税をかけるのならば解るが、現状では戯言の部類だろう。
私は幸運にもトヨタ自動車の生産体制を見学する機会を得ているのだが、もしもアメリカの自動車産業があれと同様のシステムで生産しているのならば、右ハンドルを車を作る為に膨大な資金を投じる設備投資など必要はないと見える。だが、その前に日本車に対抗出来るだけ(”competitive”で良いだろう)の品質を達成するのが先だと思うが。我々はW社内で「品質なくして成功も生存もなし」と言って生産現場(=組合員)を督励して、日本市場での最大のシェアー・ホールだーの地位を確保した。
換言すれば「相手先の市場の需要に如何にして合わせていくか」が重要であって、右ハンドルで世界最高の品質の車が一般品である市場に左ハンドルの車を持ち込んで「世界最高なり。サー買え」と言っても通用しないと知るべきだ。ここで問題になるだろうことは「仮令左ハンドルでも買わせてしまうようなセールスマンを揃えてあるか」なのだ。経験上も言えるのだが、”job security”に疑問がある外国の会社に敢えて職を求める腕利きがどれほどいるかということ。この件は別な案件として何時かまた論じてみたい。
私は輸出を強化しようと思えば、我が国の多くの製造業が実践してきたように相手国の市場の要求に合わせていくことが肝要だと信じている。我が製紙産業での例を挙げて見よう。コピー用紙が好例になると思う。我が国はメートル法をいち早く採用したので、最も多く使われているのがA4判で、その寸法が210 mm×297 mmである。一方のアメリカの一般品は「レターサイズ」という8-1/2インチ×11インチ(=215.9 mm×279.4 mm)という縦が短い寸法だ。
このレターサイズが使われている国にA4判の書類を送るとファイルホールだーの下の方に飛び出してしまうので困ると苦情が来ることもあった。一方のアメリカでは設備を手直ししてA4判を作ることを厭うので、なかなか対日輸出が振るわず、我が国にはA4判は東南アジア、中国、ブラジル等からの輸入のコピー用紙しか入っていない。
私はアメリカは基本的に輸出依存国ではないと思っているし、そのように内部でも聞かされてきた。また歴史的に見ても、強すぎる労働組合を抑えきれずに労務費が高騰したこともあったし、非耐久消費財が中国やアジアの諸国からの輸入に圧倒された結果で空洞化に至った。その間の事情を知って知らずか、トランプ政権が中国(と並べて我が国まで)を批判するのは正当とは言えないと思っている。
トランプ政権はもしかすると歴史を認識されていても、「アメリカファースト」と「アメリカを再び偉大に」のスローガンの為には過去は忘れて、世界に新たな貿易慣行というかシステムを導入して新たな時代を築こうとしているかも知れないと、精一杯善意に解釈しようとは思った。だが、矢張り「トランプ様はお間違いであるし、過去を正しくご認識ではないのだろう」としか考えられないのだ。
トランプ政権が相変わらず我が国の対米自動車輸出を目の敵にしているのを見て、我が国の経済に好ましからぬ影響を与えると危惧する向きが多い。私も尤もな捉え方だと思うが、トランプ政権のこのような認識は何十年も前の貿易摩擦の頃を思い出させてくれる。もしかすると、トランプ大統領はそれを承知の上で「アメリカを再度偉大にする」為には過去には拘泥しないとでも言いたいのかと疑いたくなる。
既に指摘したことだが、アメリカの製造業は(当時としては)大型の設備を活かして生産効率を追求して「大量生産→大量販売」に徹底し、自らの都合だけで作った製品を国内市場に流し、国内の需要家と最終消費者を満足させていると信じてきた。即ち、需要から逆算した物を作るのではなく、自分たちの都合で作った物で需要を賄ってきたのだった。消費者は果たしてその製品が世界最高であるかどうかなどは知る術もなかった。
要するに、我が国のような厳しく細かく且つあまりに多くの要素を要求する(我々はこれを表現するのに”demanding”という単語を当てたが、時には”nitpicking”=「細かくあら探しをする」を使って嘆いたことすらあった)市場と比較すれば、アメリカの需要家も消費者も品質に対して寛容過ぎると言えるのだ。換言すれば「消費者が製造業者を甘やかした」のである。
このような寛容な市場と消費者を相手にしてきたアメリカの製造業は、巨大なアメリカ市場だけで満足していた。即ち、GDPの60~70%を国内需要が占めているアメリカでは、輸出は国内市場の需要を犠牲にしてまで行う分野ではなく、国内市場よりも高く売れて余計な利益が出る場合に行う事業だった。そして、もし輸出するにしても、自社の規格以外の物を作ってまで出て行く市場ではなかったのである。私の認識では「少なくとも1970年代後半ではそのような姿勢で臨んでいた」となっていたし、そう聞かされていた。
そのような実例を挙げてみれば、その品質と価格に過剰とも言いたい(大甘な)自信を持つ自動車産業は「逆さの文化」(=reversed culture)の我が国の市場に躊躇うことなく左ハンドルの車を持ち込んだのである。そして、多くの欧州車はチャンと右ハンドル(英語では何と”steering wheel on the wrong side”となっているのだ。即ち、ハンドルは間違った側に付いていると言ったのだ)の車を作って日本市場に乗り込んできたにも拘わらずだ。
このような我が国の需要者から見ればハンドルが間違った側に付いている自動車が、高級車のベンツやBMWやイタリア車のようには売れない状態が続いている。トランプ政権はこのような文化の違いと歴史を承知の上で「買わない日本が怪しからん。輸入を制限するか関税をかけるか」と考えているのであれば、矢張り認識不足の誹りは免れないだろう。我が国の需要者が先を争って買うような車を作る体制を整えてから関税をかけるのならば解るが、現状では戯言の部類だろう。
私は幸運にもトヨタ自動車の生産体制を見学する機会を得ているのだが、もしもアメリカの自動車産業があれと同様のシステムで生産しているのならば、右ハンドルを車を作る為に膨大な資金を投じる設備投資など必要はないと見える。だが、その前に日本車に対抗出来るだけ(”competitive”で良いだろう)の品質を達成するのが先だと思うが。我々はW社内で「品質なくして成功も生存もなし」と言って生産現場(=組合員)を督励して、日本市場での最大のシェアー・ホールだーの地位を確保した。
換言すれば「相手先の市場の需要に如何にして合わせていくか」が重要であって、右ハンドルで世界最高の品質の車が一般品である市場に左ハンドルの車を持ち込んで「世界最高なり。サー買え」と言っても通用しないと知るべきだ。ここで問題になるだろうことは「仮令左ハンドルでも買わせてしまうようなセールスマンを揃えてあるか」なのだ。経験上も言えるのだが、”job security”に疑問がある外国の会社に敢えて職を求める腕利きがどれほどいるかということ。この件は別な案件として何時かまた論じてみたい。
私は輸出を強化しようと思えば、我が国の多くの製造業が実践してきたように相手国の市場の要求に合わせていくことが肝要だと信じている。我が製紙産業での例を挙げて見よう。コピー用紙が好例になると思う。我が国はメートル法をいち早く採用したので、最も多く使われているのがA4判で、その寸法が210 mm×297 mmである。一方のアメリカの一般品は「レターサイズ」という8-1/2インチ×11インチ(=215.9 mm×279.4 mm)という縦が短い寸法だ。
このレターサイズが使われている国にA4判の書類を送るとファイルホールだーの下の方に飛び出してしまうので困ると苦情が来ることもあった。一方のアメリカでは設備を手直ししてA4判を作ることを厭うので、なかなか対日輸出が振るわず、我が国にはA4判は東南アジア、中国、ブラジル等からの輸入のコピー用紙しか入っていない。
私はアメリカは基本的に輸出依存国ではないと思っているし、そのように内部でも聞かされてきた。また歴史的に見ても、強すぎる労働組合を抑えきれずに労務費が高騰したこともあったし、非耐久消費財が中国やアジアの諸国からの輸入に圧倒された結果で空洞化に至った。その間の事情を知って知らずか、トランプ政権が中国(と並べて我が国まで)を批判するのは正当とは言えないと思っている。
トランプ政権はもしかすると歴史を認識されていても、「アメリカファースト」と「アメリカを再び偉大に」のスローガンの為には過去は忘れて、世界に新たな貿易慣行というかシステムを導入して新たな時代を築こうとしているかも知れないと、精一杯善意に解釈しようとは思った。だが、矢張り「トランプ様はお間違いであるし、過去を正しくご認識ではないのだろう」としか考えられないのだ。