新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月8日 その2 スポーツを語れば

2017-04-08 17:12:14 | コラム
期待通りには行かないもの:


ゴルフ:
先ずはマスコミがマスターズでの優勝を期待する松山英樹から。アメリカに行って2年経って世界のランキングが4位になったのは立派だと思う。だが、世界の強豪が集まる大会でいきなり優勝するまでには達していないと思っている。それは再三指摘してきたことで、あの世界に入ってみれば、少しくらいゴルフが上手だとか、英語が出来るとかで簡単に抜きん出ることは極めて困難なことだという意味だ。

それは時差がある世界だとか何とかいうような程度ではなく、異文化の世界に入ってみれば全ての要素が彼らと同一の水準にまで達していて、初めて同条件になるという意味だ。異文化の世界に生きることの難しさは経験してみなければ解らないことで、外部の者がそれを知らずして云々すべきではないと思う。彼らの欧米の文化圏に入ってみて、当初はお客様扱いであるのが普通だから、何とか彼らに伍してやっていくことも出来ると経験した。

しかし、彼らの水準を抜いてというか、彼らを上回るような成績を残すとなれば話は違ってくるのだ。それは彼らの生活様式や行動のパターンが全て彼らの優れた体格と体力に基づいて構成され、そういう基礎の上にシステムが成り立っているのだ。「何だ、そんなことは何でもないじゃないか」と言われそうだが、それは経験したことがないから言えるのだと思う。そこでの試練に耐えて、彼らの文化と思考体系に耐えて、体力勝負でも負けることなく成績をスポーツ界で残せた者がこれまでに何人いたかを考えて欲しい。

換言すれば、ゴルフならば4大メージャー大会で優勝するとか、野球ならばMLBでMVPを取ったとか、首位打者を取って広く全米で認められたかそれに準ずる成績を残せた者が、松井秀喜と鈴木一朗の他に何人いたか。サッカーで欧州に行って揺らぐ事なきレギュラーのスターティングメンバーになって世界的な選手と認められた者がどれほどいたか。それだけ世界は広いということである。

それだけではない。あの異文化の世界にあって、言葉の障害も乗り越えて、尚且つ彼らを凌ぐ成績を残すことは、何もスポーツの世界だけではなく、ビジネスの分野にあっても容易ではないのだ。ビジネスの分野では MLBのように通訳をつけてくれることなどあり得ないのだ。先ずは言葉の障害を克服した上で、異文化と異なる思考体系の世界で、体力負けせずに立派な業績を残してリタイヤーするのは極めて難事業である。

そう思えば、気安く松山英樹が優勝するなどと予想するべきではないと思う。テニスの錦織圭君などは世界のランキングを一度は4位まで持って行ったのは大変立派な成績だと賞賛せねばなるまい。しかも、一旦そこまで上がれば、それを維持するためには毎週のように世界を回って連戦に耐えねばならないのだ。それを称して、私は「全てが彼らの体格と体力の上に組み立てられたシステムである」というのだ。錦織圭君はその試練に耐えては来たが、現時点では7位にまで落ち込んだ。それも、止むを得ないが、立派なものだと思う。

ラグビー:
先ほどまで、暫くぶりにスーパーリーグのラグビーを見ていたが、大変結構なことで我が(とは言うが、私の持論では外国人との混成テイ―ムである)サンウルブズが今季初の勝利を挙げていた。この試合を見ていてつくずく感じたことは、我が方の方が技術的には優れている面が多々あったかと思うが、その行く手に立ち塞がっていたのは体格と体力の差であったと思わずにはいられなかった。彼らが、この障害物を突破する技法を会得すれば、あの程度のテイ―ムに苦戦することはないと見たのは誤りか。

プロ野球:
あまり期待しないで見た巨人対阪神の野球は雨で途中で試合中止となった。巨人嫌いとして一言述べれば、多くの選手上がりの評論家が今年は巨人の優勝と予想した。その理由の一つが国の内外から例によって沢山の既成の選手を買い求めたことが挙げられていた。嫌らしいやり方だ。だが、何試合か先発メンバーを見ると、金に飽かして買い求めた選手でずっと使われているのが三塁のマギー(J. M. McGeheeで、我々はこれをマギーヒーと発音していた)だけで、二塁には去年までの万年補欠の中井が出ているのだ。高橋由伸さん、何のための投資だったのですか?

最後にサッカー:
サッカーについても一言。ロシアでのW杯最終予選でどうやら勝ち残れそうなところまでやってきたようだ。そこにある斬新なことは、ハリルホジッチ監督がようやく世代交代に向かってこの難航する予選の最も困難な時期に踏み切ったことだと思う。本田、香川、岡崎、長友等々は老い込んだと見切るには早い年齢だが、何時までも前任者や前前任者が選んで育てた者たちに頼っているべきではないと思う。

原口、久保、大迫、芝崎、昌子たちの時代は直ぐそこまで来ていると思うし、欧州で怪我で出る機会がなかった武藤なども次代を担うべきだろう。また、ドイツにいる二人の酒井にも奮起して貰わねばなるまいと思う。だが、後難を恐れずに言えば、遺憾ながらサッカー界の者たちは皆野球やラグビーと比較すれば粒が小さい。野球界における大谷翔平の如き大きな器が出てきて欲しいものだ。


アメリカの対シリアミサイル攻撃に思う

2017-04-08 09:55:23 | コラム
トランプ大統領はPredictableだった:

6日にO氏と水上バスに乗る寸前に「トランプ大統領がDPRKに先制攻撃ををかけると言っていたのは恐らく単なるブラフではあるまい。彼は本気ではないのか。この意味では彼は”predictable”だと言って良いかも知れない」と意見が一致した。私はアメリカ人の二進法的思考体系から判断すれば「やるしかい、イヤやるべき時だ」と考えるだろうと思っていた。

この我々二人の間の合意点は別なところで早速実行に移されたのには驚かされた。と言うのは、シリアは6日には視野にはなかったからだ。しかしながら、常に優柔不断さを外交と軍事の面で貫いてきたオバマ政権がやってきたことを全て覆すかに見える姿勢を採るトランプ政権からすれば、サリンガスを使ったアサド政権を打つのは理の当然だったのかも知れない。

それを習近平主席を自らの別荘に招いて会談か懇談中に素知らぬ顔で実行する指令を発していたとは、恐れ入ったものだと思わせてくれる。だが、私はこれとても「やるか、やらないか」の二択しかない案件であれば決断するのが彼らの思考体系であると思うので、「そういう手で来たのか」と受け止めるようにした。即ち、トランプ大統領にとっては普通の判断ではないかと思うのだ。

専門家や評論家の先生方はこのシリアの政府軍に対するミサイルの発射を色々と評論しておられた。「アサド政権を擁護するロシアとの関係を悪化させるのが得策か?」や「金正恩とDPRKに対する心理的な圧迫材料となるだろう」や「初めてのトランプ大統領との首脳会談のために訪米した習近平のメンツを潰したのではないか」等々であった。何れについても異議を唱える要素もないだろう。

恐らくトランプ大統領自身も熟慮の上で決断したことではあろうが、彼の周囲にいるテイラーソン国務長官もマテイス国防長官を始めNSCの中でも十分に素早く討論されて後の導かれた結論だろうが、何れにせよ「やるかのか、やらないのか」の重大な判断だったと思う。敢えて想像すれば、進むべきか否かの判断はビジネスの経験があるトランプ大統領だから出来たのであって、その分野の経験がなかったオバマ前大統領だったならば優柔不断な姿勢で対処することしか出来なかったのではないかなどとなるのだ。

ここから先が如何なる展開になっていくのかは、一応トランプ・習近平会談が終わるまで予測を許さない面もあると思う。だが、”unpredictable”の王様トランプ大統領は習近平が横にいると知りながら、通訳が訳すことを承知で「会談をしたが何も残らなかった」と平然と言ってのける感覚を持ち主だ。今後の世界情勢が如何に展開していくかなどは、矢張り予断を許さないと思っている。

そんな時期にでも、何とか言う共謀を禁じる法案を何としても廃案に持って行くと大声で喚き続ける民進党以下の野党には呆れるだけだ。彼らこそ国を潰そうと共謀しているのだと気がつくべきだ。未だに豊洲だ築地だと嬉しそうに喚いているマスコミも似たようなもので、それ以下だろう。