新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「今時の若者」に対する反響

2017-04-28 13:21:31 | コラム
私は果たして本当に勇気があったのか:

昨日、「今時の若者」と題して都営地下鉄新宿線車内の出来事」を採り上げたところ、メル友の方や私のブログの読者の方からも「勇気ある行動。自分も何時かはやってみようと思っていたが、今時の若者に暴力で反応でもされたらと思う時に容易に言い出せなかった」という意味の反響があり、言わば勇気を称えて頂くような結果になった。お恥ずかしい次第だ。

勇気がなかった訳ではないが、内心忸怩たる思いがある。と言うのは、私の単独の行動ではなく、見ず知らずの92歳の方が口火を切られたことに便乗しただけであって、本当の勇気の持ち主はこのご老人だったからである。神保町までの短い間に伺ったところでは、海外関係の仕事をされた後に某商社にも関係されたそうで、26日は所用これあり専修大学の近所までお出かけのところだったそうで、矍鑠たるものがあった。

私は確かに電車の中でもバスの中でも躊躇することなく優先席に座ってしまい、高齢者が前に立たれようと何だろうと背中を丸めた悪い姿勢でスマホでゲームをやっている若者どもを怪しからんとは常日頃思っている。だが、単独ではとても席を譲れなどと言い出す勇気もなく、また自転車で歩道を疾走する連中に対して不快な思いと身の危険を感じてはいても「道交法第17条違反だから退去せよ」などと警察の代わりをする勇気の持ち合わせもない。

ただただ心中「今時の若者は怪しからん。何時かは厳しく言ってやれれば。我が国の将来をこんな奴らに委ねる訳にはいかない」などと考えている程度だった。情けない次第だ。ただ一言もの申せるとしたら、愚息どもが交通機関に無料で乗せて頂いていた頃には「お前たちは切符を買っていないのだから座る資格はないと思え」と言い聞かせていたし、欧米とは子供に対する文化が異なる我が国では子供を座らせるような甘やかし方は彼らの将来を考えても為にならない」と信じて育ててきた。

事実、欧米の礼儀作法を重視した両親の下に育てられた(とは言っても父は私が4歳の時に交通事故の被害で死亡していたが)為に、何時の間にか欧米風が身についていたようだった。今になって顧みれば、この文化の違いは戦後70年を経ても一向に変わっていないようだ。そういう文化の我が国で「小学校3年から英語など教えて何かの役に立つと思っているのか」と、何処かの役所に尋ねてみた。

言いたくはないが、本筋から外れる議論だが、英語が分かる私でもアメリカと我が国との歴然たる文化の違いの詳細を把握出来たのは、W社に転じてから10年以上も経った後だった。だが、誤解なきよう申し上げておけば「我が国独自の文化を捨ててまで、欧米化をする必要など更々ない。要するに『違い』を知ること」が肝腎なのである。