卵料理他:
告白すれば、私は八ヶ岳ではYM氏が会員である人里離れたホテルに泊まっていた。ホテルである以上、朝食には和洋が準備されていた。私は何気なく普段というかアメリカにいても食べない卵料理が入っている洋風を注文してしまった。そして、問われるままに卵は目玉焼きを頼んだのだった。出てきた目玉焼きは黄身が半熟という焼き方だった。
“fried egg”
解説)ここで、ふと思い出したのが英語では目玉焼きを何故か”fried egg”と称することだった。私には炒飯を”fried rice”と呼ぶのと同じような違和感がある。実は、当方は上記の焼き方が好みではなく、ひっくり返して両面を焼き黄身が固ゆで状態になっている”sunny-side down”乃至は”turnover”が好みだった。即ち、出てきたのが”sunny-side up”だったのだ。
“sunny-side up”を注文する際に黄身を半熟状態にする為には、何故か”over easy”というのだ。そして固めにする為には”over hard”というのだった。卵の注文は結構面倒で、他にも「オムレツ」(=omeletかomelette)があり、「スクランブルエッグ」(=scrambled eggs)と「ゆで卵」(=a boiled egg)がある。カタカナ語では「スクランブルエッグ」となっていて過去分詞になっていない点が独特である。なお、ゆで卵は何分が適当かを忘れたので注文したことはない。
我々の隣のテーブルで食べていた老夫婦はゆで卵を注文されたのは良かったが、卵立て(=eggcup)に乗って運ばれてきた卵を取り出してわざわざ殻を手で割って、塩をかけて食べておられたのが印象的だった。これも文化の違いの一つだろうか。
“Make it two, please.”
解説)これは料理を注文する際に、前の人が頼んだのと同じものにする時にこう言うのだと思っていれば良いだろう。敢えて訳せば「私も同じものを下さい」とでもなるだろうか。この表現には笑っては失礼なような思い出がある。某商社の辣腕課長さんがユーザーから依頼された重大案件でW社本社に行くことになった時のことだった。
課長氏からは、この事業部の系列の内販会社の若き担当者が同行を切望したので「連れて行ってやるが、お前は英語も未熟で足手まといになるから一切通訳をしないので、自分で聞き取って出張報告を仕上げろ」と言い渡しので訪問を了解して欲しいと依頼された。
そして、全くその通りでその若手を重要な会議の席に座らせたままに放置して重要な案件が無事にまとまって、我が副社長兼事業部長主催の夕食会となった。席上で、課長氏は確か副社長と同じ料理を頼む際に、この”Make it two, please.”を使ったのだった。大晩餐会の終わりに仕上げのカクテルの注文を聞きにウエイターがやってきた。課長氏はブランデーを頼んだ。若手はここぞとばかりに”Two.”と注文した。問題は課長氏は副社長と懇談中で、”Two.”と言ったとは知らなかったことにあった。
するとどうだろう。2人にはブランデーが2杯ずつ配られたのだった。驚いた課長さんは「お前、さっきなんて言ったんだ」と問い詰めた。「課長を真似てtwoって言いました」「ばか、俺は”Make it tow.”と言ったはずだ」とはなったが、目出度くブランデーを2杯飲んで彼の初のアメリカ出張を祝ったのだった。
告白すれば、私は八ヶ岳ではYM氏が会員である人里離れたホテルに泊まっていた。ホテルである以上、朝食には和洋が準備されていた。私は何気なく普段というかアメリカにいても食べない卵料理が入っている洋風を注文してしまった。そして、問われるままに卵は目玉焼きを頼んだのだった。出てきた目玉焼きは黄身が半熟という焼き方だった。
“fried egg”
解説)ここで、ふと思い出したのが英語では目玉焼きを何故か”fried egg”と称することだった。私には炒飯を”fried rice”と呼ぶのと同じような違和感がある。実は、当方は上記の焼き方が好みではなく、ひっくり返して両面を焼き黄身が固ゆで状態になっている”sunny-side down”乃至は”turnover”が好みだった。即ち、出てきたのが”sunny-side up”だったのだ。
“sunny-side up”を注文する際に黄身を半熟状態にする為には、何故か”over easy”というのだ。そして固めにする為には”over hard”というのだった。卵の注文は結構面倒で、他にも「オムレツ」(=omeletかomelette)があり、「スクランブルエッグ」(=scrambled eggs)と「ゆで卵」(=a boiled egg)がある。カタカナ語では「スクランブルエッグ」となっていて過去分詞になっていない点が独特である。なお、ゆで卵は何分が適当かを忘れたので注文したことはない。
我々の隣のテーブルで食べていた老夫婦はゆで卵を注文されたのは良かったが、卵立て(=eggcup)に乗って運ばれてきた卵を取り出してわざわざ殻を手で割って、塩をかけて食べておられたのが印象的だった。これも文化の違いの一つだろうか。
“Make it two, please.”
解説)これは料理を注文する際に、前の人が頼んだのと同じものにする時にこう言うのだと思っていれば良いだろう。敢えて訳せば「私も同じものを下さい」とでもなるだろうか。この表現には笑っては失礼なような思い出がある。某商社の辣腕課長さんがユーザーから依頼された重大案件でW社本社に行くことになった時のことだった。
課長氏からは、この事業部の系列の内販会社の若き担当者が同行を切望したので「連れて行ってやるが、お前は英語も未熟で足手まといになるから一切通訳をしないので、自分で聞き取って出張報告を仕上げろ」と言い渡しので訪問を了解して欲しいと依頼された。
そして、全くその通りでその若手を重要な会議の席に座らせたままに放置して重要な案件が無事にまとまって、我が副社長兼事業部長主催の夕食会となった。席上で、課長氏は確か副社長と同じ料理を頼む際に、この”Make it two, please.”を使ったのだった。大晩餐会の終わりに仕上げのカクテルの注文を聞きにウエイターがやってきた。課長氏はブランデーを頼んだ。若手はここぞとばかりに”Two.”と注文した。問題は課長氏は副社長と懇談中で、”Two.”と言ったとは知らなかったことにあった。
するとどうだろう。2人にはブランデーが2杯ずつ配られたのだった。驚いた課長さんは「お前、さっきなんて言ったんだ」と問い詰めた。「課長を真似てtwoって言いました」「ばか、俺は”Make it tow.”と言ったはずだ」とはなったが、目出度くブランデーを2杯飲んで彼の初のアメリカ出張を祝ったのだった。