新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月15日 その2 Englishの表現では

2017-04-15 16:19:16 | コラム
Englishではこう言う言い方がある:

“I’m afraid that Japan’s dependence on the imported oil is a little too high.
解説)「我が国の石油の輸入への依存度が高過ぎるのが一寸心配だ」とでも訳しておくか。依存度が”dependence”なのだが、この言葉の前に”in”を付けると「独立」になってしまうのが面白いか。勿論、元になっているのが”depend”で動詞である。

“It depends.”
解説)非常に曲者的な表現である。先ず「一概には言えない」という意味で使えるし、一寸一言”all”でも加えて”It all depends.”としても「時と場合による」という意味になる。しかも、本来は「時と場合による」はEnglishではこうなっているのにも拘わらず、カタカナ語では誰が間違えたのか「ケースバイケース」になってしまった。”case by case”は「一件毎に」と訳すべきものであって、完全な言葉の誤用である。もしも英語で会話される時には十分にご注意を。

“May I ask you if you have any dependent?”
解説)「貴方には扶養家族がおられますか」だが、英語圏の文化ではこのような個人的なことをいきなり尋ねるのは非礼だとされていると知るべし。だからこそ”May I “から入っていったのだ。なお、”dependent”はアメリカ語で、UKでは”dependant”というようだ。

“I can hardly wait to visit Japan and see my good friends again.”
解説)「日本を再び訪れて良き友たちと再会するのを待ちきれない」とでもいえば良いか。”hardly”は結構使い方が難しい言葉で、”It was hardly a negotiation.”などというように使えば「とても交渉と言えるようなものではなかった」という意味になる。ジーニアス英和には「準否定語」となっていた。通常”can(could) hardly “のように否定的に使われている。

“Can I have a cup of ice coffee, please?”
解説)「アイスコーヒーを下さい」と注文したかのようだが、言葉の誤用というか、間違ったカタカナ語が元になっていることが困るのだ。先ほどカタカナ語の誤りを取り上げたので、ここでも続けてみた。それは「アイスコーヒー」は英語では”iced coffee”と言うべきだということ。因みに、アメリカの球場では「冷たいビール」を”ice cold beer”と言って売りに来る。

“May I advise you that you are overdrinking yourself. It does not do any good to your health.”
解説)「気を悪くされるかも知れないが、貴方は飲み過ぎだと申し上げたい。健康上有害でしょう」とでもすれば良いか。「余計なお世話だ」(=”None of your business.”)と言い返されそうだ。ここでの肝は”do (does) not do any good”なのだ。”It may do some good to me.”などのようにも使えるから。

“They could have done without it.”
解説)実は現実には”it”のところは「喧しいバンド演奏」だったのだが、こう言った人はそのバンドを指さして私に語りかけてきたのだった。実話である。ある会合で主催者が気を利かしたつもりかフルバンドを呼んできて演奏させたのだった。その音楽は結構だったが会場のPAが悪くてお互いに会話ができない状態で迷惑かと思っていると、隣にいた見ず知らずの人にこう話しかけられて、速効で賛成したのだった。”do without”は将に「~無しで済ます」という意味だ。

ジェネリック

2017-04-15 09:54:29 | コラム
ジェネリック医薬品(generic drug):

13日の元大手製紙会社の幹部の方々との懇談の中での話題の一つにこの「ジェネリック」があった。奥方が薬剤師であるTM氏は「家内は勧めている」と言われた。私はこれが何であるかは大体のことは承知していたが、識者やマスコミ論調に肯定的と否定的と両方あるので、あまり積極的にこれに変えようとまでは考えていなかった。確かに沢井製薬などは積極的にテレビCMを打っているので意味があるのかな程度には考えていた。

これまでにも調剤薬局で「この処方箋にある薬はそもそもジェネリックなので、そうではない元々のもので良いでしょうか」と言われたこともあったが、値段のことは考えても見なかった。ところが、先月循環器科で60日分処方された処方箋を見たかかりつけの調剤薬局の薬剤師さんが「ジェネリックを禁じるところに印が付いていませんから」と言われて、可能なものを切り替えて貰った。するとどうだろう、これまでは¥4,680だったものが¥2,900になってしまったのだった。

その回顧談をTM氏にしてみると、「それほどの差が出てくるのだ。即ち、毎年のように高齢者の医療費負担の額が増えていく一方であれば、ジェネリックを採用する患者が増えればかなり減少されることになるの」との意見が出てきた。そこで暫く高齢者同士で病気と薬の話になったのだが、果たしてジェネリックが安心なのかという疑問も出た。

何れにせよ、広辞苑にも「先発医薬品の特許期間あるいは再審査期間が過ぎてから開発された、同じ成分を含む薬品。開発費用が少なく承認審査も簡単なので、薬価を低く抑えることができる。後発医薬品」とあるように安全であるかのようであるという話にもなった。同時に、国家予算の支出が節減出来るのであれば、推奨されることも理解出来るし、転向してみることに意義があるかという話にもなった。

だが、私には処方された薬が「先発医薬品」なのか「後発医薬品」なのか患者には分からない点が問題かとも思う。だが、38%も減額になるのは後期高齢者にとっては非常に経済的であるのは間違いないのだ。しかも、それが国家の財政に貢献するのだったらなお結構ではないか。