新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

教育界の改革の時では

2019-02-03 10:18:47 | コラム
世間知らずの集団を改革せよ:

この度の千葉県野田市で起きた10歳にもなる我が子を虐待して死なせてしまった事件ほど、酷い例は見たことも聞いたこともなかったと痛感させられたほど、悲しくさせられる一件だった。私はこの件には二つの問題があると思って見ている。

一つは学校の教員たち(教育委員会なる存在の構成員たちはその成れの果てだと認識しているが)の一般社会とビジネスの社会での常識が欠如している為に生じた事件ではないかと思っている。教師の方々は常に(仮令子供が相手でも)生徒を下に見て指導する仕事を続けていれば、相撲の世界にも似て「一般社会の文化」に接することがなく、価値観も自ずと異なって行ってしまったのではないかということだ。

即ち、一般社会の常識を知らなかったが為に「モンスターペアレント」如きの跳梁跋扈を許してしまうような結果になったのではと考えているのだ。だからこそあの父親の恫喝に屈してしまったのだろう。話し合うことも出来ないほど縮み挙がったというのには、呆れる前に驚愕だった。

もう一点は「非常識なままに経験と年齢を重ね、何時かは教頭だの校長だのという管理職に昇進してしまう事」が問題だと見ている。これは少し意味が異なるかも知れないが「名選手必ずしも名監督たり得ず」であり、優れた教師が必ずしも学校の運営や管理に適しているか否かは別問題だということだ。即ち、アメリカにはあると聞く「学校や病院の経営者乃至は管理運営の任に当たる手法を学んできたMBA、またはビジネスの世界の経験者に管理と運営を任せる事」を、我が国でも本格的に検討すべき時期が来たのではないかと言いたいのだ。

私は学業を終えてからは「先生」という職業の方には大学の先生方としかお付き合いがなかったので、その小中学校の実態を詳しく論じるだけの資料も経験も持ち合わせはない。だが、長い間所属してきたある財界人や有識者が集う勉強会では「元小学校教師」の女性と色々と語り合う機会もあった。彼女らは勿論博学多識だったが、その反面かなり独善的というか少なくとも我々(私?)のように何十年もビジネスの世界で過ごしてきた者の常識(感覚?)とは違う面が多々あるなと思わせられていた。

とは言っても、教育委員会も含めて学校の世界に異なる世界から管理職に教員以外の方を導入してどれほど効果が挙がるかという疑問も、当然生じてくるだろうし、反対論も出てくるものと考えられるし、入って行かれる方も大変だろうとは思われる。だが、嘗て杉並区などでは民間人(元ビジネスパーソン)を公募して中学校の校長に任じた例があったではないか。

そこで、私の知人の例を挙げておこう。彼は40歳台で某商社を辞任して関西に戻って家業を継がれたのだった。だが、親戚の方が経営しておられた女子高が経営不振に陥ったので、再建すべく学校経営に転進していったのだった。その学校は彼の能力と努力で立派に立ち直り、今では国公立大学に進学する生徒が出てくるまでの改革に成功されたのだった。彼は現在は理事長兼校長の職にはあるが、授業は一切持っていないのである。

私が強調したいのはこういう成功例があるということだ。こういう例を見るにつけても、アメリカのビジネススクールには学校や病院等の管理・運営を教えるMBAのコースがあるのも至極尤もな気がするのだ。私は何も学校にいきなり元ビジネスパーソンたちを起用しようとまでは言わないが、少なくとも学校で管理職に任命する前に一般の世界に触れておく機会を与え「責任とは」を学ばせておくべきだと考えているのだ。

恰も、アメリカの大企業では将来副社長等の地位に就けようと上層部が見込んだマスターを取っていない人材をハーバード等の短期コースに派遣して学習させるように。