新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月24日 その2 「遅刻」の考察

2019-02-24 16:48:29 | コラム
文化比較論になると思う:

野党が桜田大臣が予算委員会に2分ほど遅れたので「国会軽視」だの何のと言って責め立てていた。相も変わらない時間の浪費作戦であり「そんなことを言っている暇に軽減税率の討論でもしろと言いたくなるのです。そこで「遅刻」という我が国独特の制度を下記のように考えて見ました。英語には「遅刻」そのものを表す単語も熟語も無いと思っているのです。

私は「それぞれの部員が与えられた(割り振られた)業務の課題を遂行する為には、朝何時に出社しようと各人がその日にやってしまおうとしていた事柄が終了出来次第に何時でも帰宅してしまうようなアメリカの会社にいましたから、日本式の遅刻という時には罰を受ける制度がないアメリカ式の方が、忌憚なく言えば、合理的で働きやすかった」と思っています。

日本の会社の頃、同じ藤沢市に住んでいた同業で日本橋に本社がある会社に就職した高校の1期下の者と、毎朝同じ時刻に藤沢駅を出る湘南電車で出勤していました。昭和30年代前半でしたので、遅延はしょっちゅうでした。すると彼は「2~3分の遅刻は寝坊したようで最もみっともないから同じ遅れるのならば大きく遅れて、大きな事故だったということにして新橋駅の近所でお茶でも飲んで時間を潰しましょう」と言って雑談をして過ごしたことが何度かありました。勿論「遅延証明」は貰っておいてでしたが。

後に、W社の最大のお客様だった某大手メーカーの人事・勤労の権威者だった常務さんに「何故に遅刻をそこまで厳しく扱うのでしょうか」と尋ねてみる機会がありました。常務さんは「アメリカの会社とは文化が異なるのであって、我々は朝9時に皆が集まって『さー、皆で一緒に仕事を始めよう』という精神で『何事も全員でやろう』という心がけを表している」と答えられました。

私は「なるほど、そういうことだったのか」とあらためて再認識しましたが、その精神は兎も角「何処までも各人の主体性とその能力に任せて規則で規制しないアメリカ方式の方が仕事をしやすかった」と痛感しました。簡単に結論を言ってしまえば「文化の違い」であり、どちらか一方が優れているかいないかという問題ではないと思いました。

現実にはそういう文化というか決め事がある以上、閣僚たる者が仮令2分と雖も予算委員会に遅れるのは決して良いことではないでしょう。桜田大臣の普段からの心がけの問題であると同時に時間に、時間に正確であろうとしていない習慣が身に付いてしまっているのでしょう。だからと言って、その点を採り上げて開会を送らせた野党の所業は「ただ只管安倍内閣を貶めて幾らかでも人気を落とそうとする児戯にも等しいことだと断じます。

私は経験上も言えますが、我が国ほど時間厳守を励行する国と国民は無いと思っています。ある北欧の代表的多国籍企業の役員たちは先ず約束の時刻に現れることがありませんでした。だが、ある時に珍しくも御殿場から赤坂の本社での会談の予定時刻の3分前に現れた工場長は“I’m sorry. I’m by three minutes earlier than the appointed time.”と言って、我々を爆笑させたことがありました。

私が思うに、欧米人たちは「時間は自分のものであって、それを自分の都合で運用して良いのだ」と思って育ってきたのだと解釈しております。プーテイン大統領などは安倍総理との約束の時刻よりも何時間の単位で遅れるそうではありませんか。それが何を表しているかを考えて見る必要があるかも知れませんが。


スポーツ談義

2019-02-24 11:00:52 | コラム
色々と話題が豊富なようで:

このところ、暫く固い話題ばかり採り上げてきたので、ここでは余り理屈っぽくないようなスポーツを語っていこうと思う次第。特に昨23日は中継放送も多かったので、語りたい種目も多かった。

ラグビー:
先ずはラグビーのサンウルブズから。いきなり画面に出てきた先発の選手たちが走っているところを見て「やれやれ。またこれか」と思わずにはいられなかった。それは出てきた15人中の12~3人が帰化しているという者を含めて外国人だったからである。(kazk様には再三諭されたが事ではあっても)私はラグビー界の仕来りには賛同できないというのか「何だかなー」なのだ。確か「出身国の代表歴がなくその国で3年間プレーし続ければ云々」という規定のようだ。

サンウルブズが日本代表のテイームではないと承知しているが、昨日の相手は世界の強豪オーストラリアの代表選手だった者が11名の入っているワラターズである。全員がオーストラリア人がどうかは知らないが、アナウンサーの興奮振りと私が「応援団の如くで不適格」と扱きおろす解説者の大畑大介も、如何にも我が国の代表がオーストラリアと試合をしているような情熱を籠めて語り続けていた。

私は応援する観客の方々がサンウルブズが得点すれば、我が事のように熱狂されるのをどうこう言う気はないが「あの顔触れの試合に違和感はないのかな」と思って見ていた。表現を変えれば「我が国に本拠を置くクラブテイームがオーストラリアのクラブと試合をしている」と割り切って見ていれば良いのではないかと言うことだ。私には良く解らない点は「あの外国人たちは如何なる手段乃至は待遇を受けて、我が国で生計を立てているのか」である。

試合の内容にも触れておこう。外国人同士の試合は緊張感がある接戦であり、そういう点では面白かった。だが、あのサンウルブズに代表合宿集で不参加だった田中や田村が出ていたらどうだったかという思いは残った。矢張り、ラグビー界の仕来りは良く解らないなという感が残った。この試合が日テレのBSで、Jリーグの川崎対東京の試合がNHKの地上波だったのは良かったとは思うが。

Jリーグのサッカー:
そのJリーグであるが、私は彼らの試合は余りスリルがないというか「やってやろうという積極性に欠ける、何かといえばバックス陣に戻して得意の横から横のパスばかりで(解説者の中には「サイドチェンジ」などと言う者もいるが)善戦にいる者たちに工夫がなく、得点力に乏しく、シュートが不正確で全く面白くない」ので最後まで見ないこと多い。私の目には「安全第一」というか「迂闊に独断的判断でキープして上がっていくと、チームワークを乱すとでも怒られるので」とでも考えているのかと不満だ。

それに昨日のリーグ2連覇の川崎も綺麗なサッカーをやってはいるのだが、アナウンサーや解説者が褒め称えたがる小林悠などは私には何処がそれほど良いのかがサッパリ解らない。未だに38歳になったという中村憲剛を出さねばならないようなことをやっているのでは、代わり映えしなくて面白くない。それにあの熱狂して応援されている「サポーター」なる方々は、サッカーをどれほどお解りなのかと、ついつい疑問に思ってしまうのだ。

プロ野球:
この話題にも触れておこう。TBSの「喝」の時間に登場する張本勲は毎年のように「今頃のテイームや選手たちの出来や仕上がりを論じることに意味がない」と言い続けている。私も同感であるので、その関連のテレビの報道も見ないし、新聞記事も読まない。今何をやっているかのかと言えば「練習」であり「トレーニング」なのである。そうであれば、打者は打てるようになる練習をしているのであり、投手だって打者と対決する前段階の練習だ。そこで良いようだといっても、実戦は別問題である。私などは往年は自慢ではないが一流の「練習名人」だった。

ここで、英語の講釈をしておくと、“training”はOxfordには“the process of learning the skills that you need to do a job”とある。そういうことをしている最中に古手や新人がどれほど打ったとか、どれほど速い投球をしたかなどは意味がないと思う。私はあのような過剰報道は新人(rookieは「ルキー」であって「ルーキー」とは言わない」を思い上がらせてしまう危険性すらあると思う。

女子のバスケットボール他:
リーグ戦のプレーオフの試合も少し見た。トヨタ自動車にはアフリカ系の父親を持つ姉妹が在籍していて優れた身体能力を発揮して見せていた。クロスカントリーの日本選手権の女子の部にも、名城大学のエースである小柄だが懸命に走っていた将来有望のアフリカ系の父親の走者がいた。何れは我が国のスポーツ界をあのような選手たちが中心になって引っ張っていく時代が来ると思わせてくれた。いや、大坂なおみは「世界のランキングの1位」になって、既に先行して見せてくれている。時代が変わっていくのだと色々な意味で考えることが多かったスポーツ界である。