新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語の一考察

2019-02-08 17:12:30 | コラム
何故こうなってしまうのか?:

テレビを見ていると、多くの局で欧米系の人の声明を最初は彼らの文化である「ファーストネーム・ファースト」で表記しておきながら、遺憾ながら圧倒的に多くの場合に名字、即ち「ラストネーム」ではなく名前即ち「ファーストネーム」の方に「さん」を付けて呼んでしまうのである。これはおかしいと私はこれまでに何度も繰り返して指摘して、遠吠えながら是正を求めてきた。心中では「彼らは学校で何を学んできたのか」と叫んでいた。

ところが、他のカタカナ語、例えば「インフル」や「フロント」等々を見ていると、どうもこの現象は必ずしも彼らの不勉強というか「英語とは何であるか」を知らないことからだけ生じているのではないように思えてきた。そこで、日頃から批判してきたいくつかのカタカナ語を、大袈裟に言えば、分析してみようと考えるに至った。

マイケルさん、ポールさん:
解説)言うまでもあるかも知れないが、これらは「マイケルさん」はマイケル・ジャクソンのことであり、「ポールさん」はポール・マカートニーのことである。私にとっては非常に腹立たしい「誤り」というか「英語圏における姓名の在り方と我が国との違いを知らない非常識」だと看做していた。即ち、学校教育の英語では「この程度の初歩的な文化の違いを教えていないのか」という怒りでもあった。

だが、学校教育の英語ではこのようなことを教えるのでもなく、ひたすら入学試験やTOEIC等の対策に集中しているだけらしいと、入試等の色々な試験の問題を見ていて疑うようになってきた。このような文化比較論よりも、遙かに英語力向上には何の役にも立たない「この単語のアクセントが来るところに印を付けよ」の方が重要らしいのだ。要するに、テレビ局等では「洋の東西の文化の違い」などは無視して、我が国の姓名の在り方のままに最初に出て来たのが名字だろうとばかりに、そっちの方に「さん」を付けただけらしいのだ。

即ち、何のかんのと文句を言っている私の方が良く解っていなかっただけらしいのだ。何も文句を言うほどの問題ではなかったのだと解った。これで力抜けしたが、最後に一言言っておくと、Michael の正しい発音は「マイクル」なのだ。矢張りテレビ局には「英和か英々の辞書でも改めて準備させて、その都度発音記号を確認せよ」とでも言ってやらなければならないと思うのだ。

フリップ:
解説)これも散々槍玉に挙げてきた恥ずかしい言葉の誤用だ。だが、良く考えて見れば「最初に出て来た単語を採ってカタカナ語を創る方式」が採用されていると解れば、怒っても無駄だと判明する。即ち、彼らは「フリップ・チャート」(=flip chart)の頭の単語を採っただけのことだったのだから。でも、せめて「チャート」くらいにはして欲しいのだが。

フロント:
解説)これも、批判したことなどエネルギーの浪費だった。“「ホテルのフロントで会いましょう」と言ったところ、何時まで経っても「待ち人来たらず」だった”という有名にして陳腐なエピソードがある。これは、そう言った邦人は「フロント・デスク」のつもりだったのだが、そう聞いたアメリカ人はホテルの前で待っていたという笑いたくても笑えない話だ。即ち、英語では“front desk”とも言うが、海外では多くの場合“reception”と表記されていると思う。

タッグ:
解説)これはプロレスの試合形式を表す言葉で、本来は“tag team”2人一組となって、形勢によっては仲間の手に触って(tagである)選手交代をする方式である。ところが、これも tagだけを採って「コンビ結成」の意味にしてしまった。怒るのも無駄だった実態で、単なる最初の単語だけで「タッグ・テイーム」の代用にしただけのこと。なお、面白いのは野球の「タッチ」が英語ではこの“tag”である事。すなわち、「タッチアウト」何で英語では言わないのだ。“tagged out”らしい。

インフル:
解説)ここまで来れば説明の必要もないと思う。“influenza”を2分して前半分を採ったというAHO見たいな手法で「流行性感冒」をカタカナ語に変えてしまっただけの代物。思うに、そこには「おかしいと言われないか」などと言う深い?慮り等薬にしたくてもなかったのだろう。

要するに、ここまでは全て嘗て韓国の李さんだったかに指摘された我が国独特の「縮み指向」の産物だと言えると思う