新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月5日 その2 我が国とアメリカは何処が違ったのか:

2019-02-05 16:38:12 | コラム

生い立ちが違うらしいのだが:

畏友YO氏が日経新聞の記事を引用されて、嘗ては我が国にも「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のような時期があり、高ぶりがあったと指摘されていた。ご尤もなことで、当時は未だ在職中だった私にもそれなりの感想はあった。以下、エピソードも採り上げて回顧してみた。

確かにご指摘のような我が国の「高ぶり」があったと思っておりました。アメリカ中の著名な物件を買い漁っていたのを見れば「間違っているのかも知れない」と密かに心配してはいましたが、不動産の売買などは言わば“None of my business”で「勝手にやっていれば」程度にしか見ていませんでした。だが、アメリカには何も不動産だけに限らず魅力的な物が多々ありました。それが金さえ出せば手に入る時が来たのですから一部に舞い上がった連中が出たのも不思議ではなかったかも。

1972年にMead 社に転進した頃に、日本代表者のHM氏(旧帝大出身でアメリカ留学の経験があるアメリカ通で、言わばインテリの代表のような方)が言われました、「勘違いしてはいけないのです。今は日本がアメリカにあるような一流品を物を買えるようになっただけであって、彼らとは始めから持っていた物の次元が違うので、同じような豊かさになったのではないのです」と。

これは、その後アメリカという国の中に入ってアッパーミドルやそれ以上の連中の自宅にまで招かれるようになって、彼我の違いが悲しいほどに解ってきました。愚息もそのアッパーミドルの上の部に入る家庭の同じ年齢の息子(ハーヴァードのMBAで某大企業のデイレクター)の家を訪れて地下のワインセラーに圧倒され、太平洋岸の別荘に連れて行かれて寛ぎ「違うんだ」と、打ちのめされたような感覚にとらわれたそうです。

このクラスの連中は皆子供を東海岸のIvy Leagueの大学に入れて、年間500~600万円(現在は700万円を超えたそうですが)の学費を何人分でも何でもなく払ってしまうのです。私はそこまで深く突っ込んでは調べられませんでしたが、上記のHM氏が指摘されたような「これまでに何を持っていたのかが違う」という辺りを実感させられていました。慣れない間は、そういう階層の人たちの家に入っただけで圧倒されました。

とは申せ、アメリカは1776年に出来た国です。それでも、そこまでの凄い資力を持つ層が出来て、色々な意味でアメリカを指導していました。では世界第2の経済大国中国の富有層は「これまでに何を蓄積してきたのか?」と問い掛けたい気もします。同時に、我が国に、Ivy League級の学費が高い大学に何人もの子弟を送り込んでもビクともしない階層の者がどれだけいるでしょうか。

私は決してアメリカ礼賛をしているのではありません。何処が違っていたのか、何故違ったのかを論じただけです。だが、残念ながら「何故違ってしまったか」は良く解らないままに終わってしまいました。友人のSM氏は東京の某有名私立大学を出た後で留学され現地で就職して成功し、2人の娘さんは法科大学院とビジネススクールに行かせ、息子さんは何と日本の大学に留学させてCitibankに就職という具合です。凄い資力を築いたのだと思っています。彼にどうやって成功したかと尋ねろって言われますか。そこまで訊けません。



2月4日の零れ話

2019-02-05 08:10:19 | コラム
人は様々:

タクシーでクレデイットカード払い:

昨4日は検査があって病院でほぼ半日を過ごす結果になった。往路は何となくトボトボと駅前まで歩いていたら予約時刻ギリギリのバスを逃してしまった。そこで窮余の一策で「勿体ない」とは知りつつもタクシーの利用に踏み切ったが、持っていたのは1万円札1枚だけだった。そこで止めた4大交通の一つの運転手さんにそれで良いかと確認した。だが「お釣りない。お客さんカードは持っていますか。持っていたらそれで行きましょう」となって、生まれて初めてタクシーにキャッシュレスの支払いで乗ることになった。長生きはしたいものである。

大病院での支払いにクレデイットカードを登録すれば:
その運転手さんは中々の理論派で、「大病院の会計が自動支払機になったしカードで払えるようになったのは良いが、何故あれほど長時間待たせるのか」と批判して見せた。彼は「カードを認めるのだったならば、その患者のカードを登録して会計の窓口で当日の支払額を知らせた上で、カードからの引き落としで済ませる手続きにすれば迅速に処理できるだろう。そうすれば病院側にも患者にも便利ではないか」と主張した。

私は瞬間的に「グッドアイデア」だとは思ったが、良く考えなくとも解ることで便利さの裏には面倒なことも残っている気がした。「アメリカのホテルのようにチェックインの時点でカード番号を取っておく手法にも似ているのは結構だが、そのカードが何らかの事情があって失効しでもしていたら面倒かな」などと考えている間に病院に到着して、目出度く伝票にサインして降りた。言うまでもないが、途中でバスを追い抜いていた。

キラキラネーム:
採血のところで私を担当してくれた看護師さんの名札を見ると「下に子が付いた名前」だった。そこで、つい何気なく「失礼かも知れないが、近頃珍しいですね」と言ってしまった。すると、彼女は「もう40歳になった古い時代の生まれで、親には未だそういう感覚が残っていたようで。でも、私の娘の名前はこういう字でこう読むのですが、読みにくい部類には入らないかとも思っています」と言われてしまった。彼女は更に「今では学校でも現代人の先生方ですら読めない名前が多く、名字でしか呼べないようです」とも言ったのだった。「なるほど、そうか」だった。

今や旧世代の生まれ育ちである私には、とても判読すら出来ない当て字や勝手な読み方をする名前が無数に登場する時代なのだ。俗に「時移り人変わり」とは言うが、あのような読めない名前をつけている親が普通になっている現代で、読みにくいのではと自覚症状がある親もいるのだと知り得ただけで短い間での貴重な会話だった気がした。