新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月4日 その2 3日夜のPrime Newsより

2020-06-04 14:44:49 | コラム
茂木敏充論:

実は、私は茂木氏がテレビ出演も何も、彼が単独で語るのを聞くのは初めてだった。漏れ承るところでは、彼も次期というべきかどうか知らないが、総理候補の一人だそうで、西村康稔氏や加藤勝信氏らと共に官邸(と言っても総理という訳ではないようだが)での評価が高いのだそうだ。彼の性格には兎角の評判があるようだが、ライトハイザーUSTR代表との交渉を纏めて見せた辺りでは、流石に東大からハーバード大学の修士かと思わせてくれていた。それだけに、昨夜は何を語るかと、ある程度以上の興味と期待を持って聞いていた。

結論を言ってしまえば、反町が如何なる話題を振っても極めて論理的にというか、正論的な無難な事を言うだけで「凄いな。切れるな」という感じがなかったのは意外だったし、肩すかしを食ったような気がした。思うに、ここで何か言わないでも良いようなことを言うまいとの、防御的な姿勢でも採っていたのかとすら感じた。即ち、飽くまでも本筋を外さない賢明さというか、抑制的な態度を採っておられるのかということ。官僚のご出身ではないのだから、このような語り口では面白味がなかったというのが、私の偽らざる印象だった。

だが、我が国の外交は中国が如何にもコロナウイルスを巧みに成業したかの如くに振る舞って見せたかと思えば、アメリカとの対立を一層本格化させたような出方をしてきたし、UKとの国際的な取り決めなどなきが如き態度を鮮明にして香港に国家安全法制の適用を決めてみせるなど、何処かの外国人記者が安倍総理の記者会見の際に唐突に「アメリカと中国の何れを採るのか」との質問をぶつけたほど、その姿勢というか態度に如何に対応するかが、案外に難しい問題のようにすら見える時が来ているのだ。習近平主席の国賓での招待問題も残っている。

それだけではない。昨日には茂木外務大臣は韓国の康京和外務部長官との電話会談で色々と釘を刺してこられたように、韓国は文在寅政権は選挙で勝利した勢いを駆って又ぞろ貿易管理に苦情を言い募って無駄としか思えないWTO提訴を言い出したし、嘘で固めた徴用工問題で差し押さえた日本製鉄の資産の現金化に8月には動き出すと表明したようだ。ロシアとの領土問題も膠着状態だし、DPRKの拉致被害者救出という重要な案件もある。外務大臣の手腕への期待感は増す一方だ。私は茂木氏はあの場では控え目の発言に徹すべしとの判断をしたのだと解釈している。

何れにせよ、私は茂木外相には“To do list”に記載された多くの項目に適切な優先順位を付けられた上で、難関だと見えた対USTR交渉を巧みに乗り切られた力を十二分に発揮されて、我が国と「茂木敏充ここにあり」との存在感を世界に見せつけて貰いたいのだ。その為には「専門家会議に諮って」というような責任回避的な発言を繰り返したり、「誤解だ」などと人を見下したようなことを言っていては、官邸に評価されても一部の国民に見放される危険性があると、ご認識願いたいのだ。現今のような難局に直面している折から、期待された実力を発揮して見せて欲しいのだ。


我が国とアメリカの企業社会における文化を比較すれば

2020-06-04 10:11:10 | コラム
企業社会の文化比較論:

“High-level contact”をせよ:

これは私がW社に転進した後で、当時の直属の上司に最も強硬に指示されたことだった。その意味は「得意先の担当者などに会いに行くのではなく、取締役事業部長や常務や専務や社長に面会して話を進めろ。苟もアメリカの一流企業の日本駐在マネージャー足る者が、担当者如きの言うことを聞いてきて報告するな」ということなのだ。この辺りが、我が国とアメリカの企業社会における文化というか物の考え方の大いなる相違点の代表的な一例であると思う。

我が国の企業社会では、仮令自分が部長であっても取引先の担当者も課長も部長も飛び越えて、いきなり社長に面会を求めて交渉しようとすることはしないと思う。だが、アメリカの会社組織では地位が上がれば上がるほど担当する仕事の範囲が増加して、屡々恰も担当者がやることではないかと思わせられる実務までも手がけるのはごく当たり前であるし、話を進める為には最高のというか究極の決定権を持つ社長や執行副社長(EVP)等にまでアポイントを取って交渉するのは、別に珍しいことではないのだ。即ち、所得が大きい者ほど実務に精通し下情に通じていなければならないのである。

故に、担当者にしか会いに行かない私の行動は、上司にとって非常に不満足だったのだ。そして厳しく「何故、偉い人(=“high-levelにある人たち)のところに直接に行って、我が社の存在を認識させて、受注量を増やす努力をしないのか」と叱責されたのだった。この文化の違いを根本から説明して理解して貰うのは容易ではなかった。と言うよりも、上司にとっては単なる言い訳に過ぎないという解釈のようだった。これは1975年頃の出来事だった。

ところが時移り人変わった1993年に、我が社の抄紙機が不調で製品の対日輸出が大幅に遅れて多くの取引先に多大なる迷惑をかけたことがあった。丁度その時に、本社から#2の執行副社長が出張してきて最大の得意先の社長との会談の予定が組まれていた。このEVPは納期遅れの件を承知していたので、ジャパンの社長を通じて私に「社長に事情を説明してお詫びしようと思うが如何か」と問いかけてきた。勿論「そんな必要はないし、社長さんにそのような報告が上がっている訳はないので、話題にされないように」と答申した。

ところがこれが社内では大騒ぎになって、私の責任逃れの問題にまでなりかねない勢いになってしまった。そこで、日本語が解っている訳でもないジャパンの社長の目の前で、得意先の担当者に電話してEVPの意向を伝えて見せた。彼は「冗談ではありません。何故貴方はそんなことを私に知らせるのですか。納期遅れがあってもそれに対応して在庫管理をするのが私の仕事だとご承知でしょう。この件は部長にだってあげていません。全て私の管轄内の出来事であると言って断固拒否して下さい」となって一件落着した。ジャパンの社長は大いに不満な様子だった。

恐らく我が国の企業社会の実態(というか文化の違い)を、全アメリカの会社の中でも最も良く理解し認識していると思っていた我が社でさえも、“high-level contact“の件から18年を経てもかかる事態が生じたのには驚いたというよりも、余りにも意外だった。我が国では担当者として幅広く深く実務を経験してから上がっていき、地位が上がるほど現場から離れていく仕組みは、有名私立大学のMBA等がいきなり入ってきてスピードトラックに乗って昇進していくアメリカの企業人には、中々理解しがい文化だという例だろうと思っている。

福利厚生:
我が社は嘗て最大の工場の製紙工程の先にある紙加工の部門を、北欧の専業者に譲渡したことがあった。その際にその会社が先ず手を付けたことは「シャワールームの設置」と「社員食堂(カフェテリア)の導入」だった。「アレッ」と思われる向きは多いと思うが、工場にはそういう社員(と組合員)の為の設備はなくても不思議ではないのだ。要するに、従業員の福利厚生などには配慮されていないのである。製紙工場で働く組合員たちは、自宅からサンドイッチでも持参して工場の片隅の空き地で自販機からコーラでも買って、そそくさと昼食等を済ますという仕組みだ。

アメリカ人たちの考え方は「我が国とは大いに異なっていて、会社の為に忠実に働き、忠節を尽くす」とは考えていない様子で「会社とは生活費を稼ぐ手段として存在しているだけだと考えている」と言えば言いすぎかも知れないが、そう考えているようだと、何度も実感させられたものだった。であれば、会社側も日本式に社宅を設けるとか、保養地に山荘を設置するとか、社員用のリクリエーション用にテニスコートを設けるというようなことは考えていないのだ。ところが、北欧方式は我が社にとっては考えられない社員に対する優しさを示していた。これも文化の違いだった。

結び:
ここまでに、我が国とアメリカの企業社会における文化の違いの例を思い出すままに取り上げてきた。実際に私が1990年のプリゼンテーションで語った相違点はここまでよりも多かった。だが、これだけでも十分に「文化と物の考え方の相違点」はお解り願えたと信じたいのだ。彼我の相違点は言葉が違う以上に数多くあるのだ。私が当時締めくくりに言ったことは「相互にこれだけの違いがあると十分に承知して訪問し交流すれば、何事も皆にとって衝撃(ショック)とはならないのだ」だった。