新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月3日 その3 小池都知事批判

2020-06-03 13:46:36 | コラム
「アラート」って何のこと:

小池都知事のカタカナ語の行き過ぎた使用の傾向は既に批判してあったし、食傷気味以上に不快である。今朝ほど家内に「アラートって何のこと」と訊かれた。当然出てきても何の不思議もない疑問である。私は既に「東京都内で何人の都民に“alert”とは、そも如何なる意味かとご存じの方がおられるだろうか」と指摘しておいた。同時に何で「ステップ1という必要があるのか。第一段階ではいけないのか」とも非難しておいた。「いや、英語擬きを使う必然性はない」と言ったつもりだ。

小池都知事は週刊誌でも学歴云々と手厳しく批判されていたが、恰もトランプ大統領を見習ったかの如く「全ての行動は再選に通ず」と言わんばかりに「私は優れた知事であり余人を以て代え難し」と見せつけようと懸命なのだと思って見ている。だからと言って、中途半端な英語の知識でありながら「如何にも、私は知性が高くこのように英語を駆使できるのだ」と言わんばかりのカタカナ語偏重はウンザリである。もしも英語通を以て自認するのであれば「ステップ・ツー」はないでしょうよ。“two”の本当の発音は「ツー」ではないくらいご承知だろう。

しかも困った事に何を焦ったのか、その「なんやらワン」から「ツー」への移行を1週間早めてしまった。小池都知事は専門家に相談した言うし、ある政治面のジャーナリストは都庁の幹部を取材したら「何時東京アラートを発出するか悩んでいた。だが、昨夜では遅い」と手厳しかった。私は発出の遅さを論じる前に「何とかツー」に一段階上げたのは早過ぎたと思っている。その都知事の「えーかっこしい」が判断の誤りだったと見ている。

私は都内の夜間の人の出が多くなったのは、西村康稔大臣が懸念して見せた「気の緩み」ではなく、外出できなかったフラストレーションから開放感を一刻も早く味わいたかっただけのごく自然な感情というか反応の表れだと見ている。但し、私は外に出て自費を投じてまで酒を飲みたいという願望は残念ながら皆無なので、歌舞伎町で遅くまで飲んでいる人を批判する気はない。だが、その飲み歩きが感染者を増やす原因となっていたのならば、その責任は小池都知事の判断の誤りを責めるべきだと思う。

冒頭の家内の質問には勿論答えたが、小池都知事に言っておきたいことは「私は人並みには英語を解っているが、永年アメリカ人の中で暮らして“alert”という言葉を彼らが頻繁に使ったのを聞いた記憶もないし、私自身もこの単語は知っていたが使った記憶はない」のである。しかも、私は“alert”と言えば先ず形容詞だと思い、次が動詞で名詞としては思い当たらなかった。そこでOxfordを見れば名詞では“a warning of a danger or of a problem”と、誠に都知事が言わんとされた意味が出てくる。私がもしこのことを言いたければ、不勉強にして“warning”しか出てこないと思う。

とは言ったが、小池都知事の文語的な言葉を使いたがる傾向は、思うに「我が国の至らざる英語教育の欠陥が悲しいまでに現れているのでは」なのだ。我が国で良くある単語の勉強法ではアルファベットの“a”から始まるので、案外に“alert”を先に覚えられて、“w”からの“warning”にまで至る前に、とてもそこまで覚えきれないと諦められたのと邪推している。何れにせよ、小池都知事にはカタカナ語の使用はお控え願いたいと思う。「バイキング」では松尾貴史が「何で英語なのか。その前の東京は要らないのではないか」と言っていた。同感だ。序でに「ロードマップ」も止めて欲しい。

私からの警告は「訳が解らないカタカナ語の乱用が再選への道に繋がっているとは思えませんよ、小池さん」なのだ。これは決してカタカナ語批判論者としての主張ではない。「貴女を立派案と知事だと思って頼りにしている人もいるのだから、もっと解りやすい普通の日本語を使うべきですよ」と言いたいのだ。より手厳しく言えば「気取りなさんな」なのだ。カタカナ語を使っている暇があれば、少しは都民に貢献する都政の改革を心掛けて欲しいのだ。「これまでにどれほど改革をなさったのか」と言って終わる。


6月3日 その2 同じ会社と言ってもこれほど違う

2020-06-03 10:59:23 | コラム
我が国とアメリカの企業社会の文化を比較すれば:

今回は言わば、昨1日の比較論の続編である。私は「これほど違うのだと事前に解っていたら、アメリカの会社に転進はしなかっただろう」と何度か回顧したほど多くの点で異なっていた。その相違点を知らずしてと言うか弁えずに、先方に乗り込んで交渉などをして上手く行かないで不満を言っている場合が、我が国とアメリカの双方に多かったのは事実だ。

事業本部長(GM)の権限:
これまでに繰り返して述べてきた事。我が国の事業部長さんに「経営というか管理運営、営業、生産、経理、人事、総務等々責任を持って管理すべの権限が与えられている事」はないと思う。だが、アメリカ式では本部長ともなれば全権が与えられ、言わばその事業部の社長と言っても良いような存在になっている。人事と言ってあるが、そこには採用と査定と馘首の権限も当然の事で含まれている。即ち、GMには新規に即戦力を中途採用する権限を与えられているのだ。この点は我が国の会社との明らかな違いだと思う。

全員が中途採用であれば、年に一度本部長と1対1で行うその年の成績の評価の面談を、GMは極端に言えば毎日やっていなければならなくなるので、W社では年に一度同じ日に開催するようにしていた。この面談での査定は5段階になっていて、1が最低であり先ず馘首となってしまうのだ。という事でご理解願えたと思うが、アメリカの企業には日本式の人事部はないのである。そこが大きな相違点である。勿論、製造業界では4年制大学の新卒者を定期採用する習慣はない。

人事異動:
この点も我が国の会社との大きな違いである。我が国のように新卒者を定期採用しないのだから、試用期間もないし最初は組合員であって工場勤務から始まるというような慣行はない。アメリカ式はGMの判断で新規採用か空席が生じた際に社内に告示して募集をかけるか、他社から引き抜くか、ヘッドハンターに適材の発掘を依頼するか、随時送られてくる履歴書の中から選んで面接をするか等々の手法で採用するのだ。その際の面接は事業部長が行うが、担当のマネージャーという場合もある。

では、如何なる場合に人員を増やすのかと言えば、新規の市場に進出する場合、部員を馘首したかリタイアした者が出て空席が生じた場合等であり、実務の経験がない新卒者では務まらない職種ばかりだ。即ち、GMの判断で事業部に必要な経験や年功を積んだ即戦力の人材を中途採用するのだから、他の事業部に移すとか異動させる事はあり得ない。私はW社では19年間同じ日本駐在マネージャーの職を続け、その限りでは誰にも替えられないスペシャリストとして勤務してきた。他の事業部の日本駐在マネージャーも同様である。

そのアメリカ方式人事と採用の仕方から見れば、同じ会社内で先ず新卒者を工場勤務させてから本部に引き上げて経理だの総務だの営業だのと異動させていく我が国独自の方式である万能選手的な人材の養成は考えられないのである。実例を挙げれば、工場の営繕係だった者がが本社の営業部門に異動させても業務が円滑に回っていくなどということなどは、アメリカ側から見れば信じられない事なのだ。即ち、我が国では社内の多くの部門を異動させてジェネラリストを養成しているやり方は理解できないのである。

得意先の代弁をする日本人の社員:
我が国の方式では得意先のご意向なりご意見を十分に伺って、その詳細を上司に漏れなく報告してその課なり部の戦略を立てていく資料にするのは当然の事だと思っている。ところが、アメリカ式ではこの方式は中々通用しないのだ。それは担当者の使命は言わば「上意下達」であり、換言すれば「本社の意向と命令を得意先に完全に受け入れさせる以外の仕事はない」という事なのだ。即ち、得意先と「イエスかノーか」の交渉をするのではなく「イエス」と言わせるまでは帰ってくるなという事なのだ。「エッ」と言われる方は多いと思うが、突き詰めていえば、これがアメリカ式だ。

私が1990年4月に本部で「日本とアメリカの企業社会における文化の違い」のプリゼンテーションをする前に、東京に3年ほど駐在していた木材部門のアメリカ人のマネージャーに原稿を見て貰った。彼の助言は「是非とも“representation of the company to the customer”と“representation of the customer to the company“の項目を加えよう」だった。何を言いたいのかが直ぐには理解できなかった。

それは「本社から出張してくる幹部たちは『日本人の社員たちは直ぐにお客様こう言っておられるからこの方針を変更しましょう』とか『今回の値上げは時期が悪く得意先が受けるとは思えないので見送るべきだ』といったように本部の意向に逆らうように得意先の代弁をする。彼等は何処から給与を貰っているかを認識してないのが誠に怪しからんと言って激怒する事が多い。実は、これは誤った認識で日本市場を理解できていない事を表しているのだ」と教えてくれた。日本では会社の意向を押しつける事しかしない外国企業の社員は「高圧的だ」と極めて不人気だった。

彼は出張者たちに「君等の怒りは解るが、それでは何時まで経っても日本という市場が解らなくなる。一度、ジックリと彼等が言う事を聞いてみたまえ。その向こうに日本という市場の実態が見えてくるから」と諭したのだそうだ。上記の英文の最初の方が「会社の意向を得意先に押しつける」であり、次が「得意先の意向を会社に向かって代弁する」という意味であって、我が事業部にもこのような文化の違いを聞かせてやるべきだと教えられたのだった。勿論というか何というか、この項目は本部で受け入れられた。


アメリカにおける暴動に思うこと

2020-06-03 08:29:36 | コラム
あの状況では人種差別問題によるものではないようだ:

あの騒動の報道に接して思い出すのが、1992年だったかにLAで起きたアフリカ系アメリカ人対韓国人の暴動だった。私の記憶にある原因と言われていた事は「大量に入ってきた韓国からの流入人口が、先住民であるアフリカ系アメリカ人の職を奪っていった事に対して反発した」なのだ。だが、確か単にそれだけではないのだという説もあったような記憶もある。エッセンシャルではないような職を奪われたのはヒスパニックもそうだろうが、彼等が韓国人に反発して揉めたという話は寡聞にして知らない。

連日のように激化する一方のアメリカの多くの州で騒動(トランプ大統領は“riot”と言われたようだが)の報道を見ていると、それに加わって略奪までしている連中には白人がいるようだ。そういう事になっているのでは、最早ジョージ・フロイドというアフリカ系の人が殺された事に対する人種差別への抗議乃至は反対の為の騒動ではないのかなと思って見ている。解説では「新型コロナウイルスによる禁足を強いられた事に対する反動もあって、白人の若者も参加して規模が拡大したとある。だが、私にはアメリカで何故そうなったかの本当の事情など解る訳はない。

私はそこに加わっている若き白人たちは「アメリカの企業社会ではほぼ絶対と言って良いほど身分の垂直上昇も、実力を認められて高額な年俸を取れる地位には上がれない、中間乃至はそれ以下の職しか得られない者たちの中に鬱積したものがあり、その欲求不満の捌け口をあのようなデモなり騒動に求めたのかな」とふと考えたりもしたが、そうではないかと言えるだけの確認などない。

また、専門家の解説によれば「コロナウイルスに対する初動の失態を批判されたトランプ大統領が何としても再選を果たすべく、連邦軍まで動員しても制圧するなどと宣言したのが火に油を注いだ」のだそうだが、なるほどそういう見方が出来るかと思って拝聴した。何れにせよ、私はアメリカにおける人種差別問題は触れてはならない事だと思って過ごしてきたので、何が起ころうとも何かを論ずるだけの知識も経験もない。言い方を変えれば「そういうこととは無縁の世界で22年余りを過ごしてきたのだ」となる。

そこで、その間に経験し、且つ見聞したアフリカ系アメリカ人について振り返ってみようとは思うが、ほとんど語るに足る材料の如きものはなかったが、参考までに解雇してみよう。

今日までに何度も述べてきた事で「22年半のアメリカの会社勤務の他に、子供の頃から接してきたアメリカ人の社会では、アフリカ系アメリカ人と一度も膝つき合わせて親しく語り合った事はなかった。僅かに、本社の人事部に短期間在籍したアフリカ系アメリカ人が、東京の人事の調査で来日した際に面談があった事と、取引先の船社のシアトルの営業担当者から現地で挨拶を受けた際に、アフリカ系だったので、対応に困窮した事があっただけ。

W社在職中には特に禁断の話題であると聞かされた事もなかったが、誰とも「アフリカ系の人たち」を事を敢えて話題にした事などなかった。例外的にたった一度、誰かがそのことに触れた際に同席していた者が「始末に困る程度が低い連中だ。語る気にもならない」と吐き出すように言ったことがあった。社内にお嬢さんがアフリカ系と結婚した人がいて、同僚たちから「彼の前では間違ってもアフリカ系の『ア』の字も言うな」と警告されていたことはあった。

シカゴではアメリカ全土でも有名な(?)な黒人街がホテルと展示会場を回るバスの道筋になっていたので、1週間続けてその場所を通っていた。その雰囲気の異常さと、朝から飲んだくれたのか喚いている者たちの姿が見えるのは、危害を加えられないバスの中にいても、名状しがたい恐怖感があった。そこは絶対に足を踏み入れてはならない場所だと聞かされていた。ジョージア州のアトランタでは道を間違えた商社の駐在員が、それこそ車の前輪が黒人街に入れてしまっただけで、何とも言いようがない異様な雰囲気を感じて急遽Uターンして脱出した事もあった。

何を言いたかったかと言えば、ビジネスの場では政治や宗教の話題には触れないようにと聞かされていたのと同様に、アメリカ人の社会にいればアフリカ系アメリカ人を含めて人種問題は話題にならないのだろうと理解していたと思う。私にはこれ以上の経験がないので、あの大きな問題に発展しそうな傾向が見えるアメリカの騒動については、何か言えるだけの材料などないのだ。無事に収まってくれたら良いのだと思うくらいしか出来ない。尤も、アフリカ系対ヒスパニックやアジア系の争いが騒動にまでなったという話は聞いていない。