新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月12日 その3 自国の文化を弁えずに外国を語るなかれ

2020-06-12 15:11:07 | コラム
「我が国ほど良い国はない」と認識せよ:

Weyerhaeuserで2番目の上司だったニューヨーク州の名家の出身で、シカゴにあるハーバードと並び称されているとご当人が言われるノースウエスタン大学のMBAだった秀才が「先ず自分の足下を見てから外国を語るべきだ」と言ったのが忘れられない。

長年のつきあいがある海外経験豊富な商社マンと語り合った時に、彼はしみじみと「外国から帰ってくると、何時も我が国ほど良い国はないと痛感する」と言っていた。私も「誠に以て同感である」と応じた。彼は中近東駐在の経験がある他に輸出入を担当して北アメリカ、東南アジア、中国等々と年中海外を回っていた国際派である。

更に彼と意見が一致した点は「多くの外国にはそれぞれ良い点があって捨てがたいのだが、馴れてくれば我が国と比較した場合にその国ならではの欠点も見えてくるものだ。外国への出張なり個人旅行ででも数を経験すればするほど、我が国の良い点が見えてくるものなのだ」だったのだ。

私も1970年の未だアメリカの会社に転出する前に生まれて初めて社命により恐る恐る東南アジアを台湾、フィリピン、シンガポール、香港と回ってきてからは、自分では気が付かなかったが、他人様には「物の見方が変わってきた」と言われたものだった。即ち、外国を経験して見て初めて自分の国との比較が出来るようになると言うことらしかった。

その後の1971年には韓国への出張も経験して月並みな言い方だが「益々見聞が広まった」ということになったと思う。即ち、韓国では東南アジアの国々とは全く異なる文化というか国民性を痛感させられたのだった。解りやすく言えば、台湾の人たちのように「日本統治時代は良かった」と言う者など皆無の国だった」と言うこと。

そこでアメリカだが、1972年に全く思ってもいなかった偶然の積み重ねと運命の流れで、当時はアメリカの紙パルプ産業界で第5位のMead Corp.に転出したのだった。更に1975年には「本当にこれほどの偶然があるのか」と後に関係した方々と語り合った偶然と、またもや運命の流れで、Weyerhaeuserに転進したのだった。ここで先ず痛感したことは、あの広いアメリかでは東海岸の伝統的な企業であるMeadと、西海岸の太平洋岸にあるWeyerhaeuserでは大袈裟に言えば「文化が異なる」という点だった。

それから1994年1月末でWeyerhaeuserをリタイアするまでにアメリカだけでも2012年までに英語で言う“pleasure trip”を含めれば60回以上は往復していたと思う。その他にも在職中にもヨーロッパにも所謂観光旅行にも出掛ける機会もあったので、アメリカ以外では確か19ヶ国を回っていたと思う。

その外国を回った中でも事アメリカについては、何度も言ってきたことで「私は彼らの一員としてアメリカの為に22年半も対日輸出に励んできたので、そのような経験から多くの同胞よりもアメリカの文化に慣れ親しみ、我が国との相違点を幅広く深く理解し且つ認識していると自負している。即ち、22年半の経験で「自分の足下を十分に見る機会があったし、彼らの足下をも観察してきた」と言うことだ。

その経験が出来たからこそ、我が国との文化比較論などを紙パルプ産業界の中や数校の大学とラジオ局でも語る機会を与えられたし、且つ「アメリカ人は英語がうまい」という本にして上梓することも出来たのだった。

我が国とアメリカとの相違点は数多くあるのだが、私の捉え方を解雇すれば在職中に本部に出張してシアトル空港に降り立つ度毎に「あーあ、また何もかも違う国に来てしまった」と気を引き締めて、緊張していたのだった。年間に5回も6回も往復してどれほど慣れ親しんで来ても常に自分に「緊張感を忘れるな」と言い聞かせていた。

ここまでで言っておきたかったことは「海外訪問の経験を積んで、あるいは一度でも良いから外国に出掛けて、我が国との文化(原語・風俗・習慣、物の考え方の等々)の違いを経験しておくことで、その結果として見聞が広まって、我が国の良さが見えてくるものである」という点だ。

繰り返して言えば「自国の文化を知らない事には(自分の足下を先ず見極めること)、諸外国の文化は見えてこない」のである。「その外国が如何なる異文化を持っているかは一度だけ訪れただけも、その気になって観察すれば、必ず何か違いがある事が見えてくるものだ」なのである。勿論、何度も繰り返して訪れるに越したことはないが。

私もアメリカの会社に転出してから数年後までは「何でこうなるのだろうか」とか「何という物を知らない分からず屋ばかりの国なのだろうか」と勝手に悩み且つ苦しんでいたものだった。それは、他でもない「外国と我が国との間の文化と思考体系の相違があるなどは全く考えもせずに入って行った」からだとする方が正確なのだ。即ち、「我が国でもアメリカでも会社と称している以上、物事は同じように起きるものだ」と浅はかにも考えていたからに他ならないのだ。だが、アメリカ人たちも同じように軽く考えていたようで、“Things happen the same way in Japan as in the U.S.”と思い込んでいたのだと、時間の経過と共に見えてきた。これだから屡々話が通じなくなったのは当然の現象なのだ。

以前にも回顧したが、「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い」(英語の題名は“Japan Insight”だった)と題したプリゼンテーションを本部で全員に集まって貰って行ったのは、何とWeyerhaeuser入社の15年も経った後だった。勿論、アメリカは魅力に溢れた良い国であって、初めて1972年8月にMeadにトレーニングという顔見せで25日間も出張した時には、このまま永住しても良いなと真剣に考えたほど魅了されたのだった。だが、アメリカを知れば知るほど、同時に我が国の良さが見えてくるようになって、上記の「我が国ほど良い国はない」に行き着いたのだった。

ここまで縷々述べてきたことは「兎に角、色々な意味で何処でも良いから外国を訪れて、出来る限り観察してくることだ」と言いたかった点なのだ。即ち、「外国を見てくれば、そこで何かを学ぶか知り得れば、それが貴方の視野と見識を広げることに繋がっていくのだ」となるのである。古い言い方に「百聞は一見にしかず」(=“Seeing is believing.”)というのがあるではないか。「兎に角、外国に行って見聞を広めようではないか」が私の主張である。


6月12日 その2 マスクの禍の考察

2020-06-12 09:13:57 | コラム
確かに夏場が思いやられる:

好天で高温の日のマスク着用は辛いのだとは、既に4月中の異常高温で且つ晴天の日の真っ昼間に、必要であっても言わば不急の買い物に出て、往復で約2 kmほど歩いたときに既に経験していた。それは目的地までの半分も歩かないうちに息苦しくなって、胸の辺りが少し痛んできたのだった。幸いにもその時にはほとんど人通りがなかったので、原因が多分マスクかと推理して、少しずらして息ができるようにして事なきを得た。だが、瞬間的には「すわ、心不全が悪化したか」と考えてしまった。繰り返すが、これは2ヶ月も前の4月のことだった。

すると、近頃は多くのテレビ局が「専門家」のご意見を採り上げて「来たるべき夏場におけるマスク着用の際の注意事項」を頻繁に報じるようになった。4月に息苦しさを経験してきた者としては、極めて尤もなことだと思う。いや、ご尤もどころか、夏になってしまったらどのように対処すべきかと、十分に悩んでいる。対策は簡単で外に出なければ良いだけだが、そうばかりとも行くまい。家に籠もれば冷房の電気代が嵩んでしまうかなどと恐れている。それに、7月までに新型コロナウイルスを制圧できていることなどあり得ないのだから、厄介な夏がやってくるのだ。

それにも拘わらず、人口が1,400万人に達していると報じられている東京都の知事さんは「何とかアラート」を解除されて、3段階目に進むと誇らしげに語られ「これからは自衛の時」と曰った。専門家のご意見を聞いたと言われるが、私には「女帝」とまで揶揄されている都知事さんの独断のようにしか思えない。小池都知事が何処まで感染症と疫学に通じておられるか知らないが、私には「経済を回す」も何も、自覚も自衛の心がけが十分ではない輩が多過ぎるとしか思えないこの時点での解除は、時期尚早と言うよりも「焦ってお出ででは」と見えて仕方がない。大丈夫なのか。

私の個人的な偏見と言われそうな独断では、小池都知事と西村康稔担当大臣と加藤勝信厚労相はほとんど信ずるには値しないと思っている。小池都知事に対する信頼度はどのくらいかと問われれば、「あの程度のカタカナ語を駆使することしか出来ない英語力が代表する」と断定する。両大臣はと訊かれれば「上(官邸の何方か)に覚えが目出度いということは単なるお利口さんで、責任回避的発言を得意としているだけの小人」と答えたい。彼等にはこの未曾有の国難に正面から挑んでいこうというような意欲も気力もなく、何とか無難に切り抜けようとしているだけだと見えるのは何故か。

特に西村大臣の専門家会議依存は過剰であり、あれでは責任回避の為のシールド(=shieldで、警官が使う防御用の盾という意味もある)にしているとしか思えない。遺憾ながら安倍首相にも専門家会議尊重の傾向が見えるときがある。何度でも言うが、あの会議の方々に政治的判断に関わらさせるのは宜しくないと思っている。いや、させてしまったのは極めて好ましくなかった。

「マスクの禍」を論じようと思ったことがここまで来てしまった。何卒、私の心中をご理解賜りたく。


6月12日 その2 マスクの禍の考察

2020-06-12 09:10:24 | コラム
確かに夏場が思いやられる:

好天で高温の日のマスク着用は辛いのだとは、既に4月中の異常高温で且つ晴天の日の真っ昼間に、必要であっても言わば不急の買い物に出て、往復で約2 kmほど歩いたときに既に経験していた。それは目的地までの半分も歩かないうちに息苦しくなって、胸の辺りが少し痛んできたのだった。幸いにもその時にはほとんど人通りがなかったので、原因が多分マスクかと推理して、少しずらして息ができるようにして事なきを得た。だが、瞬間的には「すわ、心不全が悪化したか」と考えてしまった。繰り返すが、これは2ヶ月も前の4月のことだった。

すると、近頃は多くのテレビ局が「専門家」のご意見を採り上げて「来たるべき夏場におけるマスク着用の際の注意事項」を頻繁に報じるようになった。4月に息苦しさを経験してきた者としては、極めて尤もなことだと思う。いや、ご尤もどころか、夏になってしまったらどのように対処すべきかと、十分に悩んでいる。対策は簡単で外に出なければ良いだけだが、そうばかりとも行くまい。家に籠もれば冷房の電気代が嵩んでしまうかなどと恐れている。それに、7月までに新型コロナウイルスを制圧できていることなどあり得ないのだから、厄介な夏がやってくるのだ。

それにも拘わらず、人口が1,400万人に達していると報じられている東京都の知事さんは「何とかアラート」を解除されて、3段階目に進むと誇らしげに語られ「これからは自衛の時」と曰った。専門家のご意見を聞いたと言われるが、私には「女帝」とまで揶揄されている都知事さんの独断のようにしか思えない。小池都知事が何処まで感染症と疫学に通じておられるか知らないが、私には「経済を回す」も何も、自覚も自衛の心がけが十分ではない輩が多過ぎるとしか思えないこの時点での解除は、時期尚早と言うよりも「焦ってお出ででは」と見えて仕方がない。大丈夫なのか。

私の個人的な偏見と言われそうな独断では、小池都知事と西村康稔担当大臣と加藤勝信厚労相はほとんど信ずるには値しないと思っている。小池都知事に対する信頼度はどのくらいかと問われれば、「あの程度のカタカナ語を駆使することしか出来ない英語力が代表する」と断定する。両大臣はと訊かれれば「上(官邸の何方か)に覚えが目出度いということは単なるお利口さんで、責任回避的発言を得意としているだけの小人」と答えたい。彼等にはこの未曾有の国難に正面から挑んでいこうというような意欲も気力もなく、何とか無難に切り抜けようとしているだけだと見えるのは何故か。

特に西村大臣の専門家会議依存は過剰であり、あれでは責任回避の為のシールド(=shieldで、警官が使う防御用の盾という意味もある)にしているとしか思えない。遺憾ながら安倍首相にも専門家会議尊重の傾向が見えるときがある。何度でも言うが、あの会議の方々に政治的判断に関わらさせるのは宜しくないと思っている。いや、させてしまったのは極めて好ましくなかった。

「マスクの禍」を論じようと思ったことがここまで来てしまった。何卒、私の心中をご理解賜りたく。


増加の一途を辿ってきた迷惑メール

2020-06-12 08:19:16 | コラム
ステージ2に入ったか:

先週辺りからの迷惑メールの襲撃は凄まじいものがあり、遂には1日辺りの数が200本を超してきた。この処理にはOCNのブロッキングサービスに最初の段階で対応して貰ってリストが表示される仕組みになっている。その膨大なリストの中から屡々誤ってスパム扱いされた正常品?を選び出して受信トレイに戻せば良いのだが、200数十本を総点検するのも容易ではない。いっその事何処かの都知事に依頼して「東京アラート」でも出して頂こうかとすらまでは考えてはいなかった。

着信で言えば10日が240-1=239、11日が245-2=243だったので、この辺りで天井かなと密かに期待していた。すると、今朝は総数225-2=223と、どうやら少しだけ長いトンネルの先にほのかな灯火が見えてきた。畏友RS氏は送り手は機械的にやっていると言われたので素直に信じているが、正直なところ送ってくる連中は偉いものだと呆れている。中には時たま当方のアドレスから発信してきているものも見かけるし、W社の工場の研究施設の秘書さんのアドレスが使われていることもある。

以前にも触れたが、送信者の名前(ファーストネームだけかまたはフルネーム)ほとんどが女性の姓名であり、如何にも外国から来たかのように思える。だが、文章の90%は日本語で書かれている。その内容などを読む前に削除しているが、書き出しは皆同じで女の売り込みであるから、彼等はおよそ私をスケベオヤジだとでも勝手に決めつけているのかも知れない。ここまで来ると、毎朝PCを起動させるときに「今日は何本かな」などと期待しているようになった。都知事もステージ3への移行を表明された以上、こちらも小池さん如きに負けないように段階を進めたいものだ。