1948年のアメリカ映画「腰抜け二丁拳銃」を思い出した:
1948年は昭和23年であり、忘れもしない第3回の福岡で開催された国体の高校サッカーの部で我が湘南高校が決勝戦で敗退した年だった。私の自慢の?記憶力を以てしても、このボブ・ホープ主演の映画の封切りと、我が母校の敗退の何れが先だったかは不明だ。なお、いきなり英語の講釈に行けば、“Bob Hope”は断固として「バブ・ホープ」とすべきだ。進駐軍が幅を利かしていたあの時点でも、既に忌むべき「ローマ字読み」の表記をしていたとは、21世紀の今日でも改めて遺憾の意を表しておきたい。
ところで、何故唐突にこんな事を言いだしたのかと言えば、関西のある都市でボーガン(bow gun)を使った犯罪があったからだ。私の関心は“bow”の方にあった。先ず思い浮かんだのがダイナショアが歌ったあの映画の主題歌「ボタンとリボン」(“Buttons and bows”)だった。ドンドン話が遠回りしていくが、この映画の原題は“Paleface“であり、言わば“political correctness”だったかに引っかかりそうな、アメリカ原住民が使う言葉だったそうだ。だからこそ、原題とは全く異なる「腰抜け二丁拳銃」との「邦題」にしたのだろう。
主題歌の“bows”は冗談交じりに漢字で書けば「坊主」になってしまう。ということは、“o”を素直に「オ」と発音していると言えるだろう。この場合の意味は「蝶結び」だったり“a bow tie”とすれば「蝶ネクタイ」になるのだ。更に「弓」となって“bow gun”とすれば「ボー(ボウ)ガン」にもなってしまうのだ。ややこしいのはこれからで、多くの方はもしかすると中学1年の頃に英語の授業開始前に立ち上がって先生にお辞儀をする時に「バウ」即ち“bow”と号令がかかっただろうと思う。不思議なことに、ここでは「ボウ」ではなく「バウ」なのだ。英語はかくも面倒なのだ。
主題歌の“Buttons and bows”は当時「バッテンボー」のように発音されて、かなり流行っていたと記憶している。だが、カタカナ語化する際の常套手法として、原題の複数を表す“s”が何処かに消えてしまったし、辞書には「リボンなどを使って、蝶結びにすること」というような解釈があるので、「ボタンとリボン」になってしまったのかと、今となっては推理している。そんな英語の講釈は兎も角、当時はホープが演じる喜劇のおかしさには大いに笑わせられたものだった。後になって知ったのだが、てっきりアメリカ人だと思っていたホープは、UKから帰化した人だったのだ。
この映画は確か藤沢から遙か東京まで行って観ていたのだったが、国体で優勝する為に連日練習に打ち込んでいたあの年は福岡まで遠征もしていたし、良く映画など見る時間が取れたものだと、72年も前の記憶を辿ろうにも、流石に思い出せる訳がなかった。
1948年は昭和23年であり、忘れもしない第3回の福岡で開催された国体の高校サッカーの部で我が湘南高校が決勝戦で敗退した年だった。私の自慢の?記憶力を以てしても、このボブ・ホープ主演の映画の封切りと、我が母校の敗退の何れが先だったかは不明だ。なお、いきなり英語の講釈に行けば、“Bob Hope”は断固として「バブ・ホープ」とすべきだ。進駐軍が幅を利かしていたあの時点でも、既に忌むべき「ローマ字読み」の表記をしていたとは、21世紀の今日でも改めて遺憾の意を表しておきたい。
ところで、何故唐突にこんな事を言いだしたのかと言えば、関西のある都市でボーガン(bow gun)を使った犯罪があったからだ。私の関心は“bow”の方にあった。先ず思い浮かんだのがダイナショアが歌ったあの映画の主題歌「ボタンとリボン」(“Buttons and bows”)だった。ドンドン話が遠回りしていくが、この映画の原題は“Paleface“であり、言わば“political correctness”だったかに引っかかりそうな、アメリカ原住民が使う言葉だったそうだ。だからこそ、原題とは全く異なる「腰抜け二丁拳銃」との「邦題」にしたのだろう。
主題歌の“bows”は冗談交じりに漢字で書けば「坊主」になってしまう。ということは、“o”を素直に「オ」と発音していると言えるだろう。この場合の意味は「蝶結び」だったり“a bow tie”とすれば「蝶ネクタイ」になるのだ。更に「弓」となって“bow gun”とすれば「ボー(ボウ)ガン」にもなってしまうのだ。ややこしいのはこれからで、多くの方はもしかすると中学1年の頃に英語の授業開始前に立ち上がって先生にお辞儀をする時に「バウ」即ち“bow”と号令がかかっただろうと思う。不思議なことに、ここでは「ボウ」ではなく「バウ」なのだ。英語はかくも面倒なのだ。
主題歌の“Buttons and bows”は当時「バッテンボー」のように発音されて、かなり流行っていたと記憶している。だが、カタカナ語化する際の常套手法として、原題の複数を表す“s”が何処かに消えてしまったし、辞書には「リボンなどを使って、蝶結びにすること」というような解釈があるので、「ボタンとリボン」になってしまったのかと、今となっては推理している。そんな英語の講釈は兎も角、当時はホープが演じる喜劇のおかしさには大いに笑わせられたものだった。後になって知ったのだが、てっきりアメリカ人だと思っていたホープは、UKから帰化した人だったのだ。
この映画は確か藤沢から遙か東京まで行って観ていたのだったが、国体で優勝する為に連日練習に打ち込んでいたあの年は福岡まで遠征もしていたし、良く映画など見る時間が取れたものだと、72年も前の記憶を辿ろうにも、流石に思い出せる訳がなかった。