“plagiarism”で行こう:
何の事かと当惑されるかも知れないが、ジーニアス英和には「(他人のアイディアの)盗用、剽窃」とある。下世話な言葉にすれば「パクる」事なのだ。これでも未だ何を言いたいのかハッキリしていないと言われそうだ。
そこで、より具体的に言えば、私の年来の持論である「アメリカ人でも誰でも英語を母国語とする者と接触していて、あるいは会話をしていて、あるいは交渉を進めていて、あるいは友達付き合いをしていて『こういう時にはこのように言うのか』であるとか『なるほど、こういう簡単な言葉で表現するのか』と感心するか恐れ入った場合には、何とかしてその表現を記憶しておき、英語の表現の小引き出しの数を増やしておき、ここぞという時に“これだ”と思う引き出しを開けて使うようにしよう」の事である。
私は1975年3月からウエアーハウザーに転じてからはそれまでの人生の如何なる時よりも、英語だけで過ごさねばならない時間が長くなっていったのだった。42歳になっていたので、ある程度の表現の仕方(“I know how to express myself in English.”という言い方が、それだが)は心得ていたつもりだった。だが、その程度では間に合わない事態が屡々発生した。そこで考えついたのが「彼等native speakerたちはこういう事を言いたい時にはそのように言うのか」とただひたすら真似るというか、覚えておくという方法だった。
その場合の要点は、後年某商社で若手の個人指導を引き受けた際に彼がいみじくも言った「どうしてそんなに簡単でやさしい単語ばかり使ってそんなに難しいことが、スラスラと言えてしまうのですか」が肝腎なのである。彼等の中にいると上に行けば行くほどというか出世しているMBA等の連中は、決して難しい言葉を使わずに平明な表現で語るのが解ってくるのだ。だが、それは同時に慣用句(=idiom)等を巧みに使っているので、馴れるまでは聞き取れても意味が掴めないこともあった。そういう場合には「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」で“What do you mean by that?”と訊けば良いだけのこと。
少し覚えているだけの具体例を挙げてみよう。ある時にカナダのフランス語圏内から青年にどうしても依頼することがあり、彼を知るカナダ大使館の商務官に電話をした。彼が電話越しに同僚に“Do you know his whereabouts?”と言うのが聞こえた。そこで知ったのが「彼の所在を知っているか」という表現だった。次は相手は承知しているようだったので、“You can get hold of him, then?“と聞こえた。疑問文の形にになっていないが「それなら、彼と連絡が取れるか?」と尋ねていたのだ。これも覚えたので、引き出しの数が増えたということ。
ウエアーハウザーに移ってからのことで、帰りの便でビジネスクラスの隣の席に若い日本の青年が座った。本部出張の後は疲れていることもあって、滅多に隣人とは語り合わないように本を読むか寝ているのだが、この時は何故か語り合ってしまった。彼はギタリストで、シアトルにある有名なスタジオでジャズではないフュージョンの録音をしてきたと言った。そして何故か音楽の話題になり、彼は「アメリカ人等の有名なミュージシャンのこれと思う素晴らしいソロを真似て弾いてみることがある」と語り出した。
要点は「そのソロを真似て繰り返して引いていると、何時の間にかそれは自分が創造したアドリブであり、誰の真似をしたのでもないと思うようになってしまうことがあるのが怖い。でも、そういう有名な人のソロを聴かないと勉強にならないので、極力覚えておくようにしているし、真似をしてしまうことがある」という事なのだ。その点では私の持論である「native speakerたちの真似をしよう。これと思った上手い表現を記憶しておこう。小引き出しを増やそう」と同じ理屈だと思って聞いていた。思いがけない勉強が出来た。
この話をその直ぐ後にまたアメリカの本部への出張があったので、“customer services“担当の女性マネージャーに語って見た。彼女は言下に「それは”plagiarism“と言うのだ」と断定した。遺憾ながら私はこの言葉を知らなかったので尋ねると、上記のジーニアス英和の解説のように剽窃のことだった。だが、それは音楽の世界のことで、私のようにそもそも自分の国の言葉ではない言語で仕事をしなければならない者は、native speakerたちから学ぶというか真似をするのは重要な手段なのだ。
彼等の中で過ごしてみると解ってくる事は、教養があって知性が高くなるに従って使う言葉は平易であっても、難しい内容を解りやすく誤解されることがないように書き且つ語るのである。日本語ならば「矢鱈に難しい漢字の熟語を使ってみせるようなは話し方をしない」となる。私はこうやって英語を覚えたのだが、決して“plagiarize”ではないと信じている。
何の事かと当惑されるかも知れないが、ジーニアス英和には「(他人のアイディアの)盗用、剽窃」とある。下世話な言葉にすれば「パクる」事なのだ。これでも未だ何を言いたいのかハッキリしていないと言われそうだ。
そこで、より具体的に言えば、私の年来の持論である「アメリカ人でも誰でも英語を母国語とする者と接触していて、あるいは会話をしていて、あるいは交渉を進めていて、あるいは友達付き合いをしていて『こういう時にはこのように言うのか』であるとか『なるほど、こういう簡単な言葉で表現するのか』と感心するか恐れ入った場合には、何とかしてその表現を記憶しておき、英語の表現の小引き出しの数を増やしておき、ここぞという時に“これだ”と思う引き出しを開けて使うようにしよう」の事である。
私は1975年3月からウエアーハウザーに転じてからはそれまでの人生の如何なる時よりも、英語だけで過ごさねばならない時間が長くなっていったのだった。42歳になっていたので、ある程度の表現の仕方(“I know how to express myself in English.”という言い方が、それだが)は心得ていたつもりだった。だが、その程度では間に合わない事態が屡々発生した。そこで考えついたのが「彼等native speakerたちはこういう事を言いたい時にはそのように言うのか」とただひたすら真似るというか、覚えておくという方法だった。
その場合の要点は、後年某商社で若手の個人指導を引き受けた際に彼がいみじくも言った「どうしてそんなに簡単でやさしい単語ばかり使ってそんなに難しいことが、スラスラと言えてしまうのですか」が肝腎なのである。彼等の中にいると上に行けば行くほどというか出世しているMBA等の連中は、決して難しい言葉を使わずに平明な表現で語るのが解ってくるのだ。だが、それは同時に慣用句(=idiom)等を巧みに使っているので、馴れるまでは聞き取れても意味が掴めないこともあった。そういう場合には「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」で“What do you mean by that?”と訊けば良いだけのこと。
少し覚えているだけの具体例を挙げてみよう。ある時にカナダのフランス語圏内から青年にどうしても依頼することがあり、彼を知るカナダ大使館の商務官に電話をした。彼が電話越しに同僚に“Do you know his whereabouts?”と言うのが聞こえた。そこで知ったのが「彼の所在を知っているか」という表現だった。次は相手は承知しているようだったので、“You can get hold of him, then?“と聞こえた。疑問文の形にになっていないが「それなら、彼と連絡が取れるか?」と尋ねていたのだ。これも覚えたので、引き出しの数が増えたということ。
ウエアーハウザーに移ってからのことで、帰りの便でビジネスクラスの隣の席に若い日本の青年が座った。本部出張の後は疲れていることもあって、滅多に隣人とは語り合わないように本を読むか寝ているのだが、この時は何故か語り合ってしまった。彼はギタリストで、シアトルにある有名なスタジオでジャズではないフュージョンの録音をしてきたと言った。そして何故か音楽の話題になり、彼は「アメリカ人等の有名なミュージシャンのこれと思う素晴らしいソロを真似て弾いてみることがある」と語り出した。
要点は「そのソロを真似て繰り返して引いていると、何時の間にかそれは自分が創造したアドリブであり、誰の真似をしたのでもないと思うようになってしまうことがあるのが怖い。でも、そういう有名な人のソロを聴かないと勉強にならないので、極力覚えておくようにしているし、真似をしてしまうことがある」という事なのだ。その点では私の持論である「native speakerたちの真似をしよう。これと思った上手い表現を記憶しておこう。小引き出しを増やそう」と同じ理屈だと思って聞いていた。思いがけない勉強が出来た。
この話をその直ぐ後にまたアメリカの本部への出張があったので、“customer services“担当の女性マネージャーに語って見た。彼女は言下に「それは”plagiarism“と言うのだ」と断定した。遺憾ながら私はこの言葉を知らなかったので尋ねると、上記のジーニアス英和の解説のように剽窃のことだった。だが、それは音楽の世界のことで、私のようにそもそも自分の国の言葉ではない言語で仕事をしなければならない者は、native speakerたちから学ぶというか真似をするのは重要な手段なのだ。
彼等の中で過ごしてみると解ってくる事は、教養があって知性が高くなるに従って使う言葉は平易であっても、難しい内容を解りやすく誤解されることがないように書き且つ語るのである。日本語ならば「矢鱈に難しい漢字の熟語を使ってみせるようなは話し方をしない」となる。私はこうやって英語を覚えたのだが、決して“plagiarize”ではないと信じている。