新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月23日 その2 安倍晋三総理・総裁の後継者は

2020-06-23 14:51:34 | コラム
最適任者が果たしているのか:

22日夜のPrime Newsは、この話題に尽きると思って聞いていた。出席者は田崎史郎、鈴木哲夫、山口二郎(法政大学教授になっておられた)だったのも興味を惹かれた。

私はこれまでに何度も述べてきたことで「安倍晋三総理・総裁(64歳)は史上最高の総理大臣だとは評価していない。だが、現状求め得る最善の総理大臣だろう」だと思っている。だが、延長した3期目も後1年3ヶ月ほどを残されて、それまでは「安倍一強」とまで称えられた力量にも、やや俗っぽく表現すれば64歳にもなられれば「金属疲労」ではなかった「勤続疲労」が散見されるのだ。私にはモリカケだの桜だの黒川問題等々への雑なのか逃げておられるの解らない、野党に付け込む隙を与えられる答弁などを聞いていると、本当に「一強」だったのかと思わせられている。

本論に入る前に、今回もまた少し話題を変えることにする。安倍総理にとっては甥に当たる最後の日本興業銀行の頭取だった故西村正雄君(中学・高校の同期生だった)は64歳で頭取になった。就任となる少し前に、矢張り同期で富士電機の系列会社の社長を退任したばかりだという級友のE君(彼も故人だが)に銀座の表通りでバッタリと出会った。彼に「西村が頭取に決まったそうだ」と伝えると、それこそ血相を変えて「それは駄目だ。俺と違って興銀の頭取ともなれば大変な激務であり激職だろう。64歳にもなって受けるべき職ではない。

社長ともなると行動を全て秘書役に決められ、行動にはまった自由な時間などなくなり、自分の時間などなくなるし、頭は使うし物理的にも極めてきついし、背負う責任はこの上もなく重い。俺は先月64歳となって社長を辞めて、せいせいしたところだ。その最高責任者の地位に西村が64歳でなろうとは大変な誤りだし、無理だ。鵠沼に帰り次第、西村に会って再考せよと忠告する」と一気にまくし立てたのだった。大手メーカーの社長経験者がそれほど激務だったと回顧するのだから、一国の総理大臣がどれほど苛酷な職務であるかは、朧気ながら想像は出来る。

ましてや、私はアメリカの大手企業のCEOや副社長級の激務などという表現では追い付かない大変な方多忙な働きぶりを永年見てきたし、それ以下の我々でも職務の物理的な激しさ厳しさは十分以上の経験してきているので、E君がが西村君のことを心配するのは良く理解できた。

そこで、昨晩の番組での専門家の発言を私流に纏めてみようと思う。だが、何処かの専門家の会議のように発言者を特定しないような形式にしようと思う。と言えば格好が良いが、誰がどう言ったかの記憶がなくはないが、間違っていたら恥ずかしいなと思っているだけだ。確か山口教授を除くお二方は「今や安倍総理は巷間伝えられている岸田文雄(62歳)への禅譲(両氏共にこういう形はあり得ないと否定したが)を、総理は考え直している感が否めない」と述べたのだった。私はさもあらんと思って聞いた。

私はそもそも政治家の経歴などには疎いので、岸田文雄が安倍総理と同期の当選9回とは初めて知った。ではあっても、62歳であるから総理大臣の激職・激務にも体力的には未だ持ち堪えられるのかも知れない。石破茂は言わば総理の先輩格で当選11回の63歳。もう一人の候補者とマスコミが言う茂木敏充外務大臣は当選9回の64歳では、年齢的な疑問はなきにしもあらずと言えそうだ。私はここまでが横一線に並んでいるだけで、マスコミ辞令の西村康稔大臣と加藤勝信厚労大臣は考慮の内は入れたくない。もしももう一人と言われれば、菅義偉官房長官かも知れない。

私も長い間我が国の大手・小手の会社の役員への昇任や、社長人事等を外から眺めてきたし、内部の観測や情報や憶測にも接してきた。結論としても良いかと思うことは「外から見て優れた人物で彼こそは」と思う人たちの昇格・昇任や社長就任は極めて希だった」なのである。換言すれば「我が国の会社組織では上からの評価、乃至は覚えが目出度くない人物乃至は可愛げがない直言居士の類いは取り立てられないようだ」となる。であれば、安倍晋三総理・総裁は可愛げがある人物を選択するかとなる。その点で石破茂は不利だという見方はあるよう。でも、“Who knows?“ではないか。

この他に私が「なるほど」と思って聞いていたのが「果たして安倍一強だったのか」との例に挙がっていた事例だった。新型コロナウイルスの蔓延対策における関係する官庁の動きの鈍さ(遅さ)と悪さの原因が論じられていたことだった。特に厚労省の動きは不十分で、保健所の遣い方などは大いなる不満の対象だったという点だった。この点は私でさえ不可思議だと思っていた。

これらの件については「総理から各省庁の大臣や政務三役等には厳しく可及的速やかに改善せよとの指示が出ていたのだった。だが、総理に取り立てられた者たちは畏まって命令を聞くが、彼等から実務を動かす官僚には、その上から来た指示や命令は徹底していなかったのが実態である。イヤ、そう言うよりも指示・命令は現場には浸透していなかったのは、官僚には一強の威光は効いていなかったと言えるのでは」という形で批判されていた。事、コロナウイルス関連となると、官僚を動かすべき2人の大臣が官僚の出身だったのも、私には興味深いのだ。

そこに本23日のテレ朝の「ワイドスクランブル」では有馬晴海の見方が「安倍総理が9月に人事を動かして、もしも二階幹事長を外し、乃至は閣改造をも行って菅官房長官を交代させれば、その時点で石破茂の可能性は消滅する」と指摘していた。テレ朝が出していたチャート(「フリップ」は何度でも言うが誤ったカタカナ語)では岸田の支持者として安倍総理と麻生副総理から矢印が向けられていた。だが、BSフジもテレ朝も、何時解散・総選挙があるかを特定する表現を避けていた。それは兎も角、私は岸田文雄だけにはどうしても信頼感が持てないのだ。

確かにアメリカで11月に大統領選挙が終わるまでは、我が国の総理大臣を迂闊に交代させる訳には行くまいとは思う。トランプ氏がご当人の狙いのように再選された場合に、安倍総理以外に彼と巧みに付き合っていけるだけの力量があるのは誰だろうか。もしもトランプ氏よりも高齢であり、我が国に対して冷ややかな姿勢を採る民主党のバイデンが勝った場合に、安倍総理がいち早くトランプタワーに馳せ参じたほどの、民主党にパイプを持っている我が国の総理候補がいるのだろうかと、無用かも知れない心配を今からして悩んでいるのだ。


私が内側で経験してきたアメリカ合衆国

2020-06-23 09:13:04 | コラム
来たるべき大統領選挙を11月に控えて:

今回も重ねて申し上げておきたいので、私が見るアメリカ合衆国は子供頃から慣れ親しみ、1972年以降は彼らの一員として彼らと共に、その内側で過ごしてきた経験から論じているのだ。従って、その主張は自ずと留学経験者や企業やマスコミの駐在員の方々や一部の専門家の方々の解説される事柄とは、やや視点が異なっているだろうという点。その点をご理解賜った上でご一読願いたいので、宜しくお願い申し上げます。

回顧すれば、私はGHQの秘書の方から英語を教えられ、GHQに出入りしていた中学生の頃では、一度も人種差別のような扱いを受けた記憶はなかった。だが、もしかすると鈍感で気が付かなかった為かも知れない。しかしながら、その後には偶然に知る機会があった、当時は確か“Chase National Bank“となっていた銀行での日本人行員を見下したようなアメリカ人たちの態度を目の当たりにする機会もあったし、他の場面でも彼等が我々を同様な扱いをするのを知り得たので、1954年の就職を前にした頃にはあの就職難の時期でも「絶対にアメリカの会社には行くまい」と決心するに至った。

しかしながら、アメリカの紙パルプ産業界の大手だったMead Corp.に1972年に転進し、1975年からはWeyerhaeuserに再度転進したのだったが、その2社では往年見聞したような不当な扱いなど受けた記憶は一切なかった。即ち、屡々我が同胞が嘆かれる「アメリカに行って有色人種の日本人として不当に扱われた」と慨嘆された方のような経験はなかったと言うこと。思うに、戦後30年近くも経過して、我が国が世界の経済大国に発展しその地位を確保したので、アメリカ人たちの「日本人の認識」を変えさせてあったのだと解釈して良いのだろうと解釈している。

これまでに何度か述べてきたことだが、1972年8月にMeadの社員として“Training“という名の出張で、25日かけてアメリカとカナダの事務所、工場、研究所を回った後では、話でしか知り得なかったアメリカとカナダの実態を直接に経験して大いに感動した。そして、「このままアメリカに永住したいほどだ」と思ったほど、知り得た階層の人たちの豊かさと、産業界の規模の大きさとそれにより生じる優位性には圧倒された。それだけではなく、人々の大らかさと優しさ、簡単に言えば高度に発達した物質文明、住宅環境の素晴らしさ、経営者や幹部たちの次元の高さは衝撃的だった。

そのアメリカの企業とその国の人たちの為に努力した22年半が1994年1月末で終わった。その頃に誕生した民主党のクリントン政権から一拍おいてオバマ政権がに至った以降のアメリカは、私が感動し何とか慣れしたしんだアメリかではなくなったとしか感じられなくなっていた。それは「空洞化」が示したような、嘗ては世界の模範だったアメリカの産業界は世界市場での競争力を失い、中国等に労働力の質とコストで実質的に後れを取る国に成り下がったことにも現れていた。経営陣が職能別組合を制御しきれず、労務費の高騰を招いたのもその没落の主たる原因の一つだと言える。

極端にいえば「白人と黒人」だけで構成されていたかの如きだった国に、時の流れと共にヒスパニック、中国、韓国等々から大量にアメリかでは下層を形成することしか出来なかった移民が大量に流入し、白人の中の低層の人たちやアフリカ系の者たちの職種が当時では「少数民族」だった流入人口に奪われていく結果になったのだったと見ている。多くの大企業の本社機構には白人以外の少数民族は散発的に数名いるという程度。但し、本社とは別な組織である工場では、州立大学の新卒者も採用されたし、現場の組合にはヒスパニックもアジア系も採用されていた。

ここで言わば注釈を付けておかねばならないことがある。それは「4年制大学の新卒者を定期採用することなく、即戦力の中途採用に依存しているのは製造業界のことである。私が知る限りでは銀行・証券業界では4年制大学の新卒者を採用すると承知している」という点である。それでは製造業の大手を目指す新卒者は如何にしているかは既に繰り返して述べてきたので、ここでは敢えて触れないようにする。

アメリカの会社組織では製造業の大手では先ず4年制大学の新卒者を定期採用することはないと前節にも述べたが、我が国とのその余りの文化の相違点は未だに我が国では広く理解されていないと思えてならない。職能別組合の組合員たちが現場で製造業務に従事し、会社側のサラリー制の社員たちは法律的にも一切現場の機械操作には直接文字通り手を出せないのも、我が国とは大きく異なっている。その労働者階層はトランプ大統領の支持層であるのだ。であればこそ、トランプ大統領はswearwordを使われてまで、彼等にも浸透するような演説を敢えてされるのだと思っている。

視点を変えると、アメリカという国は嘗てはその懐の深さというか優しさからというか、移民の受け入れを敢えて制限しなかったのは何故かは、私には如何に表現すべきか解らない。だが、確かに言えそうなことは、1990年代には2億6,000万人だった人口が今では3億3,000万に迫るまで増加した背景には、少数民族即ち“minority”だったものが、今や“minorities”と複数形で表現されるほど半数に迫り、遠からぬ将来に白人の数を超えるだろうといわれる国に変貌しつつあるのだ。その“minorities”の票の行方が大統領選挙を左右しかねない国になって行く過程にあるようだ。