新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月6日 その2 新型コロナウイルスを制圧できた後に如何なる変化が生じているか

2020-06-06 15:40:46 | コラム
我が国も世界も変貌するのか:

本6日には久しぶりにW社ジャパンの代表者で副社長でもあった今や92歳の長老と、勿論電話で語り合う機会があった。彼は「現時点では不要不急も何も無理に外出しないことこそが、ウイルスから我が身を守る最善の策である。そして、このまま年内にはウイルスの征圧は終わらず、我が国ではその新型コロナウイルスから国を守り身を守っている間に、その多大なる影響で我が国が如何なる形に変わっていくかは、誠に以て想像を絶している」との意見を述べておられた。私もほぼ同じようなことになると懸念している次第だ。

彼は嘗ては10大商社の一角を占めていた安宅産業を経て、1973年にウエアーハウザーに転進した私如きが到底及ばないメリカの企業社会の裏と表に精通した珍しい日本人なのだ。アメリカとカナダに10年の駐在経験があり、英語での論旨の組み立ての巧みさは業界では誰知らぬ者なき存在だった。92歳の現在でも未だに頭脳は明晰なのである。

先月だったか、日本大学危機管理学部の先崎教授がテレビで「新型コロナウイルスが収束した後には我が国では恐らく大変な変化が生じるだろうとは見ている。だが、如何なる変化となるかの予測は全く不可能であると言うか、解らない」と語っておられた。私如きには到底予測など出来る問題ではないが、我が国だけに止まらず世界全体が変わってしまうとは考えていても誤りではないと思っている。

私が昭和30年から経験して来た紙パルプ産業界などでは、アメリカ及び世界第1位であったInternational Paper等が2007年にアメリカ国内での製紙から撤退し、アメリカ第2位のW社はそのIPの2年前の2005年に印刷用紙部門をスピンオフさせていた。更に、2017年には紙パルプ部門を完全に整理して1900年に創業した当時の木材会社に戻ってしまっていた。それほどアメリカの大手製紙会社は早い時点でICT化の波には逆らえないと見切を付けていたのだった。

私はそのアメリカの経営者たちの判断の速さと厳しさを礼賛しようとは思ってはいない。確かに彼等は慧眼だし将来の見通しは適確ではあると認める。だが、彼らの二進法的思考体系では「イエスかノーか」、「進むか引くか」の判断しかないので、日本側から見ればいともアッサリと果断に見極めを付けるように見えるだけのことなのだ。印刷(紙)媒体の将来が危うしと見れば、残すか引くかの決断をするだけなのだ。その二進法的思考体系と我が国の物の考え方の違いを、我が国の企業社会で純粋に育った方々には、容易に読めないのだと断じても良いと思う。

政治家たちもこの点と言うか、彼我の文化の相違点と思考体系に違いがあることを、適確に読み切れているか否かは極めて疑問だと思わざるを得ない。尤も、永年彼等の中です過ごしてきた経験から見ても、アメリカ側でもそこまで読み切っている者がどれほどいるかなどは、かなり疑問だと思って見ている。

1973年頃だったか、私を「日本の会社組織には向いていない」と断定してアメリカの会社への転進を勧め、事実M社に推薦して下さった日系カナダ人のN氏が、そのM社の日本人代表者だった京大卒でアメリカでMBAを取っておられた紙パルプ業界の大立て者のM氏が、私を交えての3人の夕食会で「私もアメリカ人の世界で永年過ごしたので、アメリカ人たちの物の考え方の70%は読めるようになった」と語られたのだった。

それを聞いたN氏は夕食会が終わった後で私に「彼は未だ解っていないようだ。この私でさえ、未だに白人たちの心の中まで読み切ることなど出来ないのだ。彼が読めているのは70%ではなくて、精々30%だろうよ」と笑いながら言ったのだった。非常に含蓄がある思考体系の相違点についての見方だと思って印象深かった。。

私はW社での19年間の末期の4~5年ほどは、1年間にアメリカ出張で3分の1、本部か工場から来る者たちと日本国内の巡業で3分の1、残りが東京に自分のオフィスに出勤という具合に、アメリカ人と共に過ごし時間が圧倒的に長かった。だが、屡々彼等は私には予測しきれない事を言い出すし、行動に出るので悩まされたものだった。それほど彼我の思考体系の違いには深いものがあるのだ。恐らく、アメリカ側にも同様な悩みはあったのは間違いないところだろう。

その違いが少しでも読めるのが「国際人」であり「グローバリズム」などという代物に適応していると思うのは、私は今でも錯覚か思い込みだと思って見ている。ましてや、自分で外国語を話さずに通訳を介していては、真の意思の疎通は容易ではないと恐れている。だが、自分で「自分の外国語能力は十分に通用する」と過信して外国語で交渉するとか語り合うののも同じように危険な場合があるだろうと見ている。そう言う最大の根拠は「我が国の外国語教育は世界最悪だ」と仏文学のTK博士が断じていた所にもあると思う。

矢張り、何時果てるかも知れない新型コロナウイルス制圧対策が終わった後に、我が国と世界にどれほどの変化生じているかを予測するには、諸外国の事情と言うか我が国との文化の相違点等々をを余程正確に把握できていないと、予測するどころか想像も出来ない時代が我々の行く手に待っているのではないかと、一人静かに恐れているのだ。

中国の脅威の考察

2020-06-06 09:42:50 | コラム
中国の嫌らしさを良く考えよう:

今朝ほどからどうやら懸案の習近平主席を国賓で招待する件が白紙に戻ったとの報道があるので、この際私が痛切に感じてきた中国の嫌らしさと脅威を振り返ってみようと思うのだ。中国の嫌らしさは、総合商社や専門商社の駐在経験者たちから聞かされていたので、ある程度は認識していた。だが、その主たる内容は虚偽の発表やでっち上げの統計資料を公表するといった程度だったが、習近平が主席となってからは、彼らのイヤらしさは到底その程度のことで終わるものではないという事が急速に明らかになってきたのだった。

私はW社リタイア後に3度訪れてみただけの中国なので、経済的には急速に発展していることは知り得たが、今日のようにアメリカと世界を2分して統治しようといったような邪な野望を単なる野望に終わらせない勢いで全世界に進出を始めたのには、言い知れない脅威を感じさせてくれたのだった。嘗て小沢一郎が慣行を無視して副主席だった習近平を強引に現在の上皇様に引き合わせた時には、習近平が現在の習近平に変貌していくとは夢想だにしていなかった。私には未だに小沢一郎が慧眼だったのか、無知で無謀だったかを判定できずにいる。

私が以前の中国の嫌らしさと、今日の脅威の両方を初めて深刻に理解した機会があった。それは、最早何年前のことだったか記憶が定かではないが、21世紀パラダイム研究会に日本防衛法学会の高井晉氏をお招きして「中国」を語って頂いた時だった。高井先生は第一列島線と第二列島線等々を詳しく語って下さったので、私は拝聴しながら如何に自分が中国の邪な野望と戦略に関して無知だったかと不明を恥じていた。とても尖閣諸島を自国領であると称して、公船を送り込んでいる程度の問題ではないと認識できたのだった。

その後に、河添恵子さんが武藤山冶記念国民会議で中国問題を語られたので、中国というか習近平率いるあの国が如何に嫌らしいかを、改めて痛感させられたのだった。特に河添さんは「中国の企みは尖閣諸島や沖縄を奪取するなどという生易しいものではなく、究極的には我が国をアメリカから引き剥がして属国とするのが真の狙いである」と指摘されたのだった。荒唐無稽だと受けとめる前に「これは単なる河添さん個人の考え方の表明ではあるまい」と思わせられたほどの迫力があった。

時間的な経過がどうなっているかは私には定かではないが、習近平があからさまに手がけてきたことは一帯一路構想であり資金を投じて抑え込む侵略であり、南沙諸島というか南シナ海の埋め立ててであり、WHOを始めとするUNの機関を金の力に物を言わせて支配する企みであり、5Gの開発でEU圏内の諸国をアメリカから引き剥がす策略であり、近くはトランプ大統領と真っ向から対峙しての貿易戦争であり、武漢ウイルスの蔓延の責任を認めることなくアメリカに押しつけようとしたかと思えば、香港を一国一制度に当然のように強引に持っていく策略である。

ところが、困ったことに我が国には未だに国会議員を始めとして中央官庁にも財界にも媚中派が数多く巣食っている様子が明らかなことだ。その為かどうかは私如きには解らないが、この度の新型コロナウイルスの蔓延によって我が国が未だに、敢えて過度にと言うが、工業製品(部品も含めて)や非耐久消費財を中国に依存する態勢にあった事が悲しいまでに知れ渡ったのだった。マスクなどがその最たる例で需要の80%を中国に依存していたのだった。だが、それを知らずして武漢でウイルスの感染が生じるや数万枚を中国に寄付した地方都市があったのは、将に漫画だった。

幸いなことにオバマ政権下の8年間でアメリカが極言すれば野放しにした為に思い切り増長し、思い切り軍備を拡張した中国を、トランプ大統領が立ち上がって、途中で少し右往左往されたが、真っ向から貿易戦争を挑み、中国と妥協されそうな局面もあったが、結局は妥協の余地なしという強硬姿勢を採って頂けたのだった。その表れが、私が屡々引用してきた話である「トランプ大統領の再選を最も嫌っているのが習近平で、再選を望んでいるのDPRKの金正恩である」という事態になっているのだ。

この状況下にあって、私が「なるほど。世界には未だにそういう物の見方があったのか」とある意味では驚かされたことがあった。それは、安倍総理のコロナウイルスについての記者会見で質問に立った外国人の記者が「現今のアメリカ対中国の対立の時期にあって、日本はどちらの陣営に付くのか」と尋ねたと報じられた事だった。私は常識的には「答えは決まっている」と思うのだし、非常識というか、如何にも我が国の足下を見ているかの如き尋ね方だと思った。総理の答えは記憶に誤りがなければ「白黒をハッキリさせた答え方」ではなかった。

その後にあった報道では、中国の要人が我が国に向かって「貴国はどちらの陣営に属することを考えているのか」と問いかけるような発煙をしたという件があった。私には一瞬、この問い掛けが安倍総理の記者会見の際の外国人記者の質問に乗じたのかと思わせられた。この高圧的な問い掛けの意図を考えて見れば、中国が誰が何と言おうと台湾は我が領土というのと同様に、我が国の民度の高さと経済力と工業力を考えれば、喉から手が出るほど自分の物にしたいと意図しても何ら不思議はないと思うのだ。しかも、地理的にはアメリカよりも遙かに中国には近いのだから。

私はここまで論じてきて中国というか習近平というべきか知らないが、彼らの企みは火を見るよりも明らかであり、我が国がどのように対処するかなどは考慮するまでもないことだと思う。そういう時期にあって、国会で何とか協議会がおかしいの何のと野党が騒ぎ立てている暇などないはずだ。トランプ大統領がWHOから脱退するとの声明を発表された以上、直ちに追随して我が国が何れの陣営にあるかを明快にして何処が悪いのかと言いたいのだ。ウイグルやチベットがどうなっているかは我が国で誰もが承知しているはずだ。旗幟を鮮明にすべき時が来た思っている。