新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月29日 その2 新宿区民は不安なのだ

2020-06-29 15:12:25 | コラム
東京都の感染者数は増加の一途:

非常に遺憾なことに我が新宿区は、この期に及んで増加する一方の東京都内の感染者の中でも、世田谷区を抜き去って断トツの累計で660人に迫る第1位なのだ。しかも、新宿区には小池都知事が君臨されている都庁があるだけではなく「夜の街」とかで「接客を伴う飲食業の牙城である、感染者を続々と産み出している歌舞伎町まで抱えている」のだ。事情通によれば、その夜の街・歌舞伎町で働いている者たちはその圧倒的多数がここ百人町というか近隣に住んでいるのだそうだ。良く考えなくとも、日頃から十分に注意して行動せねばならないことは明白だと思わせられる。

東京都内では小池都知事の発案で「ステップ」だったかが3段階だったかのロードマップが設定され、その状況次第で「東京アラート」なる何のことだったのかと、何名かの専門家が疑問を呈した「警戒警報」が発令され、レインボーブリッジを赤い電飾で飾って見せたのだった。だが、私が不勉強だったのかあるいは都知事が何ら具体的な警戒の詳細を発表されなかったのか定かではなかったが、「アラート」が出たら外出禁止するとか、得意の英語擬きで“Stay home”せよとの具体的な指示はなかった。そして全て解除したと思えば、若者までを巻き込んでこの感染者の著しい増加傾向だ。

一方では事前に何らの相談も予告もなしに専門家会議の廃止を記者会見で語ってしまった西村康稔担当大臣は、「現状では緊急事態の再発動は考えていない」と語ったし、専門家会議の件では「言葉が足りなかった」と反省して見せた。だが、今やこれまでのように「専門家会議に諮問して」が出来ないだろうから、せめて小池都知事でも呼びつけて「チャンと制圧対策を立てよ」と言うくらいの大臣の地位の重みを見せても良くはないのか、大臣なんだから。

私が見る限り、西村氏の顔付きというか表情は日増しに厳しくなってきて、この未曾有の難局に如何にして対処すべきかという苦労のほどを如実に示していると思っている。私はこの人物を小利口であり上ばかり見ているとして評価していない。特に何かと言えば「専門家会議」を利用するか、その所為にしようとする小狡さには嫌悪感すら覚えていた。だが、結構なことに、彼が如何に責任回避の言動ばかりしていても、小池都知事が無意味なカタカナ語を連発しても、我が国は事新型コロナウイルス制圧対策に関しては、世界でも群を抜く好成績をもたらしていたのだ。

「気を緩めるな」という非難を浴びたことを言ったのは西村康稔担当大臣だし、空疎なロードマップを案出したのが小池都知事だ。小池都知事の場合には彼女の対策が功を奏したのではないと私は見ている。だが、都内の感染者が右肩下がりだったという時期も確かにあった。そこに選挙が迫ってきて都知事は連日のようにテレビに登場して誇らしげに何かを語っていた。しかし、ウイルスはそれほどお人好しではなかったようで「小池都知事さん。気を緩めても良い時期ではありませんよ」と言わんばかりに、浮かれている20~30歳台の若者に牙をむいて食い付き始めたのだった。

実は、私はずっと安全策で3月から休会にしてきたスポーツジム通いを7月から再開しようと、手続きをした途端に50人超えの感染者がこの近所の夜の街を中心に急増したのである。何も都知事の責任であるとまで言うつもりはないが、彼女も好い加減に目を覚まして「どうです。私はインテリで英語を良く承知しているでしょう」と言わんばかりのカタカナ語の乱用を謹んで、しっかりと感染症対策に取り組んで欲しいのだ。小池百合子さんも「この世には自分の正体を見破っている都民もいるのだ」と悟るべき時が来ているのだ。


我が国のマスコミは未成年と熟年者の活躍が好みのようで

2020-06-29 09:58:18 | コラム
藤井聡太七段が棋聖に王手:

兎に角、テレビも新聞も挙って藤井聡太七段がタイトルを獲得するだろうと大盛り上がりである。私に言わせて貰えば、対局中の昼食に何を頼んだかまで写真入りで報道するのは空騒ぎでしかないと思う。彼等の好みは何も将棋に限ったことではないが、年端も行かぬ子供たちが大の大人を尻目にと言うか、大人を退けるのが大好きなニュースであって、何が何でも優先して報道してくれるのだ。長幼の序が重んじられ、企業の世界では未だに年功序列が生きている我が国にあっては、彼等にとっては「下克上」はとてもおいしい話題のようだ。

私は何も未成年が大人や老人を退けることに興味がない訳でもないが、我が国には古くからの言い慣わしで、神童が「二十歳を過ぎればただの人」というのがある。現にそういう例は枚挙に暇がないほど出ていた。それでも彼等は懲りずに、未成年の台頭を取り上げて賞賛するのだ。藤井聡太七段の場合は順調に来ているのだし、棋聖の他にも挑戦権を取りそうなので尚更だ。私が不思議でならないことは、彼等は未成年を褒め称えるが未だ嘗て「負かされている大人がだらしがない」という類いの報道はしない点だ。「子供に負けて悔しくないのか」と何故訊きに行かないのだろうか。

そうかと思えば、彼等はスポーツの世界でも40歳を過ぎても一向に本格的に衰えることなく、現役の第一線を維持している選手を褒め称えるのも好みのようだ。昨夜もNPBの野球を見ていると現役最高齢の43歳の投手が中継ぎで出てきたら矢張り礼賛だったし、彼の他にも40歳超の選手の一覧表まで出てきた。私は何も彼等を引っ込めろとは言わないが、そういう年功経験豊かなプロの野球としては高齢者にレギュラーの地位を取られている若手が不甲斐ないという論調の方を待っているのだ。例に挙げては悪いが、何時まで経っても福留が出てくる阪神には魅力を感じないのだ。

ここで目をアメリカに転じてみよう。私が思ってもいなかった転進をした1970年代の初期には、かの国には“Forty out”という言い方が普及していた。この意味は「企業の幹部を目指すならば、40歳にしてそこに至っていない者は去れ」ということだった。現に、私が42歳で転進したウエアーハウザーでは、CEOのジョージに次ぐ#2の地位にあった上席副社長は私と同年齢だったが、その地位に到達したのは36歳だったそうだ。ジョージの社長兼CEO就任は39歳だったと聞かされていた。凄い世界に来てしまったのだと驚かされた。

私が何度か生涯最高の上司と称える副社長兼事業部長は州立大学の4年制を出ただけで、言わば別会社の地方の工場から引き上げられた上に大抜擢されて本部長に就任したのが39歳だった。MBAでもない者としては異例に近い出世だった。副社長に任じられたのは42歳だったが、当時のアメリカに広まっていた物の考え方では「遅い出世だ」となってしまうのだった。別な見方をすれば、Ivy League等の私立大学でMBAを採った者たちが採用されてきて、30歳台で俗に言う「スピード・トラック」に乗ってドンドンと出世していく世界だった。

そのアメリカが当方がリタイアした1990年代半ばとは異なる雰囲気が醸し出され始めているようなのだ。確かにGAFA等の創業者は若くして成功して名も為したし材も為したが、政界では70歳を超えたトランプ大統領が出現していたし、来たるべき11月の大統領選挙に民主党から打って出るジョー・バイデンは既にして77歳である。我が国のマスコミが「ようこそ、出て下さいました」と称えそうな高齢者であるが、今までの所では年齢をそれほど話題にしていない。

私は新型コロナウイルスにこれほど世界中が掻き回され混乱させられ、あまつさえ変化を強制されているかの感が濃厚なこの時代に、何十年も前のAIもなくデイジタル化もされていなかった時代の高齢者が出てくるべき時かという気がしてならない。その点では我が国の安倍総理の後継者候補として取り沙汰されている政治家たちは皆が60歳台に入っている。思い切っていえば「過去の経験が物を言える時代ではないときに・・・」なのだ。東京都知事の選挙に打って出た有力される候補の一人がやっと46歳である。往年のアメリカだったならば「アウト」の年齢なのだ。