新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「日本人には珍しい」と言われた

2022-07-15 08:52:37 | コラム
日系アメリカの高齢のご婦人に言われた:

一昨日だったか、高田馬場駅前のバスの停留所でベンチに座ってバスを待っていると、隣に座られた2人の高齢のご婦人に「暑いね」と話しかけられた。少しアクセントがおかしいので、何処かの外国人かと思った。彼ら同士では明らかに日本語ではない言語で語り合っているように聞こえた。そこで、敢えて「何処の国から来られたのですか」と尋ねてみた。答えは意外にも「ハワイです」だった。

そこで、「それでは英語で話す方が良いのですか」と話しかけてみると「そうです」と言われたので、「英語なら話せますよ」と英語に切り替えた。暫く世間話をした後で「何故英語が出来るのか」と訊かれて簡単に説明した。すると、今日までに2度ほど言われたことで「日本人で英語が話せる人は珍しい」と来た。私はこれが決して褒められているのではなくて、日本人が蔑まれているのだという解釈している。しかも、この時はアメリカ国籍であっても、日系人に言われたのだ。

念の為に確認しておけば、私は生活の糧を稼ぐためにアメリカの会社に転進したのであり、何も英語が話せることを売り物にしたのではない。英語は偶々戦争が終わった直ぐ後に母親が「これからは英語が出来なければならない時代が来る」と言って、GHQの秘書だった方に「息子が英語で話せるように教えてやってください」と、学校での勉強とは別に個人指導して頂いたお陰だ。

だが、我が国の学校教育では英語を科学として教えるが、そこでは「話せるように育てようとしていないのだから、話せるようにならないのは当然だ」と、高校の英語教師が公開の席で明言されたのを聞いた。即ち、英語は数学や社会と同様に一つの教科であるので、自己を表現するための道具としては教えられていないのだ。それを知らない外国人に「日本人は英語が話せない」と批判されるのは見当違いで不当なのではないか。これが私の見解である。

それから10分ほどバスの中で語り合った。私としては2年振りの事で、15分近くも英語で話したのだった。その為に、とても在職当時ほどには上手く自分の思う所を格好良い英語には出来なくて、もどかしい思いだった。そこで、別れ際に「私の英語力は最早長い間使う必要がなくなって衰えてしまい、取り戻せないので」と言おうと思った。そこに浮かんできたのが、Eric Dolphyの名盤“Last Date”の終わりに吹き込まれていた下記の台詞だった。

“When music is over, it’s gone into the air. You can never capture it again.”

それをもじって“Sorry. My English ability is gone into the air over the time. So, I can never recapture it.と口から出てきた。ここで是非誤解無きようお願いしたいことは、英語をひけらかそうというのではなく、何か何時か役に立ちそうな表現をなるべく沢山覚えておけば(沢山の単語を覚えておくことではない、念の為)、ここぞという時に出てくるものだという点なのだ。

私は長い間ジャズを聴き続けてきたが、前衛派のドルフィーのアルバムはこれしか持っていなかった。しかし、そのお仕舞いの所に出てくるドルフィーの表現に興味を感じたので覚えていたのだった。それが、数十年経った後でも出てきたのだった。強調したいことは「単語をバラバラに覚えておくのではなく、こういう風に使うのだという事。即ち、文章として流れの中で覚えておくと良い」なのである。“capture”などという単語は滅多に使う機会など訪れないのが、ここで使えたのだ。