新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

KDDIの通信障害に思う事

2022-07-04 08:33:37 | コラム
スマートフォン包囲網が暴き出した問題点:

我が国のディジタル化:
時代のディジタル化とはほぼ完全に無縁な世界で暮らしている、ディジタル・ディバイドの当方には「何がそれほど重大な問題なのか」と思わせられたKDDIが引き起こした通信障害がこれほど広範囲に悪影響を与えたとは、将に想像も出来ないことだった。2日間も復旧できずにいると報道されても「それがどうしたの?」という程度のこととしか捉えられなかった。

だが、昨日のニュースを見ていて「そういう事だったのか。私が嘆いてきた“スマートフォン包囲網”がかくも広い範囲で、多くの人に迷惑をかけることになるのか」と、寧ろ感心さえしていたのだった。例えば、宅配便を配送して回る個人事業主がおられて、営業上で少なからぬ損害となるとは、ディジタル・ディバイド世代の理解を超越していたのだ。

私はディジタル化の推進に熱心だった菅前首相でも「全ての国民は可能な限りスマートフォンを持つようにして、ディジタル化の普及と発展に協力して欲しい」と要請されたとの記憶はない。だが、国が推進されようとする多くの処置というか仕組みには、スマートフォンが基本的な器機に(密かに指定?)されていたのだった。そこで、当方も負けじとばかりに昨年10月にドコモからの提案もあり、思い切ってらくらくスマートフォンに切り替えた。

ところが、多くの新機軸のシステムには韓国製だか何だか知らないがLINEが基調になっていて「これを使う為にはLINEで友達登録をして」などと出てくる。こっちは古式豊かな折り畳み携帯電話を、出先から家内に「これから帰ります」と連絡する程度の為に切り替えたのだ。同じ時にマイナンバーカードも取得したが、その取得に伴ってくれるというマイナポイントとやらは「何とかpay」に付与されるらしいのだが、そのような支払い手段を採り入れる気には未だなっていない。

このように、当方はドコモのスマートフォンなので、KDDIが何を引き起こそうと、何ら関係はない。だが、スマートフォン包囲網は私如き時代遅れの超後期高齢者の想像が及ばない領域まで拡大されていたとは、我が国のディジタル化は菅前首相の目論見通りに進んでいたではないかと、唯々感心している。マスコミも中国や韓国に遅れているなどと自虐的なことを言うなと言ってやりたい。

経営者の威厳がある風貌:
視点を変えてみよう。今回の障害発生を詫びる記者会見で初めてKDDIの高橋誠社長のご尊顔をテレビの画面を通じて拝する機会を得た。私は予てからNHKの故大谷英彦氏が唱えておられた「顔相学」を信奉しているので、我が国の大手企業の経営者たちが色々な機会にテレビに登場される時にその「顔相」を興味深く見つめている。

私は現代の多くの社長や会長さんたちは、故松下幸之助氏とは違って自分が創立して資本も投じておられる会社の経営をしておられる訳ではなく、単なる経営担当者である方が多いのだろうと見ている。多くの場合に有名校を優秀な成績で卒業された就社された優秀な方々だろうと思っている。だが、それ故に「大社長」か「大創業者社長」のような風貌の方が少ないように思える。

KDDIの高橋誠社長は、私が感じた所では、この期に及んでも理論的な謝罪の言葉を並べられただけで「利用者その他の損害を受けたであろう方々に向けて真剣に誠意を込めてお詫びしよう」という気迫が全く感じられなかった。言わば「詫び馴れていないな」なのだ。「自社の歴史として最大の障害」などと、まるで余所事であるかのようだった。

高橋社長は経営を担当しておられるだけかと感じた。私にはさぞかし学生時代には学業成績優秀な方だっただろうと思わせる白面の貴公子のように見えた。だが、自分の家業を経営しているような本当の経営者に見られる迫力が感じられなかった。私には近頃の経営担当者によく見られるような社長さんの如くに見えた。

余り例には挙げたくないが、つい先頃確か97歳で亡くなったジョージ・ウエアーハウザー氏のウエアーハウザー家4代目の当主で、ウエアーハウザー社8代目のCEOであり、ウエアーハウザー社を木材会社からアメリカ第2の紙パルプ林産物会社に育て上げた、凄まじいばかりの迫力ある風貌は「経営者だな」と感じさせてくれていた。

自家の事業を経営するのだから、迫力が出る顔付きになるのは当然かも知れないが、単なる経営担当者ではない威厳を感じさせてくれていた。私がここで言いたいことは「社長や会長さんたちは単に秀才が会社の経営を担当するのではなく、近くに近寄るのも怖いくらいの威厳を持つ経営者となって、社業を繁栄させて、社員の給与を十分に遅滞なく上げられるようになって頂きたい」のである。

そこまでの域に達して「威厳ある風貌」になって貰いたいと願っている。何も「怖い顔になって下さい」と願っているのではない。経営能力を一層高めて、実績を挙げて貰えれば、風貌は自ずと付いてきて経営者としての威厳が出てくるのではないのだろうか。