年俸制に切り替えを提案したら如何か:
不届きな所業があったとかで自民党を離党した後で所在不明となった吉川赳議員にも期末手当(賞与?)の286万円が支給されるとあって、マスコミが例によって不要ではないかと騒ぎ立て、地元民にも支給の必要はないなどと言わせている。「またか」と思わせられる無用な騒ぎ立てではないのか。
マスコミは毎回同じような論陣を張るか、不届きな議員を責め立てて、如何にも正義の味方面をするのをいい加減に止めて、国会議員に支給される歳費の在り方を変えるべしとの主張をしたらどうかと言ってやりたいのだ。現在の取り決めであれば、その議員が如何なる過ちを犯そうとも、支給は止められないのではないか。
彼らはそのくらいは承知しているはずだから、地元民にそのような国会議員を非難するようなことを言わせるのではなく、「彼らのような者を選んでしまった不明を如何に反省するか」くらいの突っ込みでも入れたらどうかとすら思っている。
私は「何らの功績もなかった議員にも、大活躍の議員と同様に期末手当を支給できるような制度を廃止して「年俸一本制」に変更しさえすれば、このような無用な雑音を入れなくとも済むのではないか」と「年俸制」を提案したい。国会議員にも民間と同様に「賞与」(そういう制度なのだろう)を支給するのがおかしいのだと見ている。
私は1972年から年俸制の国の企業に転身したので、ボーナスとは無縁になっていた。だが、言ってみればこれは一種の別な扱い方で、アメリカの本社機構に所属する者たちはその実績次第で年俸に上乗せさせる形で、社長から“bonus”が支給されるようになっていた。このボーナスは選ばれた者だけのことで、社内でも誰が選ばれたかは解らない仕組みになっていた。
故に、支給対象に選ばれそうな者たちは一所懸命に働くのである。そういう国の者たちからすれば、我が国の会社員たちのほぼ全員がボーナスを支給されると知って「全員が、か?」と驚愕するのだった。これも文化の違いである。アメリカのサラリー制の社員たちは皆年俸一本だけで、諸手当などない世界で過ごしているのだ。
話が逸れてしまったかも知れない。私がマスコミに向かって主張しておきたいことは「何時までも、一般人に迎合するような国会議員への期末手当支給を非難するのではなく、より建設的に制度の改革を提案したらどうか。文通費でも君らが世論を煽って騒ぎ立てたら多少の変更を余儀なくさせたではないか」なのだ。