新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本国とその国民を骨抜きにする教育制度

2022-07-19 16:35:32 | コラム
憲法改正だけで良いのか:

安倍晋三元総理が不幸にも不運にも凶弾(私は凶弾とした)に倒れられてしまったので、私はこれから先に岸田総理以下がどれほど安倍元総理の遺志を引き継ぎ、且つ参議院銀選挙の勝利を追い風にして、憲法改正に邁進されるかに大いなる関心(と期待)を持っている。私の持論は「憲法改正を議論すること事態が無駄である。最低でも改正、全面的に書き直しても良い」なのである。

だが、それだけでは嘗ての進駐軍に陰に陽に、裏に表に我が国とその国民を骨抜きにしようと企んだ、教育の手法と教育制度の改悪をも徹底的に是正する必要があると信じている。私が今日までに何度か二十歳台の人たちに「私は旧制中学に入学して云々」と語りかけると、怪訝な顔をされてしまう。そして「キュウセイって何ですか」という質問が飛んでくる。

そこで、私は昭和20年(1945年)5年制の中等学校に入学した。その終戦前までは、その先に3年制の旧制高等学校ある。此の高等学校では多くが全寮制であり、そこに天下の秀才たちが集まって切磋琢磨して良く勉強し、知性と教養を磨き、そして旧制の大学に進むのだった。言ってみれば当時の英才教育だった。

我々はその旧制高等学校に憧れて、日夜勉学に励んだのだった。又、当時は中学校の4年と5年からは海軍兵学校と陸軍士官学校に進学できて、将来の軍幹部が養成されていたのだった。陸軍幼年学校には中学2年から受験できていた。私は終戦時に中学1年制だったので、幼年が校にも海軍予科兵学校にも届かなかった。

所が、中学校3年が終わる3月のことだった。突然、3年生全員が講堂に集められた。何事かと思えば、校長先生が「学校制度が変わって来月から此の学校は新たに神奈川県立湘南高等学校になる。君たちはその新制の高等学校の1年生になるのだ。従って、君等はその新制高校に併設された湘南高校併設湘南中学校を、本日を以て卒業するので、これより卒業式を行う」と来たのだった。一同呆気にとられるというか、俗っぽく言えば「狐につままれたよう」な感にとらわれていた。

そして、良く事態を把握できていないままに、4月から高等学校生になってしまった。だが、その高等学校は中学入学前に憧れていた、当時の表現である「弊衣弊帽」で今時こんな事を言っても通じないだろう「金色夜叉」に出てくるマントを羽織り高歯の下駄を履いて歩くこともない、先月まで通っていた中学の延長の場で勉強するのだった。

話はこれだけに終わらなかった。それは、新高等学校1年生に配布された新しい教科書の内容を見た一同は「何だ、これは。我々を馬鹿にしているのか」と叫んだのだった。叫ぶ理由は「その内容が全ての教科において、中等学校の3年までに勉強してきたことよりも遙かに易しいというか、程度が低くなっていたから」である。要するに「これらの何処が鳴り物入りの新制高等学校で教えることか」との疑問と憤怒の表現だったのだ。

大体からして、後に知り得たことで如何にも新鮮な制度の如くにマスコミも持て囃した「六三三制」即ち、小学校が6年、中学が3年、高校が3年という制度は、その時の進駐軍で教育を担当していた者の出身のアメリカの一州における制度をそのまま押しつけたのだった。何れにせよ、種々雑多の人種と民族が集まっているアメリカの子供たちを学ばせている制度を持ち込んだのだった。

私はこれまでに何度も嘗てのUSTR代表だったカーラ・ヒルズ大使が「アメリカの労働力の質の向上のためには、初等教育の充実と識字率の向上が絶対必要」と公開の席で認められた、アメリカの民度に合わせた教育制度を我が国に持ち込んで、何とかしてでも日本国民の民度(程度でも良いか)を下げようとした作戦だったとしか考えられないことだった。彼らはこのようにして「旧制高等学校」を排除したし、旧制帝国大学をも葬り去ったのだった。

このような進駐軍の日本国と日本国民骨抜き作戦を褒め称え、軍国主義を悪し様に罵っていた報道機関があった事も忘れてはなるまい。そのような報道機関は、当然のように憲法改正に反対し、それを推進された安倍晋三元総理の足を、ことあるごとに引っ張ったのだった。私は現在の報道機関の連中は、そのころの骨抜きを目指した教育制度の下で育ったのだから、あのような姿勢というか精神から抜けきれないのだと思っている。

矢張り、憲法だけではなく教育制度の改革も必要な気がするのだ。私は中学と高校で3年ずつぶつ切りにする制度は教育の一貫性が欠ける気がしてならないのだ。元に戻したい気がする。ある旧制高等学校ご出身の財界人は「旧制高等学校は残して置くべきではなかったか。あの学校で切磋琢磨した3年間の勉強は人生における貴重な経験だった」と、しみじみと回顧しておられた。