新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が考えるカタカナ語の問題点:

2022-07-06 07:31:32 | コラム
何故カタカナ語は誤用され濫用されるのか:

 私は我が国の学校教育の英語の問題点の一つとして長い間「単語を覚えることを重視していることは好ましくない。単語はその意味を記憶するだけではなく、文章乃至は会話の流れの中でどのように使われているかを理解せねばならない」と指摘してきた。

しかしながら、ただ単に意味だけを丸暗記した事の副産物として、その単語の代表的な意味だけを覚えたので、屡々「単語だけを並べたら外国人に通じた」というような情けない英語力が養われたのだった。しかしながら、我が国の学校教育での英語で育てられた人たちの読解力はかなり高い水準にまで達していると見ている。言葉を変えれば、寧ろ私如きを超えている領域に達しておられると思う場合が多々ある。

単語丸暗記の副産物はそれだけではなかった。その蓄積された知識を何処かで誰かが無闇矢鱈にカタカナ語として使うようにもなってしまったのだ。このような私に言わせれば好ましくない流れに加えて、テレビに登場する人気が高い芸人やタレントどもが「これ見よがし」じゃなかった「これ聞こえよがし」(?)に奇妙なカタカナ語を使って「如何にも教養があり、英語に精通しているかのように振る舞う」のだった。

それを見聞きしたミーハー族は彼らタレントが使うことでもあり、「良いことを覚えた」とばかりに誤解して真似をして無定見に使うようになった。テレビ局も負けずに彼らに迎合して野放図にカタカナ語を濫用するようになった事等々が、今日までのカタカナ語の濫用というか、粗製濫造の切掛けにもなっていると見ている。

 これだけでは何らの説明になっていないので、濫用/誤用の実例を挙げてみよう。つい先頃にも、テレビのニュースの登場した外飲食店のチーフが、失礼!代表取締役だった、「うちは~をメインにしているので」と語っていた。このように“main”という単語はカタカナ語化して「主に」か」「主として」の意味で猫も杓子も使うようになってしまった。

これなどは「単語の代表的な意味だけを暗記しただけ」の典型的な悪い例なのである。「悪い点」は「mainは形容詞であり、必ず名詞の前に持ってくることが原則なのである」を綺麗サッパリと無視していることなのだ。即ち、“the main street”や“the main gate“や「当店の主たる料理は」のように使われるべき単語なのだ。但し、「メインバンク」は恰もその原則に従っているかのように作られているが、英語で“main bank“というと「日本銀行」か“FRB“のことだと思われてしまうので、要注意だ。

ここでもう一つ、英語本来の意味とは異なった使われ方がされている例として「ケースバイケース」を挙げておこう。これは、英語では“case-by-case”であり「個別に」とか「一件ごとに」を意味していて“It depends.”のように使われている。例えば、「そこには徒歩で行きますか、電車にしますか」と尋ねられれば“It depends on the weather.”のように言うのであり、“Case by case.とはならないのだ。

だが「ケースバイケース」は「時と場合による」の意味で広く使われている。私が昭和30年(=1955年)に新卒で就職した頃には、社内では既に「ケースバイケース」を使う上司がおられた。このように「言葉の誤用」としての歴史は古いのだ。

このような誤用の他の例も挙げておくと「ウイン・ウイン」がある。この“win-win“も次に名詞が来るのが原則なのだ。例えば“a win-win situation“のようになるのだ。言いたくはないが、安部元総理はこの「ウイン・ウイン」のフレーズがお好みだった。私が問題にしたいことは「単語とフレーズはその遣い方を流れの中で覚えるようにすること」なのだ。

「メイン」などの使われ方は未だ意味を正しく覚えているから良いかも知れないが、中には全くの誤用になっている例もあるので困るのだ。例えば、“stress”=ストレスがある。これはウイルス感染の防止策で不要不急の外出をしないように要請された結果で、欲求不満となってしまうのだった。それを何処かで誰かが如何にも英語通の如くに格好を付けて「ストレスが溜まる」と表現したのだった。それを聞いた正しくstressを覚えていなかった者たちの間に普及して「ストレスだ、ストレスだ」と言うようになってしまったのだった。

“stress”とはジーニアス英和には「精神的・感情的な緊張、圧迫、圧力、重圧」とある。Oxfordには“MENTAL”として“pressure or worry caused by the problem in ~’s life”とある。「こういう圧力や心配頃が外出を禁じられると貯まるのか」と考えれば、言葉の誤用であることは明白だ。明らかに“frustration”即ち「欲求不満となる」の間違いであろう。私は在職中に多くの問題を抱えて精神的な重圧に苦しめられていた時期があった。その辛さで全身が凝っていたし、頭痛に悩まされていた。本部の人たちには「ストレスに悩んでいる状態」として知られて、同情もされていた。明らかに“frustration”ではないではないか。

「トラブル」などは誤用という範疇に入れるのではなく「濫用」としたいのだが、これについては何度も「おかしい」と指摘してきたので、ここでは触れない。代わりに「メリット」と「デメリット」を挙げておこう。

“merit”は、ジーニアス英和には「長所、利点、(賞賛に値する)美点。◆日本語のメリットはadvantageに当たることが多い」とある。ここまでで言葉の誤用乃至は勝手に転用したと判明する。即ち、英語の単語の意味の誤解であり、誤用である。遺憾ながら、猫も杓子もと言うか遍く国中に広まって使われてしまっている。ジーニアス英和には良い例文が出ていて“Email has its merits and demerits.”とあった。「長所も短所もある」と言っているのだ。なお、demeritという単語の発音は「デイーメリット」となる場合が多いのも、ローマ字読みした欠陥が出ている。

 未だ未だ「ローマ字読み」による弊害なども取り上げて論じたいのだが、これ以上論じ続けていると「何を指摘したいのか」の焦点が定まらなくなる危険性があるかと思う。ここまで論じてきただけでも、「我が国の単語重視の英語教育から派生する問題点が多いのだ。その一つがカタカナ語の乱造である」とご理解願えれば幸甚である。

なお、上記は2021年11月10日に発表した「カタカナ語の問題点」を基調にしたものである。