新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月14日 その2 岸田さん、頼みますよ

2022-07-14 10:02:22 | コラム
あの時の総理が菅直人だったのが・・・:

これまでに何度か、あの安倍元総理が言われた「悪夢の3年半」の最後の総理大臣が菅直人だった。敢えて失礼を承知で、彼に対しては敬称を省略している。つい先頃も岸田内閣が「節電をお願いする」と要請してきたときには「そんな事を言う前に、菅直人を連れてきて『あの時の失政と失態をお詫びします』と言わせるのが先だ」と指摘した。私の脳裏には常に何事につけても「菅直人総理の大失政」が浮かんでくる。同時に、彼を選んだのは我ら国民であるとの反省は忘れない。

マスコミ論調を見ても「安倍晋三元総理亡き後の我が国の政治には不安がある」と言っているかの如き印象がある。私は安倍元総理がおられなくなった後に、岸田文雄総理がどのように振る舞って行かれるかについては、非常に興味と関心と不安感がある。

それは、安部元総理が健在だったときには、岸田文雄総理とその内閣に対する重石であったし、相談役と、助言の提供と、方向是正の役を務めておられるのだと思っていた。だが、報道によれば、岸田文雄総理は自前の道を進もうとされる方向を目指しておられ、安倍と菅内閣の継承と言うよりも独自色を打ち出す意向が顕著になったようである。それはそれで結構だが、問題は方向と手法である。

即ち、これまた報道によれば「防衛費をGDPの2%に持っていくことを、安部元総理の提案に反して「即刻ではなく5年以内」と表明された」とか、「防衛事務次官を安倍氏の要請に反して別人の起用に踏み切った」等々がある。確かに、一国の総理大臣が一々前任者の意向に従っている訳には行くまいというのは理解できる。但し、「現在の総理の方針が正しければ」なのだが、その判定は現時点では決めようがないのだ。

岸田氏は「検討使」だの「専門家に諮って」等々の慎重居士のような表現が多く、言われることの殆どに具体性がないのが特徴であり、疑問点のようだ。だからと言うか何と言うか、これまでに大きな失敗のような事案もなければ、目が覚めるような凄いことを成し遂げられた訳でもない。言い方は悪いかも知れないが、ここから先は、安部元総理からの助言も介入もない荒野に、真っ向から自らの足で踏み入れられるのだと思う。

そういう時にあって、慎重に検討されようと専門家に諮られようと、後で「あの時に先達が不在となったときの岸田さんは・・・」と後ろ指を指されること無きよう、慎重さも時にはかなぐり捨てて、未曾有の難問山積の国内と世界に突き進んで頂きたいものだ。肝に銘じて貰いたい事は「安部元総理は内閣改造される度に大臣の質が低下したこと」なのだ。


「半旗を掲げる」って何の事

2022-07-14 09:19:57 | コラム
首相官邸が掲げたのが遅かったとは:

何処かの外国よりも官邸が半旗を掲げたのが遅かったと、ある新聞が批判していた。「何をやっていたのかな、岸田さんは」と思いたくもなる。

とは言ったが、ここでは岸田文雄総理の批判をしようというのではない。“half-mast”を「半旗を掲げる」と先人が訳したのは、滅多にない下手な表現だと思うのだ。恐らく、元の英語である“half-mast”を苦心惨憺して訳されたのだろう。だが、「半旗」と言われると、私は当初は「半分の大きさの旗を掲げること」か、と思ってしまった。しかも、half-mastという表現を知ったのも、1972年以後にアメリカに行くようになってからのこと。

彼らはmast、即ち「帆柱」の高さの半ばに旗を掲げて弔意を表すと知ったのだった。決して「半分の大きさの旗」のことではなかったのだ。だが、「半旗」ではどう読んでも「半分の大きさ」としかなり得ない。我が国には翻訳の名手が方々におられるのだと思っている。私が常に批判してきた例に“United Nations”を忖度して、何処にもinternationalとはなくても「国際連合」にしてしまった。何かに懸命に阿っているとしか見えないのだ。しかも、略語は「国連」と来た。

彼乃至彼らは“Security Council”を「安全保障理事会」とし、マスコミ(なのか?)は「安保理」という略語も創造した。Permanent Memberが「常任理事国」というのも「上手い!」を越して凄いと思っている。それほどの能力がありながら、「半旗を掲げる」はないだろうと言いたい。そう言う以上、何か実態に即した訳語を考えてみたが「半分の高さに国旗を掲揚する」以外には浮かんでこなかった。力不足だと反省。

話を元に戻せば、官邸の方が遅かったというのは、矢張り腑に落ちない。松野官房長官が「国葬」に否定的なことを言っていたのは、安部元総理に対して何か含むところでもあるのかと疑いたくなるが、あるはずがないだろう。もう少し上手い言い方が出来なかったのかと感じた。だが、松野氏が眼鏡は何時も替えて出てこられるのが印象的だ。