安倍幸恵夫人がどれほど心身共に耐えておられるだろうか:
私は安倍幸恵夫人には心の底から同情申し上げていると共に、どれほど心身共に疲労されているだろうかを思う時に、何とも言えない気持ちになる。
「およそ、そんな事はあり得ないだろう」というような、暴漢に遙か奈良の地で狙撃され、心肺停止と聞かされて、急遽8時間もの強行の自動車の旅(「ドライブ」というカタカナ語を避けてみた)で現地に向かわれ、何とか安倍晋三氏の最後に間に合われた。そして、その翌日には霊柩車と見えたメルセデスベンツでまたもや長時間車に乗られてのご帰館では、心身の疲労は極限に達していただろうとお察し申し上げている。
しかも、ご苦労は安倍晋三氏のご遺体と共に帰宅されただけではなく、その直後から岸田文雄総理や小泉元総理を始めとする我が国としての最高の要人たちの弔問をお受けになっているのだ。ご心労というのか何と表現して良いかも解らないような、極めて辛い立場におられるのだと思う。
私は昭和12年12月の4歳の時に、当時として極めて珍しい交通の貰い事故により45歳で亡くなった父親が自宅に帰ってきたときの事を、本当に朧気に記憶している。母親は取り乱してはいなかったようだった。昭恵夫人のご心労はあの時の母よりも遙かに苛酷なのではないかと見ている。
言いたい事はここからである。それなのに、マスコミ(テレビ報道でも良いだろう)高速道路を走っている車を撮すとか、何時頃に富ヶ谷に到着するだろうとかいう類いのことをここを先途と報じている。私は「これでは昭恵夫人のご帰宅は恰も芸能ネタであるが如きで不謹慎だ」と思っていたので、殆ど見ていなかった。
彼らは、ここまで私が取り上げたような昭恵夫人のご心労をお察し申し上げたらどうかと思っていた。また自分の経験を言えば、車の運転をしない私でも、アメリカにいれば長時間の車での移動は日常茶飯事である。それでも恐らく最長の距離と時間ではシアトル市内から250kmほど離れた工場を一日のうちに往復したくらいである。幸恵夫人の片道8時間などは想像も付かない身体的負担であろうと思う。これを伝えないマスコミは浅慮ではないかと非難したい。
しかも、昭恵夫人と安倍家にとってはここから先に未だ未だ数々の行事が待っていると思っている。私は報道する者たちには、その辺の事情は十二分に解っているとみているので、十分に諸般の事情に気を配って報道して貰いたいものだと思うのだ。