近頃気になる事:
行動制限:
「病床が逼迫ならば」と、後藤厚労相が記者会見で語られたと報道された。条件付きの行動制限だった。「何だかなー。それではまたもや後手ではないかな」と感じた。菅前首相以来「経済を回す」というか「回そう」とする方向に傾いているようだ。だが、既に野球でも相撲でもサッカーでもラグビーでも観客席は満員御礼状態だ。現代の若者には通用しないだろう言葉で言う「流行歌手」のコンサートやツアーは花盛りの感がある。
現実には、複数の相撲部屋は集団感染(「クラスター」なんて言わないよ)が発生全員休場だし、確か西武、ソフトバンク、ヤクルト等々が10~20名もの監督・コーチ・選手が感染したか濃厚接触者となり、ティームの体を為さなくなって連敗している。東京都では8日連続で1万人超えの感染者が発生している。それでも「病床逼迫ならば」と来た。源から断とうというのではなく、対症療法だと言っているのと同じだ。
飲み屋を制約しようとするのよりもマシかも知れないが、3年経っても未だ対応策が固まって老いない。満員の観客が集団感染の原因になっているかなどは、感染させられる側にいる私には解らない。だが、3回目のワクチン接種が捗っていないというのも不思議な現象に思える。菅前首相は強力に推進されたではなかったか。まさか、前任者の手法は採らないなどとおっしゃるではあるまいな。行動制限でも何でも「慎重に検討」していて良い時期ではないと思うのだが。
国語教育の質が低下したのでは:
私は「我が国では英語が話せないのでと嘆く人が多いが、あれは見当違いだろう」と何度も指摘してきた。それは「我が国は世界でも希な国で、如何なる高度な先進技術だろうと何だろうと、外国語の仲介を不要とするほど自国語で勉強できるような国だから。英語無しでも十分にやっていける」と主張してきた。それは「話せるようにならない教え方をしてきたのだから」なのだが、その陰には「充実した国語教育が必要」だとも信じていた。
ところが、遺憾ながら妙に英語教育熱が盛んになったお陰で、国語、特に漢字の教育が等閑にされている気がしてならない(このソフトは「等閑」ではなく「劣悪」とせよと言ってくるが)。そこに、昨日非常に気になったことがあった。それが競技会(界)からの引退を表明の記者会見で、羽生結弦君が「まだまだ未熟」と言っていたことなのだ。これが言葉というか、漢字を重複して使っていることを認識できていないのが悲しかった。
この手の漢字の意味が解っていない言葉の重複は、テレビで頻繁に出てくる。アナウンサーたちがそういう勉強不足(恥さらしでもう良いだろう)の原稿を躊躇せずに読んでいるのが残念なのだ。他の例を挙げれば「後で後悔する」、「挙式を挙げる」、「後ろから追突する」、「点差は三点」、「奪三振を奪う」という具合だ。私はカタカナ語問題で何度も「英語教師よ、恥を知れ」と指摘したが、ここでは「国語教師よ、恥を知れ」と言いたくもなる。
USTRのカーラ・ヒルズ大使は「アメリカでは初等教育の充実と識字率の向上が必要」と指摘されたことは、繰り返し指摘した。この指摘を我が国の国語教育に当て嵌めれば「識漢字率の勉強と向上に向かって、小学校から国語教育の質を改善していく必要があるだろう」となるのだ。それとも、テレビ局員にあらためて初等国語の勉強をさせるべきか。