「道を知りませんので」:
アメリカで何回も何回もタクシーを利用したが、たどたどしい英語でこう言われたことは何度もあった。あれほど多くの余所の国の人たちが、着の身着のままでアメリカに合法非合法の別なく流れ込んでくるのだから、何とか定着できた後でタクシー運転手になるのは解らないでもない。でも「道が解らない」と言われたことが何回あっただろうか。今回はその辺りを思い出してみよう。
「道を知らない症」に罹った運転手の被害に遭ったのは矢張りシアトルが最も多かった。殆どの場合シアトル市内のFour Hotelから「ウエアーハウザーの本社」と言うのだが、これは約$40と言う彼らにとっては稼ぐ絶好のチャンスなのだが、間違いなく到着できたことは一度しかなかった。それ以外は「道を知りません」で運転もできない外国人の私が道案内していた。英語ができなくても「道を知りません」が言えるのも面白い現象だ。
と言うのも、上述したように英語も禄にわからない何処かからの移民が運転しているのだから、無理もないこと。しかも、我が社は市内ではなくシアトルから40kmほど南のTacoma市(現在はFederal wayに改称)にあったのだから、仕方がないことかも知れない。だが利用する方が良い迷惑で、一度降りるときに腹立ち紛れに「何で道案内した客の俺が料金を払わなきゃならないのか」と毒づいたこともあった。
ここでお断りしておきたいことは「私は車の運転の仕方を知らないので、東京事務所の多くのマネージャーたちのように到着次第空港でレンタカーをすることなどできないのだ」という点だ。これは昭和12年12月に父が数寄屋橋の交差点でタクシーによる貰い事故で命を落としているので、残された母から私と弟に「他人に被害を与えるかも知れない運転だけはしないように」と厳しく言われたから。当時4歳と2歳だった兄弟はその言いつけを守ったに過ぎない。
タクシーの利用は何も本社に行くときだけではない。帰路もある。副社長秘書に読んで貰ったタクシーの運転手は嬉しいことに白人だった。安心して色々と話し合いながら乗っていて、Four Seasonsに行くのだからフリーウエイを降りる場所を間違えないようにと、あらかじめ警告していたにも拘わらず、通過してしまった。次の降り口は遙か北のワシントン大学(UW)になってしまう。でも仕方なくそこで降りて、一般道路で市内見物をしながら都心に戻った。
運転手には「UW見学と市内見物の料金は君が負担せよ。間違えたのは私の責任ではない」と厳命して納得させてホテルで降りた。このホテルには何時でも客待ちのタクシーが沢山並んでいる。2007年9月のある日の早朝に、Amtrakの南行きの列車の乗るのに徒歩30分ほどの「King Station」と告げて乗った。すると運転手は私が解らないとでも思ったか「30分も待ってこれかよ」と呟いたのだった。
そこで「俺だって客だぞ。King Stationが近くてそんなに不満なら直ぐ折り返して俺を下ろして、列の最後尾に並んだらどうだ。それとも、このまま行くか」と詰問した。驚いた表情でおとなしく駅まで行った。これは自慢話ではない。雲助運転手は何処に行ってもいるものだと言いたいのだ。「黙っていれば何をするか解らないのだから、おかしいと思ったら直ちに何か言うことだ」と言いたいのである。
一番凄いと感じた話をして終わろう。それはオレゴン州のポートランド空港のタクシー乗り場で遭遇したこと。そこから我が社の工場までは1時間ほどのドライブになるが、その日は工場では誰の手も空かず「タクシーで来てくれ」となっていた。乗り場には1台いたが、半分ほど席が埋まっていた。運転手が行き先を聞くのでLongviewと答えると「OK.乗りなさい」と言うが、座っても一向に動かない。
そのうちに後2人乗って満員となり、やっと動き出した。運転手は各人の行く先を再確認して近い順に下ろしていき、そこまでの料金を取っていくのだった。これには驚く前に呆れた。乗り合いならば割安になるのかと思えば、全員から満額を取っていくのだ。私の工場が最も遠く最後まで残って、$50か$60だったかを払った記憶がある。これもアメリカ式個人営業だから可能な離れ業だと思う。多の州のことは解らないが。
シカゴでも空港から市内まで1時間近く走るので、空港では沢山の客引き運転手がたかってくる。シカゴに行くときは既に取り上げたFood & Dairy Expoに同僚たちと集団で行くので、一度だけ皆でホテルまで利用したことがあった。ここでは一人ずつ料金を取られることはなかった。
「これぞアメリカ」であり「これもアメリカ」ということを紹介したのだが、どのように受け止められましたか。