新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月25日 電動アシスト自転車普及の裏表

2023-06-25 08:08:34 | コラム
電動アシスト自転車普及の陰には補助金が:

街中で立ち止まって観察すると、歩道を我が物顔で走ってくるかと思えば、車道を堂々と信号無視で走り回っている自転車群の過半数が電動アシスト自転車であると思わせられる。脚力が衰えた超後期高齢者にとっては、天敵だとしか思えない危険な存在である自転車の中で、特にこの電動アシスト自転車を毛嫌いしている当方から見れば、世間には10万円以上もすると聞くあれを乗り回している連中が多いということは、世間には金持ちが多いのかと思っていた。

特に怖いのは若いお母さんたちが座席の前後に子供を乗せて走ってくる100kgにもなろうかという物体である。少子化対策の予算が問題になっている現代に、若い世代がお子さんを2人も持つことは歓迎すべきだとは思えても、高齢者に恐怖感を味会わせるのは甚だ宜しくないと思っている。それにつけても、あの子育て世代は可処分所得が大きいのかなどと考えていた。

ところが、先日のことで子育て世代ではない人がコソ泥に高価な電動アシスト自転車を盗まれて怒り悲しみ「折角ローンを組んで買ったばかりなのに」と言うので、意外なことを聞いたと思った。そこで、この乗り物の価格を調べてみた。案外に幅が広く下は6万円台から上は20万円超もあるのだった。そして、あの子供用シートは別売りのようだった。これをクレディットカード払いにして分割しても、相当な金額になるのではと思った。だから「ローン」なのかとも。

だが、検索していると「何だ。これは」という制度が出てきた。それは、地方自治体によって上限がバラつくか、就学年齢以下の幼児を持つ家庭には、一定の条件を満たせば補助金が交付されると知ったのだった。チラと見た上限が5万円だったので、10万円の自転車を買っても5万円の負担になるのだった。子供を増やさねばならない時代なので、良いインセンティブ制度だとは思うが、コインの裏側は走る凶器を増やしかねないのではないのかなと感じた。

問題はそれだけではないと思う。都会では何処に行っても駐輪場用の土地がないことが問題になっているし、都内などは何処に行っても放置自転車を取り締まる人たちが厳重に警戒しておられ、回収車に乗せて遠慮会釈なく運び去っていく。行政は何とか道路と自転車の対策を講じられないのかと思う。都内のように道路の幅が狭く、歩道も整備されていないのであれば、尚更のことだ。

話は違うが、2010年にSM氏とバークレーに出かけたときに、最後にモノレールを利用して目的地のUCのバークレー校に向かった。すると、途中の駅でヘルメットをかぶった若い女性が軽量の電動アシスト自転車を担いで乗ってきた。好奇心から「持ち込みありか」と尋ねてみれば「問題ないし、駅には自転車を担いでいる人専用の改札口もある」とのことで、車内にも自転車専用のスペースがあった。アメリカ式合理主義を見た気がした。


産業革新投資機構がJSRを買収

2023-06-25 07:21:54 | コラム
JSRの業態の変化を知らなかった:

この買収の報道でJSR(元日本合成ゴム)が既に合成ゴム事業を売却して、半導体の材料の会社になっていたと知った。何でこのような話題を取り上げたかといえば、日本合成ゴム(JSR)に高校の同期だったN君が勤務していたことがあったからだ。彼とは藤沢市から東京都内に出勤する湘南電車の中で再会し、当時仕事上で必要になっていた合成ゴム関連のことを色々と教えて貰っていたことがあったので、何となく懐かしい会社名だったから。

当時の日本合成ゴムは勿論合成ゴムを製造していて、主力がSBR(Styrene Butadiene Rubber)だったと記憶するが、このような専門語のような知識を学ぶ機会になっていた。彼は確か東大に行ったと思っていたが、私には苦手以外の何物でもなかった化学の話を聞かせてくれた。だが、今回の買収の報道を見れば日本合成ゴムは昭和32年(1957年)創立とあるので、彼は途中入社だったのかな、などと考えている。

当時でも、合成樹脂が普及しつつあり紙の需要も脅かす傾向があった時代の変化で、我々も合成樹脂関連の知識が必須となりつつあったのだ。そこにN君が現れて教えてくれたので、その受け売りでも社内では時代の先端を行く営業担当者として振る舞うことができた。N君と会っていたのが昭和32年可塑の後であったのならば、その頃に現在のようなプラスティックスが遍く普及した世の中になるとは、誰が予想していたのだろうかと思う。

そのJSRが半導体関連の製造会社に変わっていたのも時代の流れだろうが、このように業態を変えられる企業もあれば、紙パルプ産業界のように変化に適応できずに撤退していく会社が多いのは誠に残念である。事実、世界有数の紙パルプ製造会社だったウエアーハウザーは2005年から印刷用紙からの撤退を開始して、7年前だったかに1900年の創立当時の木材の会社に戻ってしまっている。

わが国の国会議員で「一寸は闇」と言われた方がおられたが、今や先の見通しがつかない、何でもありのような時代になったと痛感させられている今日この頃である。