新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月16日 その2 キリンカップのサッカー観戦記

2023-06-16 15:59:50 | コラム
相手が弱すぎた対エルサルバドルの試合:

昨15日の夜は第二次森保一内閣ではなかった、森保新監督率いる全日本代表対エルサルバドルの試合を観戦した。だが、我が方がFIFAのランキングで20位なのに対してエルサルバドルが75位とあっては圧勝を期待するしか興味がなかった。確かにスペインリーグで活躍中の背番号20を付けた久保建英を中心に楽勝してしまった。結論めいたことを言えば「勝って当たり前」なのである。

しかも、開始2分でエルサルバドルのペナルティーエリアに迫っていた三笘薫が、往年は「バックチャージ」と呼ばれていた後ろから当たる反則で倒されてFKとなり、それを久保がサイドキックで見事なスライスをかけた絶好の球をディフェンスの裏側に上げ、そこに谷口が突っ込んで鮮やかなヘディングシュートを決めて先制してしまった。これでは相手の力を評価させて貰う時間もないままに「勝負あったか」と見ていた。

しかも、その直後に今度は相手のディフェンスが自陣深い位置でパス交換を誤ったのを頂戴した誰だったかがドリブルでペナルティーエリアに入ったところで、またもや悪質なバックチャージ風な当たりで倒してしまいPKとなった上に、そのセンターバックが「一発レッドカードの退場」となってしまった。言うなれば、弱者が1人少ない10人で遙か格上のティームと試合を続行することになったのだった。興味半減どころではなかった。

こうなってしまったのでは、興味は格上の新生全日本が何点を取ってみせるかと、新顔の中に将来有望と思わせる者が何名いるかしかなくなってしまった。結果は4対0で前半を終わったのだが、私には不満足な出来だったとしか思えなかった。そこで、不満だった点を挙げれば、先ず「久保以外にチャンとした決定力が備わった者がいれば、もう2~3点取れていても不思議ではなかったこと」である。これは以前から指摘してきた「決定力不足」が改善されていないこと。

次は昭和20年からWM方式の蹴球に慣れ親しんできた私から見れば「何故、1人少ない格下を相手にして、所謂セーフティ・リードとも言える2点を先取しながら、一寸でも前が空いていないか相手のディフェンスが引いていると見るや、アナウンサーが勝手に好意的に言う「リビルド」とやらで、一旦後方に下げて吉田麻也が中心になって延々と続けたバックスの間でのパス交換を、新メンバーでもやって見せたこと。「何をやっているのか」と怒鳴っていた。

その消極性にウンザリして、後半を見ないで3試合中継されていたセントラル・リーグ対パシフィック・リーグの対抗戦に切り替えた。但し、後半はメンバーを入れ替えるだろうから、何点追加できるという関心はあった。何と11人いても2点しか取れていなかった。聞けば、監督は後半には久保を引っ込めたようで、それでは満足なフリーキックを蹴れる者がいなくなってしまっただろうと感じた。遠藤保仁と中村俊輔が引退して優秀なキッカーは久保だけなのに。

これは持論であるが「海外というかヨーロッパに出ていた者たちの中には久保には及ばないまででも、それなりに成長しているのだ。だが、日本に帰ってきて周りが日本人だけになると、ヨーロッパで通用していた神通力が一向に発揮されない」のである。上田綺世などはその典型的な悪い例だと見ている。何故威力がなくなるのかと言えば、周りには全世界から集まった名手たちがいないからだと思っている。要するに「彼らを活かせる者がいない」ということ。

だが、正直に言えば昨夜の試合だけで彼らの評価を決めるのは時期尚早だと思う。中には初代表で明らかに足長族を相手とした場合に如何に対処するかを知らないディフェンダーもいた。彼らも次のW杯までの3年があれば、俗に言う「赤子でも3年経てば3歳になる」のだから、精々経験を積ませておくことが必要である。

振り返ってみれば、大学生になってから外国人のクラブとの試合で「何でここまで足が出てきてインターセプションなのか」と、悩まされた経験があった。これも経験を積むか、ヨーロッパに出て行けば自ずと対応できるようになるのだ。

例によって何も良いところがなかったかのように批評しているが、良いところは何時もアナウンサーと解説者が一所懸命に強調しているから、お任せして何も私が出て行く必要などないと考えているからなのだ。来週に試合に期待しよう。


東京都内を新宿区から港区へ

2023-06-16 08:29:37 | コラム
物思わせられた半日だった:

昨15日は新宿駅西口から青山一丁目、麻布十番、広尾等々を都バスで走り抜けて港区三田までを往復した。COVIDで都内と雖も区外に出ないように安全を期していたので、思い出してみればこの路線を利用するのは4~5年ぶりのことで、大きく変化した都心というか繁華街と言えば良いのか判断に迷う地域を通って多いに勉強になった。そこで何を学んだかを述べてみようと思う。

新宿区と港区の違い:
「港区は六本木や麻布を抱えているので、多くの豊かな人が住んでいる点が新宿区との大きな違いである」と指摘する人が多い。勿論、その点は認識しているが、昨日のように伊勢丹の横を通過して四谷三丁目から青山一丁目、天現寺、広尾、麻布十番とバスが進むと明らかに車窓から見える景色が変わってきた。

最も目立ったことは、新宿区内にはG7の国から来たような外国人は見当たらないが、港区に入るとマスクをしていない外国人、即ち我が副社長が言ったG7国からの「ホワイト外人」が数多く歩いているのだった。また、そういう人たちと思しきインバウンドも急増したのだった。あれほどマスクを付けていない人たちが目立つようでは、暫くその影を見なかった尾身茂氏が「第9波が来ている兆候が」と指摘されたのも尤もかなと感じた。

新宿区にはルイ・ヴィトンやグッチやコーチのような遍く知れ渡っているブランド店舗があるが、港区には知る人ぞ知るというか、真のブランド通の方が利用されるのかと思わせる店が多いのも一つの相違点かなと見ている。特に印象的だったのがランボルギーニ(Lamborghini)の展示場で3,000万円もすると聞くスポーツタイプの車を移動させていた風景だった。恥ずかしながら、あのような車が動いているのを初めて見た。

さらに、港区に入るとお台場ほどではないにもせよ、目立つ現象に多くの豪華絢爛たる高層の所謂「タワマン」に圧倒されたのだった。そしてそのようなマンションの駐車場にはベンツなどは高級車でも何でもないと思わせられるイタリア等の名車が数多く駐まっていることだった。換言すれば、この点がG7国以外の外国人が無数に住んでいる新宿との違いなのだ。

街を歩く人の服装:
「ビジネスマンの服装学」を何度も論じてきた私から見れば、我が国の人たちは上から下まで未だに普段着(というか、現代風に言えば「私服」だが)の選び方と着方が解っていないのである。私はそもそも「洋服」と呼んでいるように、明治維新後に西欧の服装を移入したのであるから伝統も何もなく、外国で一般化している形を真似ているのだとしか思えないのだ。

その結果として、普段着というかキャジュアル(casualで「カジュアル」ではない)な服装をアメリカの下層に属する者たちの格好を真似してしまったと見ている。それ即ち、汚らしく見えるのだ。極端かと思うことを言えば「我が事業部の支配階層に属するマネージャーや副社長たちが普段着にジーンズで現れたのは見たことがなかったことで、あれは労働者の物」なのである。支配階層のアメリカ人たちは「khaki」と呼ぶ「チノパン」を選択している。

話は本論から離れるが、この普段着の選択がアメリカやヨーロッパの人たちと違うので、アメリカの街中にいると我が同胞が歩いてこられれば一目で分かり、「日本からお出でになりましたね」と話しかけることができたのだった。LAの危険だと言われているファッション・ディストリクトに珍しく単独で入ってこられた中年の方にYM氏と共に「日本からですね」と声をかけて「何故解るのですか。精一杯現地風にしてきたつもりなのに」と驚かせた。

論より証拠で、港区辺りを歩いてご覧になれば、何処が違うか解るかも知れない。念のために確認しておくと「貶しているのではない。違うのだ」と言っているのである。最も顕著な点は白人たちが無地の物を選び、我が国では細かい柄で多色になっている物を好んでいる傾向が顕著なこと。

懐かしき青山一丁目:
ウエアーハウザージャパンはここの三菱地所の青山ビル内にあったので、19年勤務した後の1994年1月末でリタイアしたので、29年ぶりかという計算になる。だが、実際にはその後にも何度か顔を出していたので、少なくとも20年ぶり辺りだったかも知れない。だが、バスは懐かしむ時間をくれずに走って行った。青山ビルは築40年を過ぎているので、オリンピックを控えての再開発で取り壊しと言われていたが、そうとはならなかったようだ。

JR信濃町駅:
この駅は在職中にもその後の某商社の手伝いに入っていた頃にも屡々乗り降りしていた。昨日は帰りのバスの中で超後期高齢者らしく尿意に襲われて信濃町駅南口で降りて、ここのトイレを借りてから総武線を新宿まで乗って山手線に乗り換えれば新大久保に帰れると計算。ところが、信濃町駅の構内に入ってその変貌ぶりに大袈裟に言えば「駅を間違えたか」と思わせられたほど綺麗になっていた。エレベーターもあり巻き爪で痛む足を引きずって階段を使わずに済んだ。

結び:
要するに、東京都内の都心というか繁華街というのか、そういう地域では何もかも20数年前とは大違いで困るのだ。嘗ては目印にしていたビルなどは高層のオフィスビルやタワマン等に圧倒されて昔日の面影もなく、屡々「今どこを通過しているのか」が全く解らないのだ。それにしても、何処を通っても人また人で観光客と見える外国人も多いのも印象的だった。新大久保駅で外に出れば、G7国以外の外国の人たちで賑わっていた。