新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3年も経てば変わるさ

2023-06-13 08:02:05 | コラム
街は一層変わって外国人で賑わっていた(百人町/大久保界隈である):

昨日は遠来の客人2人と心ゆくまで語り合った後で、この界隈が3年前とどれ程変わったかを雨降りを厭わずに案内した。彼らは何処かどう変わったという事もあるが、新大久保駅に殺到する若い女性を中心にした人の数の多いことに驚いていた。Korean townが3年前にも増して繁盛しているというニュースは都下の町田には届いていなかった様子だった。

イスラム横町の外れのところで、言わばハラルフードとあの辺りの諸国の食料品の小型スーパーマーケットのようなものができていて、それが40年近くも続いていた飲み屋の跡だったと知って、大袈裟に言えば驚愕。また、マスクをしていないかなりの数の中近東系とアジア系のインバウンド様たちがガラガラを引きずって雨中に宿を目指しているのか、スマホをにらんで歩いているのも印象的だったそうだ「町田では見られない風景だ」と。

彼らが最も衝撃を受けた事の一つが、先月だったかに火事を出したイスラム横町内のアラビア料理店と、その隣の延焼したハラルフード店の取り壊し風景。何処かの国の現場作業員が壁を大きなハンマーでガンガンと叩いて取り払おうとしていた様子だった。全てが手作業で機械類は一切無し。

このように彼らはここにやってきて自分たちだけの店を自分たちだけで作り、要員は全て自国人だけという業態。お客はイスラム教国の人しか来ないのだから、日本人必要がないのだ。その店が火事を起こしたのだから、どうやって復旧する気かと思えばあの手作業。それにしても、彼らは復旧するだけの資金を何処から引っ張ってくるのだろう。彼らは貧困なるが故に国を捨ててきたとも聞いている。その貧困者がこの街に来ると成功するのか。

他に彼らが珍しがったことが二件あった。一つは3年前には大久保通りで営業していた韓国の「パルパルドッグ」とハングルで表示された例のソーセージを串に刺して焼き、チーズなどを絡ませた若い女性に人気があった店が潰れて、中国の鳥(鴨?)の骨付きで焼いた肉を食べて骨は床に吐き出して良いと聞いたこともある店に変わっていたこと。

看板も掲示されたバイト募集の張り紙も全て中国の簡易漢字で書かれているので、我々には読めないのだ。ここは中国人と思しき人たちで賑わっていた。ここは完全に日本人は相手にしていないということだと解釈。

最後になったのは住人の私も気が付いていなかった小さな変化。それは、嘗ては大久保通りに面した日拓のパチンコ屋の駐輪場だった場所が、バチン小屋が閉店した後での立ち飲み屋になっていたところ。2軒あった蕎麦屋がなくなり、歴史がある飲み屋が廃業した近所で飲み屋を開店とは無謀だと思っていたら、アッという間もなく「銀だこ」というたこ焼き屋になってしまった。

昨日お客様と駅別れた帰りにそこを通って見れば、たこ焼き屋の看板に白いペンキが塗られ、店内は空っぽ。言うなれば「だから言ったじゃないか。日本人相手の新規開店は成り立たないって」との思いだった。ここでは事ほどさように「日本人が相手の商いは極めて成り立ちにくい」のである。尹兆ケイという大型の中国人専用の美容院軒理髪店は、目下「リニュウアル工事中」。銀行などは10年以上前に支店をなくしてしまった。先を読み切っておられたようだ。