新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

民族衣装が絡む文化比較論

2023-06-23 07:59:01 | コラム
天皇陛下がインドネシアでバティックをお召しなのを見て:

インドネシアで天皇陛下があの国の民族衣装であるバティック姿であったのは印象的だったし、26年前のことを思い出していた。94年1月末までの在職中とそれ以降に20カ国ほど歩いてきたが、インドネシアにはついぞ行く機会がなかった。それが某商社のお手伝いをした縁で、97年に2度も出かけていた、それも仕事で。有り難いことだった。

それが初めてのイスラム教徒の国(世界で最もその教徒が多いとか)だった。例によって深い予備知識無しの旅だった。最初にジャカルタに入って中心街は全く予想していなかった近代都市だったのに驚嘆させられた。翌朝5時頃に、外から聞こえてくる大音声に叩き起こされた。何か事件でも起きたのかと慌てた。聞けば、それは何でもなく「コーラン」が流されていたのだった。だが、2度の訪問中にイスラム教国であると感じたのはこれだけだった。

服装に関心があるので、方々で多くの人がこの暑いインドネシアで長袖の上着ともシャツとも見えるものを着ているのが気になったので、駐在員に訊いてみた。それは「バティック」という現地独特の衣装で、仕事の場で着用していても良いのだと教えられた。そこで、スラバヤで自由時間があったので、駐在員に案内されて大勢で買い物に出かけた。ところが、販売員の女性に選んだバティックと現金を渡そうとすると、頑なに拒否されて押し問答になった。

暫くして駐在員が助け船を出してくれて解ったことがあった。それは、販売員には現金を渡すのではなく「この商品を売った」と記載された伝票を切らせて、それを持ってキャッシャーのカウンターに行って支払いを終え、その証拠のレシートを貰って売り場に戻り、それを販売員に提示して初めて商品を貰える仕掛けだった。何故そうなっているかと言えば「現金を渡すと販売員が持ち逃げする危険性があるから」であるそうだった。驚いてから感心した。

「所変われば品変わる」であり、台湾、フィリピン、シンガポール、香港、タイでは出会うことがなかった現象というかシステムだった。何事も経験することが貴重であると、良い勉強になった。広いのか狭いのか知らない世界には、こういう文化というか仕来りがあるのだと知った。ところが、その後に上海で長めのダウンジャケットを良い値段で買えたときにも同様のシステムに出会った。中国も同じように販売員を信用していない国だと知った。

話変わるが、70年にフィリピンで経験した民族衣装が絡んだ現地の習慣というか感覚の違いの回顧談を。以前にも触れたが、このときに37歳にして生まれて初めて外国に出かける機会を得たのだった。現地の取引先の社長の息子さんにフィリピンでは公式の場でも着用されている民族衣装のバロン・タガログ(Barong Tagalogで、マニラ麻の繊維でできている)を着用すると現地人が喜ぶと聞かされた。

そして、彼の叔父に当たる人が経営する店で、テイラーメイド(「オーダーメイド」はカタカナ語である)すれば、半日できるからと誘われた。店主とはタガログ語での会話なので何が何だか解らなかったが、採寸と支払いを終えて帰ろうとすると、彼が店主から大きな酒の瓶を3本貰っていた。何で貰ったのかと訊けば「客を紹介した手数料で、叔父・甥の間と雖も当然の報酬だ」と言われて、正直なところ唖然とした。客とは目の前にいる取引先の外国人なのだから。

彼には、フィリピンでマニラ郊外の靴作りで有名な村にも案内された。確かに経済的な値段で買えた。ここではもう驚かなかったが、親戚でも何でもない靴屋では確か英語で手数料を請求して何を貰ったかまでは覚えていないが、堂々と報酬を取っていた。かなり裕福だと見えるオウナー社長の息子にしてこれであり、文化の違いを痛感させられた。彼は現地でも経済を抑えている華僑ではなく、フィリピン人だった。

諸外国との言語・風俗・習慣・思考体系の違いというか「文化の違い」は、その場に行って経験しないことには勉強できないのだと知り得た貴重な機会だった。最後に密かに言うことだが、ここに取り上げて回顧した東南アジアの2カ国では「治安」というか、我が国のような安全な国ではないと承知していた方が良いと知り得たのだった。その我が国でも今朝ほど「闇バイト」で逮捕された若者ことが報道されていた。何もこの面で外国に追随する必要などないのに。